Symphony or Damn≫Act 1: Symphony or Damn?≫ChapterI≫2


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「それで私は紫の群島の集落に手紙を届けに来たのです」
「ふむ、それはまた大変なことですな」
 目の前のエルファに相づちを打ちながら、ファランディオ・ロッドはゴブレットの
エール酒を飲み干した。
 ファルは知識と理性を司る、ペローマ神の神官である。知識に対して貪欲であれ、
との教義通り、ファルは「言葉」と言うものに対して並々ならぬ好奇心を持っていた。
共通語の発祥の土地である紫の群島の言葉、それも地方ごとに異なる「方言」を整理・
体系化し、太古の世界を想像すると言う研究テーマのもと、遥々バドッカから旅をし
てきた。三日前からこのディリスに滞在しており、神殿の文献調査や口伝を書き留め
たりと忙しい日々を送っていた。今は、同伴者である弟のルディを待っているところ
だった。
 酒場兼宿屋であるこの「紫の煙」亭は、今夜も喧騒に満ち溢れていた。船乗り上がり
の主人(ちなみに店名の由来は、主人のヘビー・スモーカーぶりにあった)である由
縁か、その利用客の大半は商船の船員をはじめとする船乗り、護衛である傭兵達であ
った。逞しい男達の蛮声が響く中にあって、どちらかといえば繊細なファルの居心地
は良くはなかった。しかし、財布の中身とルディの「面白い話が聞けていいじゃん」の
言葉のお陰で、この宿を選ばざるを得なかったのである。
 日中は別行動を取っているルディと、いつものように夕食時に待ち合わせをしてい
ると、自分同様に肩身が狭そうに片隅でサラダを食しているエルファに気がつき、相
席を申し込んだのである。
 色白のエルファはクローバーと名乗った。聞けばリアド大陸最大のエルファの集落
があるサイスの森出身だと言う。その氏族はレスティリ。癒しをもたらす薬木レステ
ィリと、魂の運び手たる豹を祖霊とする。氏族の役割は治癒と葬儀。その際に死者の
魂を、その帰還する場所である月に送る為に使われるのが弓であり、故にレスティリ
氏族のエルファは弓に長じている者が多い。
 大多数のエルファに共通するように、クローバーも祖霊動物である豹の毛皮を身に
纏っていた。
「明日の船でアシュトンに向かいます。部族の森がある島には、その街から船で行け
るそうですから」
 クローバーの台詞に、ファルは
「そうですか。じゃあ、宜しかったら一緒に行きませんか?私も明日、アシュトンに
行こうと思っていたんですよ」
と答えた。
 実際この三日間で、この街で出来ることはあらかたし尽くした感があった。収集し
た知識は全て、傍らに置いてあるフィールド・ノートに書き込んである。高価なドワ
ーフ製の紙を束ねて綴じたもので、ファルの宝物であった。
「本当ですか。それは、こちらから是非ともお願いします。人間社会のことは一応勉
強したつもりなんですが、まだ不慣れな部分が多くて」
 クローバーが嬉しそうに言う。現在の二人の会話も、エルファ語によるものだった。
クローバーの共通語はぎこちなく、多少聞き取りづらい部分もある。
「やあ、ファル兄。お待たせ」
 ファルの隣に、マントを翻しながらルディが腰掛ける。
「ああ、ルディ。お帰り。紹介しよう、こちらクローバーさん。エルファの方だ」
 クローバーが慣れないお辞儀をする。
「エルファの方って、見れば分かるよ」
 とぼけた兄の言葉に苦笑しながら立ち上がり、
「はじめまして、ファルの弟のルディウスと申します。ルディって呼んで下さい、ク
ローバーさん」
と、流麗な仕草でお辞儀をした。
「私もクローバーで良いですよ」
 クローバーがにこやかに返した。
「すみませんが、相席お願いできますか?」
 奇妙な三人組に話し掛ける声がした。見ると小柄な少女がお下げ髪をいじりながら、
テーブルの脇に立っていた。
「ええ、構いませんが」
 他の二人には確認も取らずに、ルディが即答する。常日頃から女性には優しく、と
心に戒めているルディにとって、相席などどうって事はない。
「ありがとうございます」
 頭が膝に着くかと思われるほど深々とお辞儀をした少女は、入り口の方に戻りなが
ら叫んだ。
「ヨギ様、ついでにヴァル、席が取れました」
 少女     即ちミヤの呼び掛けに応えて、ヨギとヴァルがミヤの傍に歩み寄る。
ミヤの叫び声が、周囲の視線を集めた。ルディ達三人に奇妙さと言う面では、勝ると
も劣らない三人組みだった。周囲の喧騒がその刹那、姿を消す。
 独特の雰囲気を醸し出している長衣の男と、その手に携えられている奇妙な反りを
持った武器。ドワーフとは思えないほどの体格をした男は、挑みかかるような肉食獣
の笑みを浮かべて周囲を睥睨している。そして、その間にいる(未成年らしき)少女。
確かに、良くも悪くも注目を集めざるを得ない三人であった。
「あなた方、カルシファードからいらしたんですか?」
 周囲の雰囲気を全く感じ取っていない、ファルの言葉。ヨギの持つ刀に目を留めた
のであろう。
 その言葉を合図にしたかのように酒場内の空気が元に戻り、喧騒が戻ってきた。
「いや、俺は帝国の出身だよ。こっちの二人は…まあ、そんなもんだな」
 いち早く席に腰を落ち着けたヴァルが答えた。
「へぇ、僕達二人は、グラダスのバドッカから来たんですよ」
「え、帝国を渡ってきたの?」
 ミヤが手にした刀をテーブルに立て掛け、ヨギの隣に腰掛けながら尋ねる。
「ええ、まあ。赤の月信者に対する弾圧を目の当たりにしてきましたよ。決して賛同
できるものではないですね」
 ルディが嘆息混じりに答えた。道中は「赤の月」信者であることを隠す為に、シャ
ストア神殿より賜ったマントを荷物の奥底に隠し、兄と同じペローマ信者として通し
てきたのだった。直接被害に遭った場面こそなかったものの、赤の月信者に対する圧
政は至るところにその暗い影を落としていた。
「おい、ヨギ。あまり無茶な注文をするなよ。それでなくたって路銀が乏しいんだか
らよ」
 席に着くなり品書きを食い入るように見つめていたヨギに、ヴァルが窘めるように
声を掛ける。
「うむ。すまんがこの子牛のスカル茶煮と、メルヴィラ魚の刺し身、それと…」
「って、聞けよ、おい!」
  注文を聞きに来た店員に告げるヨギを慌てて制止するヴァル。
「何を言っているのだ、ヴァル。紫の群島に来ての最初の食事だぞ?豪華に行かなく
てどうする」
  普段は寡黙なくせに、飯のこととなると途端に饒舌になるヨギ。見かねたミヤが、
「あのぅ、ヨギ様?」
と割って入るが、
「そう、思うよな、ミヤ」
 一語一語に力を込めて言われて、沈黙。
「ヨギさん、ですか。この料理も結構いけますよ」
「む、そうか、それは是非とも食せねばならんな。シャストアの方よ、他にはどれが
お勧めか」
「だーっ、勘弁してくれよ兄ちゃん。こいつは痩せの大食いを地で行く『歩く底無し
胃袋』なんだぜ。最初に言っておかないと、とんでもない額を請求されちまうんだ」
「うるさいわねぇ。あんただってヨギ様の倍は食べるじゃないの」
「あん?ヨギが小食なだけだろーが」
 賑やかに騒ぐ人間達を見つめ、クローバーはにこやかに杯を空けた。

