Symphony or Damn≫Act 1: Symphony or Damn?≫ChapterII≫1

        

Chapter 2 Stormbringer


        1

「むなしいねぇ」
 夜道を歩きながら、呟くツェット。その周囲は夜の闇よりもなお、暗い。
「何がむなしいって、払わなくてもいい金を払わせられる。これ以上むなしいことが
他にあろうか、いやない」
「ちょっと、おじさん。あんまり『むなしい、むなしい』って言わないでくれる?ア
タシ達まで落ち込んじゃうじゃない」
 隣を跳ねるように歩いていたミヤが、非難の視線を持って言う。チラリ、とそれを
一瞥すると、
「この年齢でおじさんとよばれる…。むなしいねぇ」
「あのねぇ!」
「駄目ですよ、ミヤさん。壊した物の弁償をして頂いた上に、宿まで紹介して下さる
って言うんですから」
 ルディが窘める。
 酒場での騒動の後、店に現れたツェットが事情を聞き、壊したものの弁償金を払っ
たのだ。お陰でベヴェルとツェットは帰りの馬車代を払えなくなり、船でアシュトン
まで帰らざるを得なくなってしまった。
(まいったわね)
という内心の言葉とは裏腹に、
「あまり、気になさらないで下さいね。私を助けて下さったのですから」
 と取り成す。確かに金髪の女性とミヤの乱入により、男達の矛先は(結果的に)ベ
ヴェルから逸れた。ツェットはそのお礼(ベヴェルが強引に主張)も含めて成り行き
上、宿屋まで紹介することになったのである。
 もっとも、ベヴェルにしてみれば別の思惑もあった。
 ベヴェルは祖母のミネに憧れていた。ミネの様になりたいが為に、様々な修練を積
んできたつもりだ。今回の任務が初仕事となるが、ベヴェルはこの仕事を自分が力を
得る為の良い切っ掛けだと認識していた。
 成人したばかりの十五歳の少女に対して、組織は大きな仕事を与えることは決して
ないだろう。一日でも早く祖母の元へと辿り着く為には、大きな「実績」が必要だっ
た。その為には自分の為に働く「手足」が必要だった。ベヴェルにはそれがまだ足り
ない。
(あいつだけじゃ、物足りないしね)
 アシュトンにいる一人の青年の顔を思い浮かべながら、心の中で呟く。
 ディリスに来れば、自分の腕を「売っている」者が見つかる。そんな期待を持って
街を歩いていたのだ。そんな所で出会ったのがこの面々。特に武戦士とドワーフは、
自分に欠けている物を補ってくれる存在だった。ベヴェルは自分の能力を冷静に分析
し、そう判断したからツェットに弁償金を払うことを主張したのだ。もっとも、ツェ
ットにはそんなベヴェルの思惑も見透かされているようだったが。
(多少の金で恩を売れるなら…)
「そう言やぁ、最初の原因のあの姉ちゃん。いつの間にか消えていたな」
 ベヴェルの思考はヴァルの台詞によって遮られた。
「はあ。あの方にも、お礼を致したかったのですが、何処へ行ってしまわれたんでし
ょうねぇ」
 騒動が治まってベヴェルが礼を言おうと(正確には恩を着せようと)あの女性を探
したのだが、その姿は連れの女性ともども消えていたのである。
「着きました。ここですよ」
 ツェットが一行の注意を引く。その宿屋は街の中心から少し離れた歓楽街の一角に
位置していた。追い出された「紫の煙」亭よりも大きな作りで、看板には「黄金の経
験」亭との飾り文字が踊っていた。
「おいおい、ツェットさんよ。如何わしい宿屋じゃないだろうな」
 ヴァルが確認するのも無理はなかった。周囲にはアルリアナの乙女(彼女たちは一
夜限りの恋を授ける)達が、肌もあらわな格好で扇情的な視線を投げかけている。建
物から漏れ聞こえてくる声も、嬌声が多い様だ。
「やれやれ、むなしいねぇ。そんな所にお嬢を案内したりはしませんよ」
 ツェットが溜め息を吐く。ミヤはもう諦めたのか、素知らぬ振りだ。
「常識はずれに大きなドワーフ、怪しげな武戦士、おまけにエルファ。いかにも胡散
臭げな団体を、快く泊めてくれる所なんて多くはないですよ。さっきの騒動が伝わっ
てる可能性だってありますしね。ここは古い友人が経営してましてね、おまけに料金
も安い」
『一番胡散臭いあんたに言われたくないわよ』
とのミヤの呟きをかき消すように、
「へぇ、まあ、泊めてくれるなら何処でもいいですよ。ね、ファル兄」
 ルディが不自然なほどの明るい声を出す。
「そうだな、どうせ今晩だけだ。明日はアシュトンへ出発するし」
「是非も無い」
 ヨギが呟く。ちなみに右目の周りには、夜目にも鮮やかな青痣がくっきりとついて
いた。ミヤを制止しようとして、何処からか飛んできた椅子(!)を顔面で受けたの
である。
 セドウ・ヨギ。その頭上には今日も不幸の一番星が、柔らかな光を投げかけている
のであった。
「それに、お楽しみもあるんですよ」
 ツェットが含み笑いをしながら言う。少し、いや、かなり不気味である。
「そ、それって何ですか」
 よせばいいのに問い返してしまうルディ。心なしか片頬が引き攣っていたりする。
「聞きたいですか」
 さらに深い笑みを刻みながら、ツェットがルディの顔を覗きこむ。『悪魔の誘惑』。
そんな題名を付けたいくらいである。
「聞きたいような、聞きたくないような…」
 思わず引いてしまうルディ。だが後半の台詞は、ツェットの耳には入らなかったよ
うだ。
「カジノがあるんですよ」
 囁くように言うツェット。その眼は爛々と輝いている。
「カジノ、そしてギャンブル…。ああ、何と甘美な響きよ。言うなればそれは咲き乱
れる満開の花が滴らせる香り。そして私の心は蝶の様に引き寄せられ、虜にされてし
まう。罪深きは彼か我か。知力と技術の限りを尽くして戦うそこには、背中で泣いて
る男の美学が存在し、そして戦い抜いたその先には、黄金色の報酬が待っている。さ
あ、いざ行かん!戦いの花園へ!」
 妙な抑揚を付けて一気に語ると、ツェットは奇声を挙げながら宿屋へと失踪して行
った。
「…やばいよ、完全にイッちゃってる」
 ミヤがツェットを指差して言うその脇では、ベヴェルが頭を抱えていた。
「あの人も、アレさえなきゃあね…」
「さよなら、ツェットさん。君は、別世界の住人だったんだね」
 妙に穏やかな表情でルディが呟いた。
「なんか、俄然元気になったな、あの人。でも、面白そうじゃねぇか。上手く行けば
さっきの借りを返した上に、乏しい路銀の足しになるかもしれねぇ」
 顎を摩りながらヴァルが言う。その言葉に頷きながらミヤが、
「そうか、そういう考え方もあるのか。楽しそうだし…、一丁、やってみますか。宜
しいですね、ヨギ様?」
「…カジノか、これもまた試…ゴホッゴホッ」
「大丈夫ですか、ヨギさん」
 突然咳き込んだヨギにクローバーが声を掛ける。
「ああ、すまん、大事無い」
「よっしゃ、行くぜ!」
 意気込むヴァルを先頭に一行は宿屋へと向かった。

