冬の贈り物

6.それぞれのクライマックス(見せ場)

 一行が地下へと足を進め始めた同じ頃、駐車場では……。
「これで最後……と」
 満足したような声と共に、光が最後のタイヤから指を抜いていた。
 がっこん。
 そんな音を立てて車は沈むようにその巨体をゆすった。彼の目の前で、豪奢な黒い車は全てただの鉄の塊と化したのである。
 とりあえずここで果たすべき目的はこれで達成した。あとは病院内の仲間と合流するだけだ……もう1度満足げに頷くと彼は立ちあがる。その瞬間に腕は高校の制服につつまれた元のものに戻っていた。
「…………?」
 駐車場を出て玄関に回ろうとした彼が、ふっと空を見上げたのは……野生の勘だったのかもしれない。
 ――だが、その勘が彼を救った。
「われ、なんじゃあっ、こんちくしょう、なにさらすんじゃああいっっっ!!!!」
 ……多分、そんな内容の言葉を叫んでいるのであろう。通常の人間には判別できない怪音波を発生させながら、空(正確には病院の2階)から降って来る“物体”があった。
 物体はまっすぐに黒い車が止まる中心点につっこんでくる。そこは先ほどまで光がいた場所であった。幸いにも物体を認識できた光は、素早く身をかわし接触することはなかった。
「われー、うちの車に手をだすたぁ、ええ根性してやがるじゃねぇかあああっっ!!!!」
 が、物体にはそんなことは関係ないらしく、地面に着地をする前にその身をぐるりと回転させると、強烈なまわし蹴りを周囲に放った。
 ドゴガアァアアアアアァァァアアアア〜ンッッッッ!!!!
 蹴りを中心に起こった風圧は、いとも容易く周囲の車全てを鉄くずにかえた。ちなみに付近3キロ四方には、震度4クラスの振動を招いたそうである。
「……………………」
 一瞬にして毒気を抜かれた顔の光は、今は砂埃しかないその物体の落ちた辺りを凝視した。もくもくとけぶる中彼の瞳は、身長を3割増に見せている天をつくような髪型のシュルエットと、じゃらじゃらと下品にぶら下げられた光物が反射で煌めくのを認めた。
「なんじゃこりゃああああっっ!! 車が全部、壊れてるじゃねぇええかあああっっ!!」
 ……やったのは自分だろ。
 そんなツッコミを口にした光の前に姿をあらわしたのは――白金戦、その人であった。
「にぃちゃん、ええ度胸しとるのうっ!! うちの車壊してくれて、落とし前つけてもらおうじゃねぇかぁ!!! ああ?!」
 ……いや、だからやったのはお前だってば。
 むしろ、白金が車を鉄くずにまで壊しきったお陰で、光のやらかしたパンクは、証拠も何も残らなくなったぐらいだ。だが、ぼそりと呟く光の声など聞こえないらしく、白金はその場から跳ねるように一気に間合いを詰めると吼えたたけた。
「ただじゃあおかねぇぞぉっ、ゴルァアアアアアア!!!!!」
 ドゴゴオオオッンンンッッッッ!!!!
 光の胸元に白金の足が刺さる……いやよく見れば拳法の寸止めの如く、ギリギリ彼の体には触れいてなかった……が。
「……ぅ……くっっっ」
 足から自然と発生する衝撃の波は、光がレネゲイトウイルスに命じて作った獣の防御力もあっさり突き抜けて彼の体を内臓から骨からこなごなに砕いてしまった。
 吹き飛ばされた光は病院の白壁にたたきつけられる。その周囲が紙のようにめり込み、衝撃の強さを物語っていた。
「………………つ……うぅぅ」
 痛みに顔をしかめながら手で庇うように抑えた胸元は、すでに再生をはじめていた。“リザレクト”である。
「て……てめぇぇええ?! なんじゃわれ、オーヴァードかぁああ?!」
“ワーディング”の空間の中で動けている時点でそうなのだが、白金にはそんなことは考えもつかない。細かな状況なんざ、彼には意識に引っ掛けるほどでもないのだ。
「こんちくしょう、われ、勝負じゃああああああッッ!!!!!」
 光を指差して叫ぶ白金、それに対して光は……。
――
 くるりと彼に背を向けて、一目散に病院内部へと駆け出した。
 ……白金戦が危険な能力を有していると、光はしっかりと認識している。更にはいま、瞬間に殺されたのが認識を確実なものにした。つまりはひとりで闘っても勝ち目はない――だから、仲間と合流するのが最良の手、だ。
 そして。
「………………こんちくしょうっっ! にげんのかぁ、あああああん?!!!!」
 たっぷり10秒してその状況を把握した白金から、怒りのオーラと共に強烈な怪音波が発生させられた。それは“ワーディング”中で視聴覚を奪われていなければ、それだけで一般の人間は悶死してしまいそうなぐらいの、高周波ソニックウエーブであった。

