Symphony or Damn≫Act 1: Symphony or Damn?≫ChapterI≫1

This performance is dedicated to all the company
who stuck with me through all the fuckin' shit
and to all those opposed...

Especially for Mr.Kanda.
If I had not met you,
I couldn't have written this.

GURPS RUNAL NOVEL
"SYMPHONY OR DAMN"

Text Reiya Maito
Illustration JUN-1
Act 1:Symphony or damn?
Chapter 1 Appetite for destruction
  
       1

 双月歴1089年。
 その日、ディリスのガヤン神殿は騒然としていた。
 「貿易都市」の名を冠されるこの街において、法と契約を守護するガヤン神殿が慌
ただしいのは珍しいことではない。だがこの数巡りは、いつにも増して慌ただしい様
子を見せていた。
 一般家屋の五倍を軽く超す敷地。地下一階、地上に二階のフロアを持つこの神殿に
は、商工取り引き等を守護する「契約の神殿」と、法の下に正義を守護する「法の神
殿」とが居を同じくしていた。地上一階のフロアが一般利用者の受付として開放され
ており、カウンターを挟んで、それぞれ担当部署ごとに机が並べられている。そのど
れもが今は未処理の書類の山で埋まっていた。
 全ての元凶は、海賊である。
 「紫の群島」と一まとめに呼ばれるが、実際はリアド大陸の西に浮かぶ大小の島々
に連立する、都市国家の総称である。双月歴1073年に興ったトルアドネス帝国が、
国体維持の政策として「青の月」信仰のみを認めたのに対し、帝国に抗する周辺三国 
    即ちゼクス共和国・ルークス聖域王国・カルシファード侯国    が「赤」
を名乗ってから、そう呼ばれるようになったのである。
 周囲を海に囲まれているという立地性ゆえに、古来より海洋貿易で栄えてきたこの
地域は、現在ではリアド大陸と、その遥か南方に浮かぶジャナストラ大陸とを結ぶ貿
易航路の重要拠点となっている。
 人間にとって未だ未知の領域である海にその富を求め、船を漕ぎ出してきた「冒険」
を歴史というならば、その富を狙う海賊達との「戦い」もまたこの地域の歴史でもあ
った。
 確かにこの紫の群島付近には、海賊が根城とするのに格好の島が点在している。襲
撃の数は増減することはあっても、無くなることはなかった。だが彼らの襲撃は、か
つてのクールヘンレントの統制・訓練されたそれとは異なり、その大半が個々の船が
独自に活動するものであった。故にその規模は大した物ではなく、傭兵(船上の人間
の他に、海中を自由に行動できる種族・ディワンが多かった)を雇ったり、船団を組
むことでその被害を小さくすることが出来ていたのだ。
 しかし最近になって、その被害が尋常なものでは無くなってきたのだ。当初は遭難
(実際、自然災害等による行方不明が毎年何隻か出ている)かとも思われたのだが、
海をあてども無く漂う船を発見した調査隊が乗り込んだ先で見たものは、甲板に点在
する血痕に代表される襲撃の痕跡のみであった。大型海洋生物に襲われた可能性もあ
ったが、それはディリスの港で保護された一人のディワンによって否定された。
 そのディワンの語ることによると、「海賊船」が原因であるというのだ。彼が水先
案内人として雇われていたのは、中型帆船三隻からなる商船団であった。その船が夜
明け前に襲撃を受けたのである。襲ってきた船は五隻。固まって夜明けを待っていた
船団を包囲すると有無を言わさずに乗り込み、乗員を殺害、積み荷を奪って行ったの
である。抵抗した者は勿論、船室に隠れていた女子供も海賊船に連行された。ディワ
ン自身は海中にいた為探索の目を逃れ、ディリスに辿り着いたのである。
 この情報はたちまち紫の群島中を駆け巡った。貿易によりその地位を確固たるもの
としてきたディリスにとっては、正に死活問題である。以後、航路の変更・大船団の
組織等の対抗策がとられたが、数の減少は僅かであった。そして、襲われる船の大半
が高価な交易品を積んだ商船であり、また襲われる船のほとんどが紫の群島の商会に
その籍を置く船であった。最大の取り引き相手である帝国四聖都の一つ、ペテル=ト
ルアの船はほとんど襲われることが無い。口さがない者は、一連の海賊騒動を帝国の
群島攻略の為の策だと言う。その真偽はともかく、「七姉妹」の名で呼ばれるディリ
スの最高議会が動き出したのは事実であった。
 百三十年前の双月歴959年、群島最大規模の島であるマーヴァール島に戦火が上
がった。それまで島を統治していたマーヴァール王国に対して、有力都市が独立を宣
言したのである。百五十年以上続いてきた王国であったが、一度混乱をきたすとその
凋落は早かった。数年に及ぶ内戦の果てに、マーヴァール王家はその力と領土の大半
を失った。以後の百年間は独立した都市同士の小競り合いが続く、戦乱の時代となっ
た。「百年戦争」と呼ばれる時代である。三十年前にようやく休戦条約が締結され、
本島には三つの勢力が残った。本島北に位置し、商業で成り立つ都市国家連合「七姉
妹都市」ディリス、本島最大面積を誇るマーヴァール連合王国、そして本島南とその
周辺の島々を領土とするレムディア公国である。
 他の二国が曲がりなりにも王制を敷くなか、ディリスは七つの都市から選出された
有力商人やガヤン高司祭で構成される議会がその統治に当たっている。この形式は大
陸を挟んだ向こう、グラダス半島の「鬼面都市」バドッカと同様のものである。「七
姉妹」の名は、七都市の連合であることは勿論、連合国家条約締結を推し進めたのが
各都市の女性であったことに由来する。
 その「七姉妹」議会は今回の海賊騒ぎに対して、連日の会議を開いている最中であ
った。