        2

  翌朝のことである。
「こりゃあ、少し荒れるかもしれませんねぇ」
 ディリスの港から見える沖を眺め、ツェットが言った。
「え、そうなんですか」
 隣を歩いていたルディがくぐもった声で聞き返す。その顔には彼の代名詞とでも言
うべき仮面が被せられていた。昨日、宿屋の地下のカジノに展示してあった物を、主
人に頼み込んで譲ってもらったのである。もっとも代償として、ステージ上で芸を披
露させられたのだが。ルディの背負い袋の中には、他にも三つの仮面が仕舞い込んで
ある。
「ああ、港は凪なんですがね。ほら」
 ツェットが指差す方向を見る一同。港から見る限りは凪の様相を呈しているが、な
るほど、沖の方にはうっすらとだが灰色の雲が棚引いているのが見て取れた。
 一向はアシュトンへと向かう為に、まだ陽も昇らぬディリスの港へとやってきてい
た。夜明け前だというのに周囲は荷物の水揚げをする交易船の船員達の掛け声や、商
談・情報交換に励む商人達の挙げる声で賑やかだった。他の港町と異なるのは、周囲
に女性の影が見られることである。これも建国のエピソードから頷けることではあっ
た。
「船酔いはきついからなぁ」
 ファルが嘆息混じりに呟く。元々丈夫とはいえない体質の彼は、乗り物という乗り
物全てに弱かった。帝国から群島に渡ってきた時に出会った嵐を思い出し、げんなり
とした表情になる。ふと、隣を歩くミヤと眼が合う。二人の間に、眼には見えない何
かが、確かに通い合った。
「「はぁー」」
 二人の溜め息が重なる。
「でも、陸路を行こうとすると結構掛かっちゃうんでしょ、ツェットさん」
 ルディが尋ねる。
「そうですねぇ、懐具合と時間に相談といったところですかねぇ」
 本島北に位置するディリスから、東に位置する本島最大の街であるアシュトンまで
は、海路で上手く風を捕まえたとして、およそ三日ほどかかる。南北に山脈が走るこ
の島においては、海路が主要な交通機関として使用されている。その為、一日に何隻
もの船が港に出入りする。懐に余裕のある者は定刻に出発する客船を利用し、そうで
ない者は商船の貨物室等に交渉して乗せてもらう。
 対して陸路は天候に左右されないという強みがあるものの、先の内戦で街道が破壊
・封鎖された為に整備する者も無く、荒れ放題の状態が続いていた。停戦条約締結後
はいくらかは整備されつつあり、馬車の定期便も走るようになってきた。だが、山間
を通る為に土地の起伏が激しく、徒歩で進むには慣れた者でないと厳しい。アシュト
ンまでは徒歩で一巡りほど、馬車を利用して四日ほどである。ただ、馬車の方は船に
比べて料金が高いのが問題であった。
「なあ、それで具体的にどれくらいが相場なんだ?」
 ヴァルが自分の財布の重さを確かめながら尋ねる。
 ツェットがそれに答える。

