「入るぞ」

 石造りの部屋の中、ひどく薄暗い空間に男の声が響いた。その声に対する返事は無かったが、男は慣れた足取りで部屋の中に入り、ドアからそう離れてはいないベッドの上でひざを抱えている少女に近づいていく。

「仕事だ、内容はここにある」

 至近距離まで近づき、声を掛けても微動だにしない少女に、少々顔をゆがめながら男は言葉を継げる。

「おい、タリア、わかってんだろうけどな、失敗したら・・・」
「仕事は、するわ」

 タリアと呼ばれた少女の、まるで、最初から会話などしたくない、とでも言いたげな態度に、今度ははっきりと怒りを込めた視線を向け、叩きつけるように封書を置いた男は小声で毒づきながら部屋を後にする。

「ハッ、ったく、薄気味わりぃガキだぜ、殺ししか能がねぇくせによぉ・・・」

 タリアはその声が聞こえているのかいないのか、何の反応もせず、虚空を見つめていた。
 光の乏しい部屋で奇妙に鮮やかな色彩をもたらす真紅の髪は無造作なショートカット、眼の色は左右で異なり、左目は赤で、右目は青。発育の途中にあるその体つきから考えるに、年の頃は12,3歳であろうか。ざっくりとした麻の服に覆われた体は華奢で、露出している肌は石膏のように白い。

 しばらくそのままの姿勢を保ち、男の足音が聞こえなくなるとタリアはおもむろに封書に手を伸ばした。封蝋を剥がして広げた書簡にはきわめて簡単に、日時と場所と人物名、その外見的特徴が記されている。
 彼女にとって、それ以上の情報は必要なかった。記された時間に、記された場所に現れる、記された人物を確実に消す。ただそれだけが彼女の『仕事』であり、彼女が生き抜く手段であった。

(・・・下見をしなければいけない)

 彼女は自分の属している『組織』の規模はおろか、名前すら知らなかった。興味もなかったし、『上』にしてみれば使い捨てに等しい少女の口から情報が漏れることは避けねばならないのだろうと想像もつく。だが、少なくとも戦乱のさなかにしては人口が多くにぎやかなこの街で、人ひとりが何時、何処にいるのかを確認できるだけの情報収集力があることは確かであり、失敗したときの運命は、それこそ伝令の男に言われるまでもなく理解していた。

 タリアは『生』に執着があるわけではなかった。生まれてこの方『生きる喜び』をしみじみと感じたことなどない。だが、死を望むわけでもなかった。   生きたくも無ければ、死にたくも無し。・・・・そんな虚無感が、彼女の今の心象を最もよく形容するのかもしれない。

 ともあれ、物心付いた頃からその両目と肌の色が人に好かれるものではない事を痛感し、両親が流行り病であっけなく死んでしまった後、奇異な容貌を持つ者に対する世間の扱いを嫌と言うほど味わった彼女にとって、この『組織』は唯一の居場所であり、全てであった。
 それゆえ、彼女は『組織』に拾われて以来今まで可能な限りの努力を全て『仕事』に費やし、真先に教えられた弩の扱いはその後独学で上達させ、『組織』としてもその腕前を重宝するまでになっている。

 だが『組織』はタリアを決して人間扱いしてはいなかった。

 薄暗いこの部屋は地下室であり、当然窓一つ付いてはいない。目立ちすぎる両目を隠すサングラスを支給され、さらに昼間の外出は厳しく制限されていた。・・・・もちろん、タリアにしてみれば、自己保身を図る限り強制されなくても白昼外出することは避けたであろうが・・・・

(日没までには、まだ時間がある・・・・・)

 地下であってもかろうじて聞こえる町の時鐘を元に現時刻を推し量ったタリアは、ベッドから降りて壁に吊るされている弩を手にとると、テーブルの上で手入れを始めた。
 金具で留められている素人目には取れそうも無い部品が手慣れた動作によってはずれてゆき、弩は見る見るうちにいくつかの細かい部品に分けられていった。今の彼女にとって食事をすることと同じくらい欠かせず、日常的な作業。初めて触れたときはびくともしなかったものだが・・・・・