(その結果いかんでは、俺も海賊退治に駆り出されるのかなぁ)
 ガヤン入信者であるマット・ダンバーは一人ごちた。
(まぁ、書類整理よりは面白いかもな。でも、海だよなぁ。俺、酔いやすいからなぁ)
「あのぉー」
(いや、これはチャンスだよな。もしかしたら、活躍して神官に昇格できるかもしれ
ないし…)
「すいませぇーん」
(そうしたら、憧れのソード・ブレイカーが…)
「もしもーし!」
「はっ、はいっ」
 自分の妄想から現実に立ちかえると、目の前のカウンターに身を乗り出すようにし
て声を掛けている少女がいた。
 金色の髪が碧の瞳の上で揺れている。顔立ちは幼く成人したばかりのようだが、お
っとりとした雰囲気のなかなかに魅力的な少女である。フリルやレースをふんだんに
使った衣装の中でも、胸の前に付けられた大きなリボンがひときわ眼を引いた。是非、
お近付きになりたいタイプである。
(どこかのお嬢様かな)
  なんて事を考えながら咳払いを一つして、
「失礼致しました。どのような御用件でしょうか」
  自分では渋いと思っている口調でマットは話し掛けた。
少女はそれに対して何の感銘も受けなかったのか、おっとりと
「はぁ。あのぉですねぇ、レグナス高司祭様にお取り次ぎ願いたいのですが」
 と言った。レグナスはディリスのガヤン神殿高司祭にして、現在の「七姉妹」議会
の議長を務めている。五十代半ばの年齢でありながら、その行動力には些かの衰えも
無い。因みに独身女性。
「申し訳ございません。ただ今レグナスは会議に出席中で、緊急の際にしかお取り次
ぎすることが出来ません」
言いつけられた通りに答えるマット。
「あのぉ、でもですねぇ」
「すみません、規則なんですよ」
 規則だから仕方ないんですよ、僕も苦しいんですよと見える表情を作ろうと懸命に
なりながら答える。端から見ると、何か不味いものでも食わせられたかのような表情
である。
 少女の悲しそうに寄せられた眉を見て、チクリと痛んだ胸に背中を押されるように
言葉を継ぎ足そうとした時。
「むなしいねぇ」
 地の底から響くような声に、マットの手が腰に吊るされた長剣に掛かる。少女しか
目に入っていなかった為に気付かなかったが、どうやら同伴者がいたらしい。
「はるばるアシュトンからやって来たっていうのにねぇ」
 男は聞こえよがしに溜め息まで吐いてみせた。気のせいか、周囲が薄暗くなったよ
うだ。空気も心なしか、重く感じる。
「規則なんですよ」
 少女の時とは打って変わって無愛想に言い放つマット。
 溜め息を吐いた男は、壁に掲示された犯罪者の似顔絵に向かって何やら呟いている。
着ている物は、上質とまでは言えないものの、こざっぱりとして洗練された物であっ
た。だが、着ている人間が悪い。この男を見た者が感じる印象を一言で表すことがで
きる。
「どんより」
「はい?」
  少女が首を傾げて尋ねる。無意識の内に呟いてしまったのだろう、
「いや、何でもないです」
  訝しげな少女に微笑んでみせるが、唇の端が引き攣っているのは隠せない。