 パサッ。
 乾いた音がしたのを聞きつけたベヴェルが見たのは、無表情のまま立ちすくむヨギ
と、彼の手から滑り落ちたのであろう財布。
 海風に飛ばされそうになる、悲しいほど軽いそれを拾い上げながらヨギが呟いた。
「…また、体で支払うしかないのか…」
「! ヨギさんて、そういう趣味の方だったんですかっ!」
 聞きつけたベヴェルが一瞬にして3メルーばかり飛び離れた。髪に挿した薔薇が落
ちそうになるのを、右手で支える。昨日『船長』からもらったそれである。一日が経
過しても萎れることはなく、花弁は瑞々しいままであった。何らかの魔法が掛けてあ
るのかもしれない。
「って、おいヨギ、誤解を招くような言い回しをするな。あー、なんだ、その、奴が
言ったのはですね、荷役をして不足分を穴埋めするということで…」
 ヴァルが慌てて訂正するが、ベヴェルは疑う様な視線でヨギを見たままだった。
 ヨギとミヤはカルシファード侯国の出身である。とある事情によりヨギの仕えてい
たお家は断絶、犯罪者として追われる身となり鎖国状態の国を出奔(無論、違法行為
である)するも、乗っていた船が帝国の軍船に拿捕されてしまう。何とか脱出したも
のの迷い込んだゼクス共和国では部族間の紛争に巻き込まれてまたもや逃亡を余儀無
くされ、流浪の果てにペテル=トルアへと辿り着いたのである。ペテル=トルアは元
来が港町であり、人の出入りが激しく、二人の異邦人にとっても(比較的)住みやす
い場所であった。帝国が支配するようになった今でも、リャノを始めとする赤の月信
者が多いのもその一因である。「紅碧戦争」の勃発、「赤の月」信仰禁止令等の困難
な状況下にあっても彼らが生き延びてこられたのは、この街だからこそであろう。
 ドワーフの中でもその身体的特徴により異端視されていたヴァルと出会えたことも、
彼等にとっては幸運だった。マイノリティである者同士、また、互いを武辺に生きる
者と認め合った彼等は奇妙な共同生活を送るようになった。ヴァルの通う道場はガヤ
ン神殿に属しているにもかかわらず、ヨギとミヤを居候として認めてくれたのである。
 ヨギは武器を持つ者との戦いにおける練習相手として、ミヤは道場における雑用一
般をこなすことで何とか口を糊するだけの給金を与えられていた。故に余裕のある生
活とは決して言えず、今回の群島への旅費も彼等が持つ唯一の財産、即ち己の肉体を
労働に供せざるを得なかったのである。
「昨日、儲かっていれば良かったですね」
 周囲を物珍し気に眺めていたクローバーが言う。彼は部族の長老からかなりの額の
金貨を持たされていたが、それを馬車代に回すつもりがないらしく、ルディとファル
に付き合っていた。
「そうですね、結局儲かっていたのはツェットさんだけでしたからね」
 ルディがファルをちらりと見ながら返す。ルディの言葉通り、昨日カジノで稼げた
のはツェットのみであった。そして、他の面々が一度試しに賭けて負けたのを期に部
屋へ下がった後も、一人、ツェットと共に残っていたのがファルであった。
 ファルはギャンブルの経験は全く無かったが、初めて挑戦したそれで儲けてしまっ
たのである。そこで止めておけば良かったのだが、ツェットの興奮に引き摺られたの
か、はたまた故郷バドッカの先輩神官の言葉「ペローマの論理は、タマットの直感を
凌駕する」を思い出したのか、のめりこんでしまったのである。
 確かに最初の数戦は勝てた。が、それに気を良くした大金を賭けたゲームでファル
は負け続けた。経験の無い彼には、店がその様にして客から金を巻き上げるという、
勝負の駆け引きを心得ていなかった。帰りが遅いのを心配して見に来たルディが見た
ものは、有り金全部をはたいて大勝負に出ようとする兄の姿であった。なんとか引き
下がらせたものの、兄の所持金はかなり減ってしまっていた。
「大丈夫ですよ。昨日船長とは話をつけておきましたから、多少は割り引いてくれま
すよ」
「昨日ですか?いつ、そんな交渉をしたんですか?」
 カジノで夢中になっていたツェットを見ているルディが、不思議に思い尋ねる。
 その質問に対するツェットの答えは明確であった。
「いやぁ、昨日のカジノで偶然出会いましてね、丁度、アシュトンに向かう船の船長
さんに」
「納得」
 ルディは深々と頷いた。