 数多の国が芥泡の様に現れては消えていったこの時代、5年と定まらない国境線に程近い村で彼女、タリア=ティアリンは生を受けた。不安定な政治情勢は生活に直結し、村はいつも不安の影をはらんでいた。
 不安と緊張に満ちた生活は、異質なものを受け入れる余裕を生むはずも無く、生まれつき特異な容貌のタリアは常に有形無形の迫害にさらされねばならなかった。
 だが、それでも両親が健在のころはまだましであった。彼ら自身はきわめて平凡な夫婦であったが、一人娘を平凡に愛することのできる人間であったし、村人のほうも両親に「遠慮」と呼べるものがあった。

 そんな、彼女が過ごした唯一の心休まる時期は両親の死によってあっけない終焉を迎えた。村を襲った流行り病が、村人の3分の1の命とともに彼女の両親を奪ったのである。
 家族を失い慟哭する村人たちの中、タリアは涙ひとつ流さなかった。村の子供らに常に虐められていた彼女は、喜怒哀楽をあらわにする事が状況を悪化させるということを、体験から嫌というほど刷り込まされており、両親を亡くした時、もともと豊かとは言えなかった表情は完全に凍りついたままとなってしまったのだ。
 そんな彼女の態度は、村人たちのささくれ立った感情を逆なでするのに十分だった。冷静に考えれば有り得ないことだと判ろうものだが、彼らは、本来ならやり場のない自らの悲しみと怒りを罪無き不幸な少女に・・・要するに、八つ当たりした。曰く、

「あの娘が、悪魔の力を使って病気を広めた」
「気味の悪い、あの目、悪魔との契約で得たに違いない」
「恐ろしい、親を真っ先に殺したのよ」

 ・・・・根拠など、どこにも存在しないのだが、彼女の外見と態度は、理屈でなく、感情で行動していた村人たちにこの上ない説得力を与えた。うわさは瞬く間に村中を駆け巡り、十になるやならざるやの哀れな少女は、一巡りも経たぬうちに村人総出で討ち果たすべき「化け物」にされたのである。

 村人たちの間に共通認識が出来上がってからの行動はきわめて迅速だった。すなわち、寄り合いをした日の夜、タリアが寝静まったとみた「自警団」が何の予告も無く彼女の家に火を放ち、取り囲んだのだ。

 両親の残した畑と家畜は、まだ骨格も出来上がってはいない少女の手に余るものであったが、両親の死後、事実上の村八分の状態で彼女は誰の手も借りずに良くこれを管理していた。悲嘆に暮れる間も無く、生きる為の過酷な日常をこなしていた彼女であったが、その努力は、思いもよらぬ偶然を生み、結果的に彼女自身の命を救うことになった。

 その日、眠りにつく寸前にタリアは、畑に鎌を置き忘れてきたことに唐突に気付いた。雑草の刈り取りをしている最中に山羊の啼く声で餌を与えていない事を思い出し、慌てて鎌を置いて行ってしまったのだ。
 帰ってきてからずっと何かを忘れているような気がして落ち着かなかった彼女は、寝る前に思い出せた嬉しさも手伝って、夜の闇の中灯りも持たずに飛び出していった。
 見た目には人に違和感を与える自身の瞳を、彼女はこのころそれほど嫌ってはいなかった。「昼間と同じように見える」というドワーフほどではないにせよ、そこら辺の村人に比べれば格段に夜目が利く上に、点にしか見えないような高みを飛ぶ鳶を見分けるほどの視力も備わっているからである。それが原因で虐められるという事実も、両親に愛されている実感があれば『うらやましいんだ』という一言で済ますことができた。    この夜までは。

 夜露に濡れそぼった鎌を拾って家に戻ってきたタリアが目にしたのは、火に飲まれゆく我が家であった。周りには、松明を持ち武装している「自警団」の姿。交されている会話の内容が断片的に聞こえてくる。