 男はまだ似顔絵に呟き続けている。絶対にお近付きになりたくないタイプである。
 街で出会っていたら、間違いなく職務質問・任意同行を求めているところである。
「もしかしてぇ、いらっしゃらないんですかぁ?」
 考え込むかのように黙ってしまったマットの顔を、覗きこむ様にして少女が尋ねる。
その思わぬ近さにドギマギしながら、
「いや、そんなことは…」
と正直に答えてしまう。
「じゃあ、アシュトンから『黄金の蝙蝠』の使いが来ているっ、てだけでも伝えて頂
けませんか」
 にっこりと笑いかけ、マットの目を見詰める少女。と同時にマットの手を包み込み
ように自分の手を重ねる。効果覿面。
「あ、あの、じゃあ、一応、伝えてきますね」
 赤面した顔を俯けて、マットは奥へと消えた。
『ふっ、ちょろいわね』
 少女は呟き、カウンターの向かいにある来客用ソファに腰掛けた。ようやく満足し
たのか、似顔絵に語り掛けるのを止めた男が隣に腰を下ろす。
 慌ただしい動きを見せる神殿内で、二人のいる空間だけが異質だった。何人かはこ
の奇妙な二人組に視線を投げかけるが、すぐに自分の仕事へと戻って行った。
「ねぇ、ツェット。あんまり真面目な人をからかうもんじゃないわ」
 小声で少女が隣の男に話しかける。その口調は先程ののんびりしたものとはガラリ
と変わり、鋭いものだった。
「ベヴェルお嬢こそ、純情な青年をからかうもんじゃないですよ」
 ツェットと呼ばれた男が返す。こちらはほとんど唇が動いていない。
「なによ」
「なんですか」
 不毛なにらみ合いが暫く続いた後、
「ねぇ、今の人さ、『黄金の蝙蝠』と聞いても何の反応も見せなかったわね」
 少女     ベヴェルが気を取り直して尋ねる。
「まあねぇ。あの人が活躍したのは、もう三十年以上も前のことっすからねぇ。それ
に表立ってってわけでもないし、今の若い人たちが知らなかったとしても仕方ありま
せんや」
 『黄金の蝙蝠』はベヴェルの祖母にして、タマット高司祭にしてマーヴァール連合
王国諜報部最高顧問の肩書きを持つミネの二つ名である。彼女は三十年前の動乱の中
で和平交渉を実現させ、一部に『英雄』と目されている人物でもある。そんな祖母の
話を聞かされて育ったベヴェルにとっては、憧れると同時に目標とする人物でもあっ
た。
「ふーん。ま、いいわ。いつかあたしがその名を継いでみせるから」
 思わず拳を握ってしまうベヴェル。それを見てまたもや溜め息を吐きながら、
「お嬢、あんまり無茶せんといて下さいよ。フォローすんのも結構つらいんすよ」
「あたしがいつ…」
「しっ。戻ってきたようっすよ」
 ツェットの指摘に高くなりかけた声を落とすベヴェル。いつものボーッとした表情
に一瞬で戻る。
「あ、お待たせ致しました。レグナスに伝えましたところ、是非お会いしたいとのこ
とです」
 ベヴェルだけを見つめて、マットが声を掛ける。ツェットには見向きもしない。
「こちらへどうぞ」
「ありがとう、ございますぅ」
 マットに向かって礼を述べながら、二人は奥へと進んで行った。

