風色の翼≫1章≫2


「なんや。もう話ついとるんか。」
 扉の音に振り返ると、先刻のミュルーン。隣にはシェレルが立っている。ここま
で案内してきたのだろう。
「あ、起きたんだ。」
「もう大丈夫なの?」
「ご心配かけてえろうすんません。あ、姉ちゃんも案内してくれてありがとな。」
「でもよかった。あなたがネーデル村までの道案内をしてくださるという話だった
から。」
 白い包帯は痛々しかったが、しっかりした足取りに威勢のいい動作を見る限り、
どうということはないようだ。ラフィリアはほっと息をついた。
「そや。話がはようて助かるわ。ああ、あんたさっきおうた兄ちゃんやな。あの嬢
ちゃん止めてくれておおきに。危うくトドメ刺されるかおもたわ。短い間やけどよ
ろしゅうに。お互い名前も知らんと不便やね。自己紹介しとこか。ワイはタップっ
ちゅうねん。まあ、見たまんまのミュルーンやね。伝令ギルドで働いとるんや。足
の速さには自信があるで。ほんであんたらの名前は?」
「親父も言ってたけど……ミュルーンって、にぎやかだな。」
「うん? このくらいただの挨拶やんけ。なんや、話聞きたいんか?」
「す、すまんが話は済んだから外でやってもらえるかね。」
 エイクが口早に割り込んだ。タップのくちばしが止まらなくなってはたまらない。
大体これから仕事に行ってもらおうというのだ。時間を潰されても困る。
「はあ、ま、しゃあないな。外で名前教えてな。」
 至極残念そうにため息をついたのは、話の張本人であるタップと、なぜか物静か
にたたずんでいたシェレルだった。
「あ、それじゃ行ってきます。」
「ええ、よろしくお願いしますね。」
 挨拶をして屋敷の外に出る。最後尾のタップが1歩出た途端。
「はぁ、やっぱりガヤンの信者つーのはあれやな。頭が固いっちゅーか。自己紹介
くらいぱぱっとやらせてくれてもええやんかなあ?」
「ミュルーンの話がぱぱっと終わるなんて誰が信じるんだよ。」
「お! ええツッコミや、でかいにーちゃん。」
「すぐ出発。」
 翼を広げて声を大きくしたタップだったが、それ以上の台詞はタリアの鋭い声に
さえぎられた。声を荒げたわけではない。ただひたすらに冷静で妥当な指摘。だか
らこそかえって何も言えなくなるのだ。彼の気持ちが痛いほどよくわかるオクシー
ドだった。
 馬車はすぐに用意された。農夫たちが慣れた手つきで荷台に膨らんだ麻袋を積み
込んでいく。オクシード達が装備などの準備を整えて村の入り口に集まると、すで
に御者が手綱を取っていた。
「ああ、そろったな。もう出発できるぞ。」
「それじゃ早速……て、どうする?」
 今回のメンバーはオクシードの他に、タリア、キャロル、ラディ、ディアーク、
ヴァート、道案内のタップ、さらにはシェレルもここにきていた。呪文こそ使えな
いが、自分の医療技術が必要になるかもしれない、と主張しての同行だった。総勢
9名、既に食糧で満載の荷馬車に乗るわけにはいかない。短い相談の結果、シェレ
ルを御者の隣に座らせ、他の者は馬車を囲むようにして進むことに決定した。
「ほな出発するで〜。」
 槍を進路に突きつけて、タップが高らかに宣言した。


 ガラガラガラ……。
 街道を南へ進路をとると、右手は見晴らしのいい平原、左手はなだらかな丘陵と
なる。丘陵はそのまま小さな森へと続いており、広葉樹が影を落としていた。さら
に東に進めばグラダス半島一のエルファの土地、ラジスの森につながる森だ。
「まあ、このまま道なりに行って丸1日くらいやな、ネーデル村に着くんは。」