 地下の暗い部屋の中央で。
 1人の男が来るべき時を厳かに待ち続けていた。
 白衣を身に纏い、少し薄くなりかけた髪に銀縁のめがね……と、取り立てて特徴のない、むしろ冴えない印象のその男は、もう4度目のため息をつき目の前にあるコンソロールに目を移す。
このスイッチを押せば、左右にある“モノ”たちは、溶液の中粉々に崩れ去り跡形もなくなる。それは自分のしでかした“仕事”の成果をつぶす行為であり、そんなことをすれば、いま身を置いているFHからも消されてしまうのは確実だ。
 ――消される? それでよいではないか。
 元々は屍であったはずを、無理やり叩き起こされて動かされ続けているだけなのだから、この身に巣食うレネゲイトウイルスによって。

 コンソロールのスイッチに指が触れる。力を込めた瞬間に、黒い糸が彼の腕に巻きついた。

 ……黒い糸は、髪。
 通常はありえないぐらいの長さ、距離にして5メートルほどに伸びた、髪。
 びくりっ、と。
 突然のことに体だけが驚きの反応を示し、それでも彼の心は平静だった。穏やかな笑みすらも浮かべて、目の前に現れた5名の若者達に視線を向ける。
「怪しいことはさせませんよっ」
 その髪の主は、確固たる信念の光を瞳に宿した少女、橘京華。彼女は毅然とした声で、そう言い放った。
「由布達夫さん、これ以上あなたの企みを進めさせるわけにはいきません。おとなしく投降していただけますか?」
 その隣に立つ小柄な少年は最年少ながらその集団のまとめ役らしい。まずは戦いの前に言葉での折衝を示してきた。それは既に白い熊へと獣化した、背後の仲間に対する押さえでもあるのだろう。先ほど白金と接触した彼は既に興奮状態に陥っており、今にも白衣の男に飛び掛らん勢いだ。
「投降……か、そうもいかないのだよ」
 白衣の男……由布は、京華の髪を振りほどこうと指で腕を引っかきながら、物憂げな声で返す。その瞳には諦めの色が、濃い。
 彼らがUGNがよこしたオーヴァードだとしたら、自分ひとりに勝ち目はないだろう。なにしろ護衛につくはずの“ヘブンズソード”は、ここにいない。傍らに配したジャーム数体などで切り抜けられるほど、甘くはないはずだ。
 ならば……と、由布は左右に配されたガラスケースの中の“モノ”たちに目をやる。それらは、まだどんな力を持つかは不明だが、盾にしかならないであろうジャームよりは役に立つだろう。その大きな理由のひとつとしては、“モノ”には彼らUGN側は手出しがしづらいはずだ。
 これらは今回の“実験”で、うまく仕上がった“成功事例”だからだ。息をかけておいた市内の病院からつい先ほど届けられたばかりで、まだ能力のチェックは済んではいないが、ここで試すのも一興であろう。
「一興……か、つくづく私も腐り果てているのだな」
「……え?」
 誰にも聞こえぬよう、ぼそぼそと口の中だけで呟いた言葉に、折衝を持ちかけている央樹が怪訝そうに反応をしめす。
「ああ、なんでもない」
 京華の髪を振りほどくことは半ば諦めて、そのままの状態で先ほどまでとは違ったボタンに手を伸ばそうと由布は試みる。そのスイッチは“成功事例”の溶解ではなく、ガラスケースからの開放をするもの。
“壊す”のではなくて、“使う”。結果として壊れるのだとしても、無為になるよりは有為に――由布自身、生き残れるとは思わなくてもむざむざと殺される程にお人よしでも、ない。
「なんでもないよ……ああ」
「なんでもないこと、ないですっ。どうしてっ、どうしてここに御手洗さんがいるんですかっっ?!」
 だがそんな聞き取りづらい由布の声は、悲鳴のように高い京華の声で打ち消された。
 ガラスケースの“成功事例”の中には、昨日京華が自宅まで送った、御手洗照美の体がふわふわとたゆたっていたのだ。
 ぎりぎり。
 彼女の怒りと興奮を反映してか、由布の腕に巻きつく髪の締め付ける力が更に高まり、彼は苦痛で眉をしかめる。腕がもげそうだ……いや、すぐに弾け飛ぶ、な、と由布が達観したとたんに、彼の両腕は血しぶきと共に爆ぜた。
「た、橘さん、まだ話の途中です」
「……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………許さない……御手洗さんになんかあったら……許さないんだからぁあっ」
 央樹がなだめた所でもはや京華の耳には入らない様子だ。由布の血で紅く染まった髪を再び宙に躍らせると、今度はその体ごと捕捉しようと蠢かせる。傍目に見てもレネゲイトウイルスが臨界点を突破したことが明らかであった。
「くっ。坂ノ上さん、橘さんを抑えて。遥歌さん、彼の手当てをお願いできますか?」