「まさか、これで・・・・いるとは・・・・」
「・・・悪魔だといっても・・・・念のため・・・・」
「いや、それは・・・・」

 その声の内容を吟味する余裕は無く、ただ、彼女は自らを殺すことを意図したその行動に恐怖し、ついで、堪え難い怒りが湧き上がってくるのを感じ・・・・

 ・・・・そのとき、村人たちはタリアが「化け物」であることを信じて疑ってはいなかった。最初のうちは鬱憤晴らしの口実作りという一面も確かにあったのだが、それを正当化しようとする心の動きは、いつの間にか本当に彼らが束になっても倒せるか判らない想像上の怪物を作りあげ・・・・その怪物が、いま、彼らの前に立ち、怒りを込めた視線を送っている。

「「・・・う、うわああああぁあぁぁ!!!!」」

 刹那の間、思考停止状態に陥った彼らは、一種滑稽なまでに慌てふためいた。本人たちは悲しいほど真剣なのだが、自らの胸にも届かない程度の体格をした少女相手にただ這いつくばっている様子は、通常であれば失笑を買ってもおかしくは無い光景であろう。しかし、彼らを見ていた唯一の人物は、笑み一つ浮かべることなく、妙に冴えわたった頭でこう、思った。

(いましか、ない)

 怒りは、一時に比べるとかなり醒めていた。彼らが何故、これほど怯えているのか心当りが無いわけではないから。そして、それが分かるからこそ、自らが生き残る最後のチャンスを彼女は冷静に見て取り・・・・手にした鎌に力を込め、全く腰の立たない男たちに踊りかかった      

 ・・・・鮮血に染まった鎌を捨て、返り血を浴びた服のまま、彼女は夜闇の中、村から逃げ去った。

 タリアの生い立ちは、その大半が不幸で彩られていると言って過言でない。しかし   それこそ、幸か不幸か   彼女には『悪運』とも言うべき奇妙な幸運があった。
 それは、どんなに不幸であっても、何故か死には至らないこと。

 この時もそうだった。村から生きて逃れられたことからして幾つかの幸運が重なった結果であるし、この戦乱の中、実際は華奢な身体のか弱い少女に過ぎない彼女が何一つトラブルに巻き込まれること無く、栄えた貿易都市に潜り込めた事などは幸運の極みだと言って過言ではなかろう。

 だが、その幸運は、彼女に決して『幸福』をもたらしはしなかった。

 戦乱の最中、国境線に近い町にしてはかなり栄えているこの街で、彼女はただの浮浪児以上に迫害を受けることになる。小さな村の出来事がこの街に容易く伝わったとは思えないが、血に染まった服は十分人目を引くことに気付いたタリアは、ぼろを集めてどうにか他の浮浪児程度の身なりにはなっていたのだが・・・・・

 絶対的な富の量が限られている状態で『栄えている』ということは、激しい貧富の差を生じていることであり、それゆえに不幸な子供たちも少なからず集まる通りがあったのだが、彼女は、ついに、その群に入ることが無かった。
 そんな所ですら・・・あるいは、だからこそ、彼女の瞳はつまはじきの材料となり、タリアはその夜目を生かして宵闇の中、独りで行動せざるを得なかったのである。

 しばらくの間、まったく人との接触を持たなかった彼女に久しぶりの接触をもたらしたのは、闇タマットの「子供狩」だった。混乱に乗じて勢力を広げていた彼らは、手っ取り早い勢力拡大の道具として、浮浪児たちを利用していた。
 街中にいる者であればすでに半ば以上、下部組織として取り込んでおり、上納金を納めさせたりもする。しかし、完全に身元不明の子供であれば、法に触れることをさせても足のつかない便利な『駒』としての役割を課すことができる。もちろん、それなりに磨く必要はあるが、犯罪組織にとって浮浪児たちはまさに原石の群れなのである。