「ふうん。ところでそれはそれとして、なんでお前怪我してたんだ?」
 オクシードが今さらながら最もな質問をする。と、隣にあった青い尾羽が大きく
震えた。そこだけ黄色いくちばしが待っていましたとばかりに開かれる。
「せやっ。ワイも伝令としてこの街道は何べんも走ってきたけどな、あんな目にお
うたんは初めてや! ネーデル村の村長はんに割増料金もらわんと割に合わんわ。」
「で、あんな目って?」
「野犬や。野犬の群れが襲ってきてな。多勢に無勢っちゅうのはああいうことやね。
槍なんぞ持っとっても役にたたへんわ。」
 ふいにオクシードはタップの拳を力強くつかんだ。
「分かる! 分かるぞ、その気持ち!」
「分かってくれるか! せやろ、やっぱここは割増料金やろ?」
「いくら相手が弱くても多勢に無勢は辛いよな。」
 微妙に話がかみ合っていないが、そんなことは棚に上げて深々とうなずく。すっ
かり意気投合した様子に、キャロルがかすかに口を尖らせて割り込んだ。
「ねえねえ、野犬ってそんなにたくさん出たの?」
「おう。もうすっかり囲まれるくらいや!」
「そうな……あ、いやいや。」
 相槌を打ちそうになって、オクシードは口を濁した。途中で飲み込んだ言葉とい
うのは妙に気になるもので、キャロルがもの問いたげな瞳でのぞきこんでくる。
「今、何を言おうとしたのかなぁ〜?」
「あ、いや。なんでもないって。」
「そういえば、オクシード君も怪我と疲労で運ばれてきたそうですね。」
 かすかな笑みと共に、ヴァートが後方から指摘した。オクシードの口元が引きつ
る。
「ん、そうだっけ? でもそれが何か関係あるの?」
「いいえ。ただ思い出しただけですがね。」
「ふーん。」
(……き、気付かれた、かな。)
 キャロルの生返事を聞く限り、彼女は本当に気付いていないだろう。だがヴァー
トのどこかからかうような笑顔は……。
 そしらぬ顔でヴァートは肩をすくめた。
「まあ、これだけの人数がいれば大丈夫でしょう。」
「フン、たかが犬ごとき、オレひとりでも充分だ。」
 どこまでもにこやかに告げられた言葉に対して、ディアークは不敵な笑みを浮か
べた。わずかに伝わる緊張感。背負っていた投擲用のスピアを一本引き抜く。その
動作が、オクシードにも前方から迫る敵意を気付かせる。
 群れはさほど大きくなかった。10匹にも満たないだろうか。口を広げて迫ってく
る。
「なーんだ、そんなにいないのね。」
 トン、とブーツのつま先を地面につけてキャロル。
「そんじゃ、かるーく片付けますか!」
「へっ、お前一人に任せられるかよっ。」
 ダッと黒髪の双子が野犬に向かって文字通り踊り出た。軽やかに跳躍した2人の
髪留めに、帯に、7色の布がなびいている。忘却を司る赤の月に住まう女神、アル
リアナの信者の証である。そして。
「遅いッ。」
「はっ!」
 しなやかに伸びた足が野犬の横腹にヒットする。アルリアナ神殿でのみ習得でき
る蹴打術(ダルケス)、2人はその優秀な使い手であった。力強く、それでいてと
らえどころのない動き。一瞬にして2頭の野犬が地面に叩き伏せられる。
「へえ……。」
 はじめてみるその動きに、オクシードは一瞬構えるのを忘れた。それが問題ない
ほどに展開は一方的だ。オクシードは前へ出ず、馬車の護衛に専念することにした。
 キャロルが綺麗な弧を描いて蹴りを繰り出す。体をひねったその時、視界の隅に
何かを捕らえたらしかった。
「ああああぁっ!」
 悲鳴、ではない。歓喜?