        2

 夕暮れの港に程近い広場。
 リャノの時間も半ばを過ぎると家路を急ぐ者や、夜勤で港に向かう人々が忙しなく
通り過ぎる。頃を同じくして居並ぶ露天商達も一日の売り上げを集計し、店をたたみ
 それぞれの塒へと帰って行く。
 だが今日は夕闇を流れる旋律が、そんな人々の足を止めさせていた。

 広場の中央に設けられた噴水。中央にはリャノ神像が精緻な細工で飾られている。
噴水から巻き起こる水煙が夕日を反射して煌きを放つ。それを浴びて踊る一組の男女。
紳士・淑女と呼ぶにふさわしい、優雅な動き。そこに乱入する道化師。光の粒子がそ
の顔に被る仮面を滑り落ちる。道化師によってそれまでの粛々とした雰囲気は壊され、
一転して恋愛喜劇調に変化してしまう。
 道化師の仮面からのみ台詞が聞こえ、男女は沈黙したままで演技を続けている。大
袈裟な調子で振る舞う道化師は、おそらく物語と伝承を司るシャストアの信者なので
あろう。マントを翻す仕草には、シャストア信者に共通する動きが見て取れた。
 物語は道化師が恋に破れ、失意のまま旅に出るところで幕が下りた。周囲の観客は
幾ばくかの報酬と拍手を残し、立ち去って行った。
 深々と一礼していた道化師は、いつまでも拍手が鳴り止まないのを不審に思い顔を
上げた。見ると一人の女性が熱心に拍手をしていた。腰まで伸ばした真っ直ぐな黒髪
が、夕日を受けて眩しく輝く。年の頃は十七、八。色白で、たおやかな印象を与える
女性だった。故郷バドッカにいるであろう、あの人に似て。
「素晴らしかったですわ、とっても。ええと…」
「あ、僕はルディウス。ルディウス・ロッドって言います」
 少女の言葉に応えながら道化師は仮面を外した。外に現れた顔はまだ少年の面影を
強く残している。青い大きな瞳が、一層その印象を強めているようだ。柔らかそうな
金髪が、港から運ばれてくる潮風に吹かれて揺れている。
「ルディウスさん。ええと、こちらの方々は…」
 少女の言葉の途中でルディは指を鳴らす。その音と同時に恭しく一礼して、男女は
少女の目の前から消え失せた。
「まあ」
 驚く少女に微笑みかけるルディ。彼の共演者達は、幻覚の呪文で作られた存在だっ
たのである。ルディが使ったのは幻覚系の呪文をよくするシャストア信者の中でも、
神殿に認められたのみが修得を許される、より高位の呪文であった。
「ルディって呼んで下さい」
 まだ口を開けて驚いている少女にルディが声を掛ける。少女はやっと驚きから覚め
たのか、
「あ、はい、ルディさん。ええと、さっきの、本当に良かったですわ」
と答えた。
「そうですか、ありがとうございます」
 少々複雑な思いをしながらも、表面上はにこやかに礼を述べるルディ。先程の詩は、
故郷バドッカでの自分自身の実体験を元に作ったものであり、そこでの自分はまさに
「道化」を演じていたからだ。その苦さは時が癒しつつあるものの、時に小さな針を
刺したかのような痛みを心に与える。
 そんなルディの口調から何かしら感じたのか、少女は言葉を繋いだ。
「私の知り会いにも歌が好きな人がいるんです。その人の影響で私もお芝居とかが好
きになったんですけど。きっと彼女もルディさんのこと…」
「ここに…いたのね…」
 二人に近づいてくる人影が一つ。駆けずり回ったらしく、息が切れている。少女の
傍まで来ると膝に手を当て、肩で息をして呼吸を整えだす。
「まあ、丁度良いところに。ルディさん、この人が先程言いかけた人で」
「あれほど私の手を放しちゃ駄目だって言ったでしょ!あんたはすぐ迷子になるんだ
から」
 おっとりとしゃべる少女を遮るように、顔を上げた少女が吠える。どうやら二人は
かなり親しいらしい。言葉と口調こそ厳しいが、そこからは相手を本当に心配してい
る様子がルディには伝わってきた。
 やっと一息ついたのか、少女は走り回ったせいで跳ねまくっている髪を軽く掻き揚
げて落ち着かせる。肩口の辺りで切り揃えられた金髪。その下で強い光を放つ瞳が、
ルディを見据えた。動きやすそうな服に包まれた肢体は、小柄だが俊敏な印象を与え
ている。
「連れが失礼致しました。さあ、帰るわよ」
 ルディに一礼するや否や、黒髪の少女の手を引く。二人はそのまま、夕闇が支配す
る街へと消えて行った。
(名前、聞いておけば良かったな)
 ルディがそんなことを思ったのは、おひねりを拾い集めた後だった。