        3

「あーっ!昨日の人!」
  一行より先を歩いていたミヤが素っ頓狂な声を挙げる。彼女が指差したその先には、
その大声に振り向いた一組の男女の姿があった。
「あら、本当ですわ」
 ベヴェルが相づちを打つ。
「ツェット、あの金髪の女性が昨晩、私を助けて下さった方ですわ」
「そうですか、そりゃあ、お礼を言わないといかんですねぇ」
 二人の会話が聞こえたのであろう、怪訝そうにこちらを見ていた女性の瞳に理解の
光が宿る。
「ああ、あんた達は昨日の酒場の」
「お嬢がお世話になったそうで」
 ツェットがペコリと頭を下げる。それにちょっと面食らったのか赤面しつつ、
「ああ、別にかまいやしないよ。ああいう酔っ払いの扱いには慣れているからね」
 さらりと言ってのける少女。
「はあ」
 どんな扱い方なんだろう、とツェットは思った。が、懸命にも口に出すことは無か
った。
「それより、後始末の方が大変だったんじゃないの?」
「ええ、あなたが逃げ…!」
 ツェットの台詞を、足を踏んで阻止したベヴェルが尋ねる。
「あのぉ、どちらへ向かわれるのですかぁ?」
「ん?ああ、船でアシュトンへ向かうつもりだったんだけど」
 ここで傍らに立つ男に視線をやり、
「海が荒れるかもって言うから、悩んでんのよね」
 と、肩を竦める。それを聞いたミヤとファルが視線を交わす。足の痛みから立ち直
ったツェットが、一同に男を紹介する。
「こちらの方は我々が乗せて頂く予定の船、『海のアヒル』号の船長、マートレイさ
んです」
 めいめいがお辞儀するのを鷹揚に受けるマートレイ。
「あのぉー。荒れるって、そんなに激しくなりそうなんですかぁ?」
 あまり船に揺られたことの無いベヴェルが尋ねる。酔いによる気持ち悪さは我慢す
れば良いのだが、彼女にとってはせっかく食べた美味しい料理を無駄にしてしまう悲
しさと、それ故の空腹を埋める為の出費が痛かった。
「いや、それほどでもないと思うんですがね。嵐にまでにはならないだろうし、普段
よりちーっとばかし揺れる程度でさぁ。まあ、揺り篭みたいなもんさね」
(その揺らし方が問題だと思うんだけど)
「何か言ったかい、お嬢さん」
「いいえ、何でもありませんの」
 船長の問いに笑顔で答えるベヴェル。船長の方もそれほど気に留めずに、少女に向
き直った。
「んで、どうするんですかい」
「そうね…。やっぱり陸路を行くことにするわ。あたしは大丈夫なんだけど、連れが
ね。あの子、お嬢様育ちだから」
 腕組みをしながら少女が答える。話し掛ける切っ掛けを待っていたルディは、
「お連れの方って、昨日の黒髪の女性のことですか?」
と尋ねた。
「ああ、あなたとは昨日、話をしていたわよね」
「ええ。お名前をお聞きしても宜しいでしょうか」
 あくまで紳士的に尋ねるルディに対して、
「そうね…。『二度目は偶然、三度目は必然』って、あたしの先生の言葉なんだけど。
もう一度逢えたらその時に、ね」
 少女はそう答えるとくるりと身を翻し、朝の喧騒が響く雑踏の中へと姿を消した。

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