 野犬を無視してキャロルは唐突に走り出した。
「へ?」
 『妹』のあまりに予想外な行動に、ラディは片足を浮かせたまま目を丸くした。
その眼前に1本のスピアが突き刺さる。
「っと、あっぶね!」
「よそ見してるからだ。」
 ディアークが片手で投げ付けたスピアはラディの足に食いつこうとしていた犬の
腹を貫通し、地面に縫い付けていた。その威力に、野犬はことごとく戦意を喪失す
る。すでにいくつもの打撲をうけた犬たちは、恨めしそうなうめきを上げて森のほ
うへと逃げていった。
「ふん、やっぱりたいしたことはなかったな。」
「ところでキャロルは……?」
 斧をかまえていた腕から力を抜きつつ、オクシードは遥か前方に去っていった娘
の名を呼んだ。見ると、彼女のさらに前方に小さな影がある。
「人?」
「男の子、みたいですねえ。」
 右手をひさしのようにかざしてヴァートが答えた。
「で、……なんで男の子を見てあんなに喜んでいるんだ? キャロは。」
「『男』の子ですから。」
「…………守備範囲、広いんだな。」
「とりあえず、追いかけるか。」
 キャロルの趣味はさておき。ここにいても意味がないし、村から離れた道のまん
中にいる子供というのも見捨てるわけにもいかない。御者の男もうなずいて手綱に
力をこめた。


「ぼく、1人? こんなところでどうしたのかしら?」
 いち早く目標にたどり着いたキャロルがいたわりの声をかける。嬉々とした様子
が抑えようもなく口元にあふれていたが。
 キャロルの目の前にしゃがみこんでいるのは少年と呼ぶにも幼い子ども。小さな
体をかすかに震わせていたが、頭上から降ってきた声に顔を上げる。緊張した瞳の
色に、キャロルは鮮やかな笑みを浮かべて見せた。
「さっきの野犬から逃げてたのかしら? 大丈夫よ、この私がちゃちゃっと片付け
たからもう安心!」
 ラディが追い付いていたならば「途中で放り出して何を言ってやがる!」と口論
を始めたところであろう。しかし双方にとって幸いなことに残りの面々はまだ少し
離れた所を歩いている。オクシードの、キャロルを呼ぶ声がした。
「うん。こっちは平気よー。」
 首だけ後ろに向けてキャロルが返す。そこに生まれた隙に、震えていた子どもが
決意の眼差しを向けた。

「……!」

「………………え?」
 向き直ったキャロルの首筋に小さなナイフが突きつけられていた。その的確な位
置は、例え子どもであっても、ほんの少し力を入れれば致命傷を与えられるだろう。
あまりの鮮やかさに、行動を起こした本人が一番驚いているようにさえ見受けられ
た。
 下手に喋るわけにもいかず、キャロルはじっと目の前の子どもを見つめる。ごく
りとつばを飲み込む音が聞こえた。
「薬があったらよこすんだ。みんな、けがして……だから……!」
「……?」
 脅迫というにはあまりにも頼りない声だった。騙された怒りより、不信感が先に
立つ。動けないまま少年の顔を見つめていると、背後から追い付いたオクシードの
声が聞こえた。
「キャロル!?」
 びくりと少年の肩が震える。視線がキャロルの肩を越える。力が抜けたその隙を、
彼女は逃さなかった。わずかに身を引きながら手をのばし、少年の手首をつかむ。
彼が慌てて視線を戻した時には、ナイフはすでに取り上げられていた。
 なんとかして逃げ出そうともがく子どもに向かって、キャロルは静かに声をかけ
る。
「何があったの? 怪我なら治せる人が仲間にいるわ。だから話を聞かせてくれな
いかしら?」
「……治せる、の……?」
 思わずもがくのをやめて尋ねる。
「もちろんよ。ね、きょーじゅ。」
「さて、話が見えていないのですが、怪我人ならば確かに治せますよ。」
 唐突に話を振られ、ヴァートは肩をすくめて答えた。彼の魔術師然とした姿に、
男の子は目を見開く。視線にこめられた驚きは、しだいに希望にすりかわり……再
びかげりを帯びた。
「……でも。」
 開きかけた反駁の言葉を、問いただそうとする前に。
「その手を離せ!」
