風色の翼≫1章≫1

1章 予兆


 『風色の翼』に参加することになって5日、オクシード・トリスにはいくつか分
かったことがあった。例えば、タリア・ティアリンはほとんどの時間を見張りに費
やしていること。
 低い柵に囲まれた村の入り口には、高さ4メルー(m)ほどの椎の木が立ってい
た。がっしりとした幹から、太い枝が1本張り出している。その枝の根元がタリア
の定位置だった。幹にもたれかかるようにして枝に腰かけ、クロスボウを手にした
まま、放っておけば1日中外に注意を向けている。
 だから、その木の下がオクシードの定位置になりつつあった。話しかけようとし
ては、そっけない返事に言葉を詰まらせる、そんな風にこの数日はたっていた。そ
して今日も。
「いい天気だよね。」
「…………。」
「こ、今年は豊作になりそうだって。」
「…………。」
「え、と……。本当に、いい天気だよね。うん。」
 発展しない会話。いや、会話とも呼べない状況にオクシードが肩を落とした。と
その時、今まで微動だにしなかったタリアの視線が上空に向けられた。サングラス
の奥の瞳が、異変を見透かそうと細められる。
「え、何!?」
 慌てて見上げた空は、先程と変わりなく快晴。だが……。
 タリアがクロスボウに矢をつがえた。
 晴れ渡った空の一点に、灰色の小さなしみ。位置は変わらないまま、だんだん大
きくなってくる。近づいているのだ。一直線に、こちらを目指している。
 弦が引き絞られ、近づいてくる『それ』に照準が定まる。引き金に指がかけられ
……。
「タリア、待った!」
 オクシードが声を張り上げた。最初、ただ灰色と見えたそれはブルーグレーの翼
を広げ、よろよろと滑空していた。もうはっきりと確認できる。まるで鳥のような
姿なのに、革鎧を着て、荷物を担いでいる。そんなのは彷徨いの月の種族、ミュル
ーン以外にない。
 ミュルーンは人間より視力がいい。村の入り口に人間が二人いること、しかも一
人が自分に矢を向けている事に気付いたようだ。
「待ってぇな。ワイはただの伝令や〜!」
 張り上げた声に力はない。そのまま二人の前に滑空、というより、墜落してきた。
着地寸前に2、3度羽ばたいて地面との激突は避けたものの、自力でたつ余裕はな
いらしく、腹で着地した。見るとそこだけ鮮やかに青い尾羽はぼさぼさで艶を失い、
身体はところどころ血がにじんでいる。
「おい、あんた大丈夫か?」
「あかん。ワイは、もうダメや……がくっ。」
 覗きこむオクシードの目の前で、ミュルーンはぱったりと気を失った。自前の効
果音つきで。深刻なのか冗談なのか。ミュルーンはくちばしから生まれると皮肉を
言われる由縁である。
「……どうしたらいい?」
 ミュルーンを指差しながら『先輩』であるタリアに判断を仰いだ。既に彼女の視
線は外に向けられている。危害を加える存在でないとわかった時点で、ミュルーン
への興味は失せたようだ。
「どんな相手であれ怪我人を放っておいてはならない……ラフィリア様の言葉。」
「あ、じゃあ施療院に行こうか。」
「そうして。」
「え……、一緒に……行く、わけがないよね。ハ、ハハ……。」
 ちらりと向けられた瞳に、オクシードは力なく笑う。実際、二人で行く必要性な
どまったくないのだ。
 オクシードは倒れているミュルーンを……鳥の体形なので背負うわけにもいかず、
両手で抱き上げるという、相手が鳥人間ではなんとも嬉しくないシチュエーション
で施療院に向かっていった。
「すみませ〜ん。」
 つい先日、自分が世話になった施療院の前で声をあげる。両手がふさがっている
のでノックもままならない。間をおかずに内側から扉が開いた。白い肌と栗色の髪
を持った女性が顔を出す。
「あ、シェレルさん。こいつ伝令らしいんだけど、なんか怪我してて。看てもらえ
ます?」
 シェレルはコクリとうなずくと、中へ入るように指で示した。促されるままにミ
ュルーンを抱えた状態で診察室へと向かう。シェレルは診察室のベッドを指差そう
として……オクシードを振り返った。患者はミュルーンである。この体形でベッド