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「あのぉ〜困りますぅ。連れを待っていますんでぇ」
 賑やかな夕食が済み、食後のお茶を楽しんでいたルディの耳に、そんな言葉が飛び
込んできた。
 声の主はどうやら、カウンターに居る少女らしい。この酒場には不釣り合いなほど
に少女趣味の洋服を着ている。その周囲を、数人の男が囲んでいた。
 男達は相当量の酒をきこしめているらしく、ろれつの回らない口調で話し掛けてい
る。全員が皮のベストに麻のズボン。むき出しの二の腕はよく日に焼けており、どこ
ぞの船員といった風体をしていた。

(ちっ、しくじったわね)
 ベヴェルは内心、舌打ちをしていた。
 ガヤン神殿でツェットと別れた後、情報収集の為に(という名目の観光で)街を歩
き回り、目に付いた船乗り達の集まりそうな酒場に入ったのが間違いだったらしい。
最初は人の良い商人から海賊の噂話を聞いていたのだが、いつの間にか男達に周りを
囲まれていたのだ。商人の姿は既にない。
 いつもなら変装用の衣装に着替えてから行動するのだが、今回に限ってその手間を
惜しんでしまった。今のこの服は、この酒場の雰囲気には実にミス・マッチなもので
あった。荒くれ者の船員が普段お目にかかれないようなお嬢様に相対した時、こうな
るのは目に見えていた。