 茂みから、鋭い声と白刃が放たれた。
 思わず男の子の手を離してキャロルは身をかわした。直後、足元にナイフが刺さ
る。
「ハリィ、何してる! こっちに来い!」
「アルス兄ちゃん!」
 弾かれたように男の子は駆け出す。茂みの中から、それを迎えるように少年が姿
を見せた。腕には包帯を巻き、粗末な、古びた上にサイズもわずかにあっていない
革鎧を身に着けていた。左頬には大きな傷跡がある。
「その頬の傷に……アルスやて!?」
 タップがくちばしを大きく開いた。
「知ってるのか?」
 少年の様子をうかがいながらオクシードは尋ねた。
「野盗やがな。身寄りのない子どもが集まってできたらしいで。」
「そこのリーダー、てわけか。」
「怪我人というのも、どうやら彼のようですね。」
 ヴァートが1歩踏み出すと、アルスは新たなナイフをさやから抜いた。ハリィと
呼んだ子どもをかばうようにしながら、油断なく構える。それ以上近づくことは許
さない、そう瞳が語っていた。
 やれやれとヴァートは肩をすくめて仲間を振り返る。
「治療はいらないそうです。」
「放って置け。オレたちも道草食っていられるほど暇じゃない。」
 ディアークが言い捨てると、キャロルは不満そうな視線を向けた。オクシードも、
どこか困ったような表情になる。こんな子どもばかりの集団では、満足な治療はで
きないだろう。このままにしていくのは気が引けた。
 何かを言おうと口を開いた瞬間、再び茂みが鳴った。か細い、しかしよく通る心
地よい声が投げかけられる。
「アルス……? 見つかった、の?」
「! 来るな、ティナっ!!」
 変化は劇的だった。決してオクシード達から目を逸らさずに身構えていたアルス
が、少女に向かって声を張り上げた。今かばっている子どもを助けようとした時と
はどこか違う緊迫感。明らかな焦り。
 変化の意味がわからず、オクシードはただ現れた少女に目を向けた。背後で、ラ
ディが口笛を鳴らす。
 身なりこそはひどいものであったが、その顔立ちは、声と同様に人をひきつけて
やまないものがあった。線の細い面立ち、日に透けそうな亜麻色の髪。茫洋とした
表情を見せてなお、賛辞の言葉を贈るに値する美しさがそこにあった。
「君……。」
 時と場合などお構いなく、いつものようにラディが一歩を踏み出す。
「……!」
 突然、少女の瞳が大きく開かれた。追いかけていた少年以外の存在に、今気づい
たというように。大人の男が、大勢で、こちらを……見ている!
「っあ……。」
 しゃくりあげるような声。息が詰まる。震える身体。
「あ、……っ、やあぁっ……!」
「え、何……?」
 目の前で起こったことが理解できず、オクシードは瞬きした。
「よっぽどあんさんのことが嫌やったんか?」
「オレのせいか!?」
 タップの本気とも軽口ともつかない意見に、ラディが叫ぶ。その声が合図だった
かのように、少女は背を向けて走り出した。
「ティナ!」
 アルスが後を追おうとして、踏みとどまった。こちらをにらみつけ、低い声を出
す。
「おまえら、くいもの山積みにしてうろうろしてんじゃねーよ。さっさと行け。」
「でも、アルスにいちゃ……。」
 心配そうに裾をつかむハリィを振り払う。鋭い視線に、びくりと震えた。
「仕方ありませんねぇ。」
 ちらちらと自分に向けられる視線を感じ、ヴァートは肩をすくめ、アルスとは少
し離れた方へ歩き出した。茂みの方へ数歩分け入って、数本の草を抜いてくる。
 警戒を解かないアルスは無視して、ヴァートはハリィに向けてその草を差し出し
た。
「いいですか、これをすりつぶして水で練ったものを傷口につけてください。だい
ぶよくなりますから。」
「あ、ありがと……。」
「ハリィ!」
 いらだった声に、少年は軽く頭を下げただけで走り出した。茂みの奥に姿が隠れ
たのを確認して、アルスはようやく少女の後を追うべく走り出した。

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