に寝かせるのは少々無理がある。シェレルはシーツや毛布をベッドから剥いで床に
小山を築いた。
 オクシードがそこへミュルーンを寝かせようとすると、その腕が引っ張られた。
「はい?」
『先に、鎧を脱がせないといけないわ。』
 白い両手が胸の前でめまぐるしく動く。
「え、と?」
 意味が理解できず、戸惑うオクシード。シェレルは今度は同じ動作をゆっくりと
繰り返し、ミュルーンの鎧を指差した。
「鎧? あ、そうか。」
 ようやく気がついて、ミュルーンの荷物を下ろし、鎧の止め具に手をかけた。実
は先にはずしてくれば抱えてくる時に軽くてすんだのだが。今ごろ気付いても仕方
ない。
 革鎧を脱がせて、今度こそミュルーンを寝かせる。シェレルは壁際の棚から包帯
やはさみなど、いくつかの品を取り出すと患者の傍らに膝をついた。そっとブルー
グレーの翼を持ち上げて傷口を確認する。
 怪我はそれほどたいしたことはなさそうだった。これ以上自分が出来ることはな
さそうである。オクシードはその場を任せて戻ろうかと振り返り、先程置いたミュ
ルーンの荷物に気がついた。
(伝令ってことはここの誰かに手紙を持ってきたって事だよな。)
「でも勝手にあけるのは……まずいか。」
「問題ないだろ、開けちまえ。」
「え? ……おわっ。」
 独白に返ってきた言葉に驚いて顔を上げると、白い服に身を包んだ大柄な男がい
つの間にか目の前に立っていた。
「あ、えぇと……。」
「ディアーク・ブリュンヒルド。ディーで構わん。」
 言いながらディアークは床にある厚手の生地で出来たかばんを拾い上げた。ミュ
ルーンの体形に合わせてあるため、彼が持つとまるで子どもの背負いかばんのよう
に見える。
「オレはオクシード・トリス、シードって呼んでくれ。……じゃなくて、勝手に開
けて良いのか?」
「どうせ近くの村からの要請だろ。別に中身まで読むってわけじゃないんだ。」
 言いながらすでに止め具をはずし、かばんの中に手を入れている。そういうもの
なのだろうか? その場にいるもう一人、シェレルはそちらを気にした風もなく、
塗り薬のふたを開けている。
「まぁ……、急ぎの手紙だったりするといけないしな。」
 他人のかばんを勝手に開けるというのは、境界を司る神、ジェスタに入信するオ
クシードにとってはあまり認めていいものではない。しかしかばんの中身が封書の
みなら、それを開けない限りは問題ないのかもしれない。この村に届けられるべき
ものが入っているのは確かなのだし。
 オクシードが自らを納得させているうちに、かばんから1通の手紙が取り出され
た。なんだかすでに自分がいなくてもどうにかなりそうである。
「じゃあ、オレは戻るんで……。」
 きびすを返した瞬間。
「あー! こんなところにいたのね。探しちゃったぁ!」
 黒いポニーテイルが元気に跳ねた。
「キャロ……。な、なんか用?」
「もう、いつものところにいないんだもの。タリアに訊いても声小さいし。3回く
らい訊きなおしちゃったわ。」
「お前が必要以上にうるさいからだろう? 大体ここは施療院だって……そうか、
デリカシーがないんだったな。言うだけ無駄か。」
「おほほほほ。ようやく気がついたの?」
「何、開き直ってるんだか。」
 ため息混じりにオクシードが再び口を開く。
「……で?」
「何が?」
「いや、だから何か用があったのかって訊いてるんだけど。」
「何で?」
「だって、オレのことを探してたんだろ?」
「うん。」
「オレに用があったんじゃないのか?」
「ううん。」
 がっくり。
 目の前でうなだれているオクシードが視界に入っているのかいないのか、キャロ
ルは両手をあごの辺りで組み合わせ満面の笑みを浮かべて見せる。
「そんなの、あなたに会いにきたに決まってるじゃない!」
「そっすか……。」
 照れるとか、困るとか、喜ぶとか、普通ならあるだろう反応をする気にもならな
い。元気がいいのは悪いことではないが、このペースについていける日が来るかど
うかははなはだ疑問である。