        3

「やっと、ついたぜ」
 夕日と同じ方向に見えるディリスに入港する船の上で、ヴァルは大きく背伸びをし
ながら呟いた。
 ペテル=トルアを出港してから一巡り、ようやく紫の群島の玄関口であるディリス
に到着したのである。ここまで嵐にも遭わず、快適と言っても差し支えない船旅であ
ったが、やはり陸地が恋しくなる。
 ヴァルはドワーフと呼ばれる種族である。ドワーフはそのほとんどが鉱山の近く、
即ち大地に近しいところに生活の場を求める。ヴァルの実家も鉱山近くの洞窟内にあ
った。ドワーフは身長でこそ人間に劣るが、分厚い筋肉と頑丈な体躯を誇っている。
 だが、ヴァルの体格は種族のそれを遥かに凌駕していた。
 浅黒い肌に短く伸ばした髭。胴鎧を纏ってはいるものの、太く鍛えられた二の腕は
むき出しにされている。知らないものが見ると、人間と勘違いしてしまうだろう。頭
に巻かれている布には、青を基調とした染料で『龍』が描かれていた。天を指す太い
眉毛の下で、大きな黒瞳がディリスの港を見つめている。
「うぇーっ。きぼちわるい」
 彼の背後から一人の少女が現れる。腰に届くほどの長い黒髪を、三つ編みにして背
中に垂らしている。華奢な体つきに似合わず、背中には微妙な反りをもった武器を背
負っている。その道に詳しいものが見れば、それが『影刃』と呼ばれる武器であるこ
とに気付くだろう。そしてそれを所持する者の素性を察し、背中に冷たい汗をかくこ
とになる。
「何だミヤ、まだ船酔いかよ。だらしねぇぞ。鍛え方が足りん」
 ヴァルが力こぶを作りながら、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。
「あたしはか弱い女の子なの。筋肉ダルマと一緒にし!」
 そこまで反論しかけて、ミヤと呼ばれた少女は不意に反対側の甲板へと走り寄る。
「おーい、もったいないから戻すんじゃねぇぞ」
 屈んでいる背中に無責任な言葉を浴びせ、ヴァルは笑った。
「ちなみにダルマとは、我が祖国に伝わる偉人の一人だ。『遥か人』に教えをこうた
彼は瞑想と言う技術を継承したとされている」
 船倉へと続く扉が開かれ、長身の男が呟きながら現れる。
 踝まで隠れるような丈の長いコートの下に、厚手の皮鎧を纏っている。左手には
『カルシファード・ブレード』と呼ばれる武器を下げている。ミヤの持つそれに似て
いるが、こちらの方が反りが大きく、刀身も長かった。長い前髪が男の目元を隠して
いるが、口元を見る限りではどうやら苦笑しているらしい。
「よお、ヨギ。日課の瞑想とやらはもう済んだのかい」
「うむ」
 ヨギは簡潔に答えると、流れるような足取りでヴァルの傍らに立った。その動きは
揺れる船の上とは思えないほど、滑らかで美しかった。
「いよいよ、だな」
 ヴァルと同じく港を見つめながら、ヨギが噛み締めるように言う。
「ああ」
 ヴァルが力強く頷く。その双眸には期待と不安、そして強い決意の光が宿っていた。
「何でもいい。師匠の行方の手掛かりが掴めるなら」
 ペテル=トルア近郊の村にある、ドワーフによるガヤン神殿。そこで投破術と拳撃
術と呼ばれるドワーフ独自の格闘術を教えていたソドム高司祭は、『龍闘技』の伝承
者との噂が強かった。そんなソドムに傾倒し、修業を重ねていたヴァルだったが、ソ
ドムはある日忽然と姿を消す。同時に数人の兄弟子達も失踪していた。ヴァルを含め
て残された弟子達は必死の捜索を行ったが、彼らの行方は杳として知れなかった。
 そんなある日、海を超えて一通の手紙が師宛てに届いた。差出人の名はゴモラ。紫
の群島アシュトンの街から出されたそれを、手掛かりとして認識したのはヴァルだけ
だった。懐疑的な仲間は「手紙の差出人を尋ねたところで、師の行方が知れるとは限
らない」と制止した。が、ヴァルに迷いはなかった。目的が見えている時に自分のな
すべき事、出来ることをするというのが彼の性格であったから。
 その日の内に荷物をまとめたヴァルは、港へと向かう路上で思わぬ同行者に出会う。
ヨギとミヤであった。
 ヴァルが通うガヤン神殿の道場に居候していた二人は、それぞれの理由で(「友の
為に刀を振るうは武戦士の務め」「あたしも、行くー♪」)同行の意志を告げたので
ある。
 ヴァルの握る手すりが、小さく悲鳴を上げる。
「絶対に、掴んでみせる」
 その表情を見たヨギが声を掛けようとしたその時、
「こ〜ら〜ぁ、そこの二人!ぼけっと突っ立ってないで、上陸の準備を手伝え!金が
足りない分は、労働で支払う契約だろう!」
 船員の怒鳴り声が響いた。
 思わず首を竦めた二人。顔を見合わせると、そそくさと持ち場へと戻って行った。

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