 左右から血を噴出しながらこけしの様に立ちすくむ由布は、傍目に見ても虫の息だ。彼がオーヴァードであるならなおさら、手当てをすればウイルスに体を明渡さずにして由布の治癒は遥歌の能力で可能だ。
 白金戦がこの場にいないのはチャンスだ。もしその間に由布を説得できるのであれば、保護したいと央樹は願っている。そして由布はまだこちらに敵対行動をとってはいない。道を踏み外したのだとしても、戻ろうと望むのであればその受け皿をUGNは準備できるのだと、央樹は信じているから……あまちゃんと言われようとも、これが彼の考え方だから。
「手当て、ですか?」
 一番後ろにいたコートを羽織った青年は、口元に手をあてて斜めがちの視線でそう言ったっきり口をつぐむ。
 ――指の下の唇は、多分、嘲笑。
「……ああ…………お気遣いなくて結構、私はオーヴァードだからね。ふ、ふふふ」
 京華に胸元までも捕獲されて締め上げられて、肺を逆流した血が床に落ちる。
 既にウイルスの自己修復機能“リザレクト”が発動し、由布のもげた腕の辺りから新たな腕が生じつつあった。それでももう少し時間がかかる。由布は背後に蠢くジャームの群れに目配せをした。
 とたんに――まるで反射運動の如く、人の形をして既に人にあらざる憐れな獣たちは、すぐそばのガラスケースに飛び掛っていく。
 ガラスケースから出せば“成功事例”は起動する。ガラスケースを上品に取り払うか、割るかの違いは、この際関係ないのだから。
 由布の微笑。
 央樹の焦り。
 京華の悲痛な叫び。
 その間を光は1体でも抑えようと素早く飛ぶ。
 瑠璃は冷静な表情のまま、ごくごく僅かに斜め前の遥歌へと瞳を動かす。
「……」
 遥歌は片手でコートを抱くように立ち、無言のまま。
 そして――
 ジャームの群たちはガラスケースに到達できずに、全てが床に、堕ちた。
――?! これは……この物質は……ソラリスの……」
 びくびくと痙攣しながら体を海老のように丸め透明な体液を吐く自分の配下に対して、由布は少しだけ眉をあげる。
「良かったですね、あなたは“ちゃんとした”オーヴァードのようで」
 能力を使った影響か、かすかに紅い霧に姿をけぶらせながら、遥歌は口元に当てた指を外し、完全にその嘲笑をさらす。それとともにコートからは、光を宿さぬ瞳の少年が顔を出す……遥歌の作成した従者だ。
 出来そこないのジャームは神経組織などが脆い。そこをソラリスシンドロームの彼の体内で精製した薬品で刺激をすれば、命を消せる。そう、出来そこないが何体いようとも遥歌には関係のない話なのだ。
「……元は人だったのだけれどね、彼らも。ガラスケースの“成功事例”とは、なんら変わりはしない、命だ」
 くっ。
 引き絞るようにしてもれた苦笑に、央樹はもう一度……最後の折衝、否、説得を試みる。
「由布さんっ……お願いです、投降してください。あなたの身辺の保護はUGNの方で責任を持ちます」
 央樹の中“研究者”という存在は決してよい印象をもつものではない。相手が人であれなんであれ“研究資料”として扱う無神経さには、幾度となく嫌な思いをしてきている。目の前の由布とて、そんな類の人間なのかもしれない。
 だが。
 央樹はもう1種類の“研究者”も知っている。自分の両親だ。息子が捕らえられたせいで、不本意ながらFHの研究に加担せざるをえなかった、そんな存在。
 由布の言動から、もしかしたらそのような人物ではないかと――それは央樹の願望であるのかもしれない……けれども。
「なにもかも遅すぎたんだよ……もう、どうすることも出来ない」
「そんなことはありません。きちんと罪を償う方法はあります。あなたには生きて罪を償う責務があるはずです」
「殺せばいい。それで終わるのならば……殺して、くれ」
「あなたは自分の命をなんだと思っているんですかッッ!!」
 真っ直ぐな瞳で叱責してくる央樹に気押されながら、由布はそれでも頭を振るとコンソロールに再生した指を伸ばす。それは最初に触れようとしていたスイッチであった。
「だから怪しい動きをしないでくださいっ」
 そう叫ぶ京華が髪を引き絞れば、再び由布の体は血の塵と化した。もはや力の加減が出来なくなっているようだ。
「くっ。橘さん……彼の動きを止めるだけで充分なんですから」
 暴走がちな京華の動きを止めようと、央樹も己が身のレネゲイトウイルスの開放を決める。深い紺の瞳を閉じて意識を集中すれば、彼の背には半透明の淡い光の翼が1対生えた。同時に現れた手の中の弓を引き絞り、一旦は京華の髪へとターゲットを絞る。
 が。
 央樹の手から弓が放たれることは、なかった。
「……くる」
 光が低く呟くと同時に、階段があった位置の天井が抜ける。その音は相当な騒音であったにも関わらず、落ちてきた男の怪音波でかき消された。