「ねぇねぇ、そんなこといわずにさぁ。俺達と飲もうよ」
 ベヴェルの意識的なそれとは異なる理由で間延びした声。馴れ馴れしく肩に回って
くる手をさり気なく躱しながら、
(鼻の下、伸ばしてんじゃねぇよ。気色悪い声だしやがって)
「でもぉ…」
 心の声を押し隠して、演技を続ける。
 物心着いた頃から、ベヴェルは「お嬢様」を演じるようになっていた。その理由は
分からない。深く考えたこともない。ただ、世の中の大半の者は、ベヴェルの言葉づ
かいや動作、衣装に親しみを抱いてくれる。タマット信者に必要な情報収集の技能と
して、ベヴェルはこれを利用していた。
「ちょっとくらい、いいじゃん。ね」
 髭を生やした男が、腕を掴む。
 ねっとりとしたその感触に、思わずベヴェルの瞳に剣呑な光が宿る。

 少女の腕を男が掴んだ。
(嫌がってんじゃないか、見てらんない)
 ルディが思わず立ち上がろうとした、その時だった。

  カッポーン。

 その音は酒場の喧騒にあっても、妙に響き渡った。音を追う様に、金色の光が宙を
舞う。
「何、何なの?」
 音に驚き思わず素に戻ったベヴェルが見たものは、宙を舞うゴブレット。そして、
目の前でゆっくりと崩れ落ちて行く男の姿であった。金メッキされたゴブレットは、
くるくると回転しながら、呆然としているベヴェルの手の中にすっぽりと収まった。
「何しやがる!」
 倒れた男の連達が一斉に振り返る。その視線の先には、中腰のまま固まったルディ。
突然、荒くれ者四人の厳しい視線を受けて混乱したのか、
「ぼ、僕じゃないっすよ」
慌てて首と手ばかりか、全身で否定する。
「嫌がってる女の子相手に、大の大人が何やってるのよ。みっともないったりゃあり
ゃしない。それでもあんた達海の男なの?リャノ様はそんなざわめきをお認めになっ
ていないわよ」
 ルディの前のテーブルから立ち上がった女性が言い放つ。その動きに合わせて腰に
付けられた大き目の鈴が、涼しげな音色を響かせる。ざわめきと流れを司るリャノ神
は、その性格から船乗り達の信仰の対象となっている。そしてその聖印とされるのが
鈴であった。どうやらこの女性はリャノ信者であるらしい。
「大体あんた達、女を口説くんだったらそれ相応の身だしなみってもんがあるでしょ
うが。半年も洗っていないような服着て、酒の勢いを借りなきゃ声も掛けらんないの?
まあ、あんた達がいくら着飾ったって、引っかかる女は皆無だと思うけどね」
 次から次へと罵声を浴びせ掛ける女性。なまじその声が鈴の音を転がすような美声
であるだけに、こうまで威勢がいいと小気味が良い。もっとも、言われている方には
たまったものではないだろうが。少女が動くその度に、腰に付けられた大き目の鈴が
揺れた。
(あれ、あの女性は広場で…)
  ルディがそんなことを思った時、
「ふむ、何か論点がずれてきているな」
 ファルがのんびりと解説した。確かに絡まれていた少女に対する仲裁の域を越えて、
喧嘩を吹っかけているとしか思えない。
「さっきから黙って聞いてりゃあ…。てめぇはお呼びじゃねえんだ、すっこんでろよ」
 男達がやっと口を挟めたようである。しかしすぐに、
「すっこむのはあ・ん・た達よ。あんた達みたいな無知蒙昧な輩と話しているだけで
も、目が腐る・耳が腐る・口が腐るわ。こう言ってもどうせわかんないんでしょ?中
身の少ないその頭でも理解できるように、何だったらこの拳で教えてあげましょうか」
女性が挑発するような手招きと共に辛辣な台詞を吐く。
「いやぁ、ルディでもあそこまで人を怒らせるのは難しいだろうな」
  またもやファルが呑気に呟き、お茶を啜った。
女性は次々と痛罵を浴びせる。その傍らに座る女性が必死に袖を引いているが、お
構いなしだ。その女性とルディの眼が合う。
(あれ?やっぱり)
 女性も一瞬、驚いた表情を浮かべるがすぐに微笑み、ルディに向かってお辞儀をす
る。その時も服の袖は離さない。思わずお辞儀を返してしまうルディ。その間も男達
と女性の睨み合いは続く。
「おう、やってもらおうじゃねぇか!」
 とうとう堪忍袋の緒が切れたのだろう。激昂した男の一人がベヴェルの持つゴブレ
ットを取り上げると、女性に向かって投げつけた。
「ガハッ」
 だがそれは目標を逸れ、「我、関せず」とお茶を飲んでいたヨギの後頭部に命中し
た。
「ヨギ様!」
「がっはははははははっ」
「ふむ、これは痛い」
「治療、すべきか?」
 テーブルに突っ伏したまま動かないヨギ。その隣に暗雲が垂れ込める。
「誰? 今、投げたの」
 ミヤがゆっくりと立ち上がる。その表情は前髪が隠している為に伺えない。その口
調はとてもゆっくりとしたものではあったが、抗えない何かをルディは感じ、
「あ、あいつ」
 思わず指差していた。
「うふ、うふふふふ。いい度胸しているわね。あたしのヨギ様を傷つけるなんて」
 呟くような低い声で言うミヤ。その瞳が危ない光を宿して輝く。
 自分の世界に浸ってしまっているミヤは気が付かなかったが、「あたしの」と言っ
た時点で、ヨギは大きく首を振っていた。薄れていく意識を繋ぎ止めるような、大事
な何かがその台詞には含まれていたらしい。
「喰らぇーっ、天誅! ケチョウ蹴りぃーっ!」
 ミヤは近くの柱に向かって跳躍すると、柱に当たった反動を利用して一気に飛翔。
ゴブレットを投げつけた男に蹴りを入れた。
 ちなみに『ケチョウ蹴り』とは、カルシファードのある島にのみ生息する怪物、怪
鳥(ケチョウ)をその語源とする。この体長3メルーを超す鳥に似た怪物は翼が退化
した反面、ミュルーン同様にその脚力が異常に発達しており、外敵の襲撃をその脚力
で持って防ぐのである。なお、カルシファードの一部地区では素手で相手をぶちのめ
すことを、この怪物の名前から「ケチョン・ケチョンにのす」と言う。(ミン・ミン
メイ書房刊『世界の格闘技大全』より)
 カウンターとミヤとの足に挟まれ、悶絶する男。その隙にベヴェルは男達の包囲網
から抜け出ている。無論、去り際に倒れている男の無防備な鳩尾に足を落とすのを忘
れない。
「なにすんだ、てめぇ!」
 男達がミヤに躍り掛かろうとするが、ミヤはすばやく身を沈めると先頭の男の足を
払う。勢いの付いていた男は、もんどりうって隣のテーブルに頭から突っ込んだ。
「楽しそうだな、俺も混ぜろや」
 ヴァルはそう言うと、テーブルに突っ込んだままの男を持ち上げ、男達の方へと投
げ返した。
「む、喧嘩はいけませんぞ、ヴァルさん」
 制止するファルだが、無論、血が騒ぎ出したヴァルにその声は届かない。果物を頬
張りながら、そんな人間達を不思議そうな眼で見つめるクローバー。
 関係の無い者まで殴り合いに参加し、店内はもはや収拾のつかない状態となってい
った。