「ああ、じゃあお前ら2人でこれ届けて来い。」
 ディアークが先程取り出した手紙をオクシードに押し付けた。つまり「さっさと
出て行け」と言いたいらしい。案の定キャロルは喜び勇んでオクシードの腕を引っ
張っていくのだった。日ごろから鍛錬し、体力にはそれなりに自信のあるオクシー
ドだが、本気を出したにもかかわらず、なぜかキャロルの腕を振り払うことは出来
なかった。


「……分かりました。早速人員の手配をしなければなりませんね。エイクさん。」
「は。ただちに。」
 手紙から顔を上げるとラフィリアは傍らに立つ黒髪の男に視線を送った。彼は小
さく頭を下げ、任務を遂行するべく扉の外へと向かう。実直なガヤン信者を絵に描
いたような動作であった。
 その姿を見送ると、ラフィリアは正面の2人に向き直る。
「オクシード君ははじめてよね。あなた達に仕事をお願いします。内容は他の方が
そろってから伝えましょう。」
「あら、2人だけでも大丈夫ですわ。」
 キャロルはするりとオクシードの右腕に自分の左腕を絡める。
「って、何をっ!?」
「やぁん、照れちゃって〜。」
「ちっがーう!」
「おやおや、にぎやかなことですね。」
 騒ぐ二人の背後から、どこかのんびりした声がかけられた。振り返ればそこに立
つのは杖を片手にした長身痩躯の男。銀の髪、色の薄い肌とあいまって、一目で彼
が魔術師だと分かる。長い髪から飛び出して見える尖った耳は、彼の生まれがエル
ファだったことを示していた。その風貌は滅多に見られるものではない。一瞬だけ、
オクシードは目をみはった。
 ……その隙に、腕はよりしっかりと絡めとられていた。
「こんにちは、きょーじゅ。」
「こんにちは、キャロルさん。ところでお隣の彼、嫌がってませんか?」
「照れているだけですわ。」
「違うっ。」
「そうですか。まぁ、私が口を出すことではありませんからね。確かオクシード君
でしたね。私はヴァートと申します。よろしく。」
「あ、きょーじゅってそんな名前だったっけ。」
「……確かに名前で呼ばれることは少ないですけどね。」
 教授ことヴァートは微苦笑を浮かべる。あっさりと話題を変えられて、オクシー
ドは肩を落とした。
(助けて……。)
「キャロル君、そのくらいにしておきたまえ。」
 いつの間にか、エイクが戻っていた。後ろにはディアークともう一人、キャロル
とは双子のラディが並んでいた。最後に、音もなくタリアがドアの横に立った。仕
事とやらは、タリアも一緒に行くらしい。こっそり安堵の息をつく。
「まぁ、おじさま。やきもち?」
「誰がかね。からかうのもいい加減にしなさい。ラフィリア様、どうぞ。」
「ええ。」
 ラフィリアは小さく笑っていたが、ひとつうなずくと口元を引き締めた。たたん
だ手紙の上に右手をのせて、集まった者を見渡す。
「ネーデル村から食糧援助の要請がありました。物資は今用意させます。ここ1巡
りほど、街道に野犬の群れが現れるなど、少々危険な状況です。野盗の心配もあり
ますし。皆さんにはネーデル村までの食糧の運搬と警護をお願いします。」
 『野犬の群れ』という言葉にオクシードは乾いた笑いを浮かべた。自分がここに
いるきっかけ、はっきり言って情けないきっかけ。知っているのは助けてくれたタ
リアだけだ。幸い彼女は口外しないでいてくれている。多分、興味がないからだろ
う。それはそれで悲しいが。
「野犬ですか。今のところ村の畑に被害は出ていませんが、そう言えば近ごろ獣の
声が近いですね。」
「へーえ、私は気付かなかったけどなぁ。」
「お前の脳みそじゃあな。」
「何ですって〜?」
 にらみ合いをはじめた双子の隣で、ディアークが鼻で笑った。
「ふん。ネーデルとやらは犬ごときにやられちまったわけだ。」
「…………。」
 知らないはず。だから自分に言っているのではない、はずなんだけど……。
「……………………無様ね。」
 掻き消えそうなほど小さな呟きが、的確にオクシードの胸を貫いた。

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