 ――おらぁあああっっっ!!!! ここにいやがったんかぁぁっ!!!!! こんくされされガキがぁああああ!!!!!!!!!

 一同と由布との間に降り立つ白き影は――天剣絶刀“ヘブンズ・ソード”こと、白金戦であった。
 彼の人間時の姿は、光しか知らない。だから他の者には白金戦の姿は、以下の外見で記憶されるのであろう。
 背中から金属質な羽根を生やし、掲げた片足は猛禽類の如く鋭く曲がったかぎ爪が包む。それは光の白熊に対して、白い鷹を思わせた。
「…………う……くぅ」
 飛び降りながらも白金から放たれた攻撃は、光の声があったから、辛うじて皆反応が出来た。もちろん背後にひいていた瑠璃は巻き込まれるなどというヘマはしなかったが。それ以外のメンバーも、なんとか自力でかわすことができた。
 いや。
 遥歌は従者を盾にすることでそれを失い、光は己の固い肉体で止めようとしたが、無効化するソニックウエーブに再び体を傷つけられて“リザレクト”した。
「ああぁん?! なんやふえてやがんなぁ? おう、われぇどもっ。てめえら、まとめてかたづけてやるっ。あきゃきゃあああっっ!!!!!」
 もはや人のものとは思えぬ怪奇音を立てながら、白金は満悦したように再びその身を宙に躍らせた。その行動は“由布を守る”という元来の指令に沿ったものではなく、ただ目の前のゴミを叩きのめしたい、それだけだ。
 それでも白金が現れることで出来た隙に、由布はこりもせずコンソロールに指を伸ばす。
「はっ。ダメですよっ、何度言ったらわかるんですか?!」
 京華の髪が辛うじてそれを阻止した。またがっちりと補足されて、由布は悔しげに顔をゆがめる。彼を庇うはずのジャームももういないため、なす術もないのが現実だ。
「……く」
 しばし考えた後、央樹は光の弓の狙いを白金へと移す。彼の指示された仕事はまさに白金戦の抹殺であり、この場でまず動きを止めるべき危険人物も白金戦だ。
 由布を京華に任せきるのは不安ではあるが、白金が光の力だけだと手が余りそうなのも事実だと判断し、央樹は光の弓を白き鷹に向けて解き放つ――その光の矢を縫うようにして、白き獣“坂之上光”が飛び鋭い爪をたたきつけた――

 ……戦いは瞬間で決した。そう、常人には判別がつかない速度だから、瞬間。

 だがその間に白金は2度の攻撃を繰り出し、その攻撃で光と瑠璃以外のメンバーを全てを土につけた。けれどそれは、白金己の体を痛めて初めて出来る動きであった。
 何度も対峙して攻撃を見切った光は、最後にひとつの重い力を込めて、彼の翼から背中を貫いた。
 それが、決定打と、なった。
 UGN上層部すら震え上がらせた“ヘブンズソード”という存在は、ほんの一瞬で費えてしまった、のだ。
 逆に一瞬でなければ、この場の全てのメンバーが人として還れずに、死亡していただけの話だが。
 そして――由布達夫もまた、自らの退場の時間を悟った様子で、京華の髪に巻かれながら、胸の中心に央樹の光の弓矢を受け、果てた。
 コンソロールに伸ばされていた手は、最後までなんのスイッチに触れることも、なかった。
 それどころか――
 広げられた両手は無防備かつ無目的に舞い、はじめから央樹の矢を受け止めたいとだけ望んでいたのだと、思わせた。
 オーヴァードは、ウイルスがある臨界点を超えない限りは、決して死ぬことが出来ない。
 ……だから。


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