「やめんかー!」
 その怒鳴り声に、半ば暴徒と化していた客達の動きが止まる。良く通る、そして人
に命令するのに慣れた声だった。
 店内は料理が散乱し、椅子が転がりテーブルは半壊で、まともな状態のものを探す
方が難しかった。惨澹たる有り様である。
 声の主は今し方、扉を開けて入ってきた男だった。
 麻の上下を上品に着崩しているのが、日に焼けた肌に良く似合っている。シャツを
盛り上げる筋肉は、堂々たる存在感を持っていた。
 男はそのまま店内を一瞥すると、カウンター内の主人に事情を聞き始める。
「船長、これは…」
 最初にベヴェルにちょっかいを出した男が語ろうとするのを、
「貴様には聞いておらん。黙っておれい」
と一喝。主人から事情を聞き終えると、男達に向かって叫んだ。
「整列!」
 弾かれたように一列に並ぶ男達。心なしか、その表情は蒼ざめている。
「船長として、貴様らに制裁を加える。歯を食いしばれ!」
 そう言い放つと船長と呼ばれた男は、都合五人の男達の顔面に拳を叩き込んだ。周
囲の客が首を竦める程の勢いである。
『船長』はくるりとベヴェルの方に向き直ると、
「部下どもがご迷惑をお掛け致しました。お詫び致します」
 その場に膝を突き、一礼してみせた。
「あ、い、いえ」
 呆気に取られたように、またもや素に戻って答えるベヴェル。
「お詫びの印に、これを」
 『船長』は握った拳を、ベヴェルの前に差し出す。
 拳を開くと、そこには一輪の薔薇。
「まあ、素敵なお花」
「今はこれが、精一杯」
「船長さん?」
 にっこりと微笑む男。白い歯が眩しい。ベヴェルも思わず演技でない笑みを返す。
男は薔薇をベヴェルに手渡すと、
「野郎ども、引き上げるぞ!」
 号令を掛けて店から出ていった。
 それを呆然と見送る他の面々。
 後に残されたのは、言いようの無い沈黙と、壊れたテーブルと割れた皿に、ひっく
り返った料理。
「誰が、弁償するの、これ」
思わず呟くベヴェルであった。

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