 そうして、タリアは闇タマットの組織によって地下室に閉じ込められ、弩の訓練に明け暮れる生活を始めることになった。・・・・この事実も、決して幸福ではないが、少なからず幸運が作用していると言える。不自由な環境であるとはいえ、少なくとも生きる糧を得ることが出来るようになった訳であり、また、夜目をはじめとする彼女のスナイパーとしての才能が組織に認められたことも、簡単に使い捨てされることを防いだ。そして何より、もはや彼女自身も忌み嫌うようになっている両の瞳のせいで、組織の言う『皆に可愛がられる所』に送られなかったのが、皮肉にも、最大の幸運であると言えた。見目のよい少女のほとんどと、わずかな少年達が連れられた『その場所』に行った者は、例外無く、1年と経たぬうちに心も体も人としての形を保っていられなくなっていたのだから・・・・・


(・・・・あれから、どれくらい経ったのだろう・・・・)

 芸術的とも言える手際で弩の手入れを終えたタリアが、初めてこれに手を触れた頃からの時を想う。確か、そろそろ3年が経とうとしているはずである。命令書には毎回日時が記されているから、時のうつろいが分からなくなるということは無い。しかし、興味を失うことは出来る。地下室に住み、夜中に外出する生活の中で、季節による変化などは、ほとんど感じられるものではなく、変化しないものならば、注視する必要も無い。
 彼女はこの論理に従って、いつしか時の流れを忘れていった。それは、自身が変化に気付く感性を失っている証拠だということには、当然、全く思い至らなかったのである。

 この日も、一時生まれた哀惜にも似た奇妙な感情を深く考えることなく、タリアは立ち上がり、着替えを始めた。
 変化に乏しい彼女の生活の中で、唯一、それなりの変化を生じていた彼女自身の躯であったが、タリアは、ほとんどそれを自覚していなかった。普段着はゆったりした物で、それなりにしか変化していない彼女の身体を覆うには全く支障の無い物であったし、仕事着にいたっては・・・・

(・・・・)

 一糸まとわぬ姿で枕元に置いてあった握りこぶし大の黒い石を手にとって目を閉じたタリアの周りを、石から生じた黒い煙の様な物体が取り囲み、見る間に、黒いフードつきのローブを思わせる服に変化した。服、とは言ってもそれは決して定形を保った物体ではなく、注視しているとそれを構成する粒子は常に空中に消え、また、空中から生じている。その服と、外界との『境界線』と呼ぶべきものは極めて曖昧になっていた。
 この効果によって、闇夜においては非常に効果的な迷彩を得ているこの服は、その特徴ゆえに着ている本人は全く圧迫感を感じる事が無く、動きを阻害されることも無い。 
 使い捨てに等しい下手人に支給するには明らかに性能のよすぎる服であるが、それゆえに胡散臭さもぬぐいきれない。現に、タリアもよくこんなセリフを聞く
 『<悪魔>の力を借りてやがるくせに』
 自分が悪魔呼ばわりされていたことは恐らく伝わっていないだろうし、そうであったとしたら『借りる』などという表現は使わないだろう。
 要するに、彼女の唯二つの装備である弩かこの服が<悪魔>関係品であるということは、まあ、疑いようがないわけであり、露骨に怪しいのがこの服である、ということになる。

 その程度のことは想像がついているとはいえ、当然、彼女に着用を拒否する権利など無く、そもそも拒否する理由もなかった。
 見つからなければ生きながらえる事が出来る。その単純な事実だけで彼女には十分であるのだから。

 弩を肩に背負うと、タリアはドアを開けて石畳の廊下に出た。この時間に出れば、帰って来るころには夕食が部屋に届けられているはずである。
 そんなことを思いながら、陰気な廊下を通り過ぎて上り階段のふもとにある部屋をノックする。返事の代わりにドアが薄く開けられて、隙間からにょきりと青白い手に握られたサングラスが差し出された。

 これもまた、彼女に対する組織の・・・・・構成員の態度の表れといえる。タリアは、この組織に来てからというもの、命令を伝えに来る男を始めとして、五本の指で数えられる程度にしか構成員の顔を見ていなかった。
 思えば、他に顔を見たことのある人間はすべてその手で屠ってきたのだ。

     サングラスを受け取り、汚いものを触ったかのような勢いで引っ込められた手に何の感情も示すことなく、タリアは、宵闇に沈む街に独り溶け込んでいった。


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