冬の贈り物

5.それぞれのインヴェスティゲイション(調査)

「結局、ここの院長がFHの人かどうかは、わからなかったんですよね」
 帰ってきた2人に対して、半ば呆れたように央樹が言った。念のため“水晶の目”で診察室の様子は把握していたので、遥歌が怪しげな薬を手渡されたことは知っている。
「あ、だけどだけど、あの先生、絶対あやしいですよーっ。風邪とか言ってたけど、全然それっぽくなかったですもんっ」
 京華は自分が感じた違和感を一所懸命に訴える。
 この場にいるのは、央樹と遥歌と京華。光は“黒い車が気になる”と、先に病院の駐車場に偵察に行ってしまった。彼はただただ待機というのが苦手なようだ、敵を捕らえようと潜むのは得意なのであるが。
「それにほら、遥歌さんが渡されたお薬もへんなものだったんですよねっ?」
「……多分、レネゲイトウイルスの塊……けほけほんっ、ないしは活性剤みたいなものでしょ……げほげほっ」
 ベンチから身を起こし咳の合間にかすかな声を交えて遥歌が答えた。
「ねーねー、だから突っ込みましょうよ。天羽さんっ」
「まぁ、橘さんの言うように、突入するしかないのかな……少なくとも、怪しい薬が配られているわけですし」
 このままだと、京華の勢いに押し切られて突入する形になりそうだが、それも致し方あるまい。それが潜入して得られたデータでくだす最良のものだと、央樹は判断したからだ。
「……まぁ、突入した後で必要であればしゃべっていただきましょう……けほっ……“止まらずの舌”をかければ、なんでも吐かせることは可能ですし、ね」
 そこまで言うと遥歌は、ふう……と息を吐いてしばし目を閉じて、不規則に乱れる呼吸を整えようと試みた。
 そうして再び目を開けた彼を迎えたのは、冷たい央樹の視線と驚いたように目を見開く京華だった。
「あんたさぁ、馬鹿じゃないの?」
 視線は自分が食べているソフトクリームのままで言うのは瑠璃。ただしその声は鋭い刃物で切るようにばっさりと容赦ない勢いである。
「遥歌さーん。どうしてさっきそれをしなかったんですか? その……なんでしたっけ? なんちゃらの舌」
 馬鹿呼ばわりに憮然とする遥歌に対して、率直に問い掛けるのは京華だ。
「“止まらずの舌”……けほけほっ。これはソラリスの能力で、ある種の幻覚剤を生成することで……」
「だから遥歌さん。それって突入時にすることじゃないです。むしろ、さっきはそのために遥歌さんに行っていただいたんですけど……」
 解説を遮って、思いっきり呆れた顔で央樹は年上のUGN研究者たるクラスメートの顔を見据える。
「遥歌さん……風邪、相当具合が悪いんですね」
 それでも気遣うことは忘れない、気遣いの人、央樹である。
「………………けほっ。そーですね」
 気まずげな沈黙の後、遥歌は咳払いとも本当の咳ともつかないものをしたあとで、改まった調子で続ける。
「……さすがに……作戦行動に支障をきたしているようなの……けほけほっ、で……少し治します……ね……けほっ」
 ふらりと立ち上がるとコートをベンチにかけて、遥歌は静かにルビーレッドの瞳を閉じる。
「治すって、あの病院のお薬は危ないですよー?」
「けほっ……げほほっっ、けほっ……こぽぽ……こふっこふっ……」
 遥歌の手の中にある薬袋を慌てて京華が取り上げようとすれば……それは激しく咳き込む遥歌が倒れた弾みで地面に落ちた。
「え、遥歌さ……?」
 左頬を地面につけて咳き込み続ける遥歌の唇からは、どんどんと血が溢れる。それはもう、尋常でないぐらいの、普通の人間であれば出血多量で死んでるであろうという勢いの血が、彼の白い頬と白いシャツと白い薬袋を深紅に染め上げていく。
 ……けれど、彼はオーヴァードだから、死なない。
「……うぅ」
 央樹は周囲に注意を払う。こんなところを一般の人々に見られてしまえば一大事だ。いっそ“ワーディング”をかけてしまった方がいいかもしれない。
 ……こういう事は、自分でやって欲しいんだけどな。遥歌さんがこんなに人騒がせとは思わなかった。
 ため息混じりに央樹が“ワーディング”を張ろうと体内のレネゲイトウイルスに集中を向ければ、その背景で咳が徐々に静まっていく。
「け……ほ………………――――
 あれだけ派手だった咳は完全に途絶えた。零れ続ける血も惰性に変わり勢いがなくなる。ひとまず央樹も“ワーディング”をはるのは後回しにした。
「遥歌さん、大丈夫ですかぁー? ……っ」
 遥歌の血まみれの腕をとった京華の顔色が、これ以上ないぐらい明確に真っ青に変わった。そして慌てて遥歌の体を抱き起こすと、懸命に揺すりだす。
「遥歌さんっ、遥歌さんっ、しっかりしてくださいっっ」
「……ど、どうしたんですか? 橘さん」
 怪訝そうな央樹の呼びかけに、京華は泣きそうな顔で言った。
「どうしよう……遥歌さん……息、してないよぉぉ」
 ……彼は、オーヴァードだから死なないはず……なのに。
「え? ええと……“リザレクト”は、始まってないんですか?」
 頷く京華をみて、央樹も遥歌の腕をとり脈をはかってみたが、確かに心臓の鼓動は止まっているようだ。
「そんな……ど、どうして?」
 央樹の表情にも若干不安げな影が入る。
 命が途絶えた場合も、レネゲイトウイルスは死を望まないから、自動的に無理やりに、命は現世へと復帰する。その能力を総じて“リザレクト”と呼ぶ。ウイルスが一定の比重を超えてさえいなければ、発動する能力のはずなのだが……。
「侵食、そんなに進んでたのかなぁ……遥歌さん、遥歌さぁーんっっ……えうううぅぅ〜、死なないでくださいよぉぉ……」
 ゆさゆさゆさゆさゆさゆさゆさっ。がんがんがんがんがんっ。
 えぐえぐとしゃくりあげながら、京華はぐったりとした遥歌を激しく揺さぶる。その勢いで彼の頭がベンチに強打しているが、彼女は気づかないようだ。どうやら錯乱していてそれどころではないらしい。
「た、橘さん……落ち着いてください、ね?」
 央樹は遥歌のことをさほど心配はしていなかった。彼は“治す”と言ったのだし、この状態もなにか考えがあってのことのはずだ。それよりもむしろ、京華が遥歌を壊してしまわないかの方が心配だった。ベンチにしこたま打ちつけた頭からは、一筋の血が流れ出していたから。
「だって……遥歌さんがぁ、遥歌さんがぁ……」
 ぐっ。
 京華は胸の辺りで拳を握り締めて、おろおろとした瞳で央樹を見つめる。
 ……がんっ。
 一拍遅れてした音は、遥歌の体が京華の腕を離れ、見事ベンチにたたきつけられる音だった。そして――それを合図にするようにして、遥歌の瞳がうっすらと開く。彼はあっさりと身を起こすとベンチにかけたコートを手にとった。
「んーと……喉の痛みがひいて、熱も、少しさがった、かな? けほんっ……あれ、だけど頭痛がひどくなってる……血……へんな倒れ方したんですか? 僕は……」
 後頭部から流れる血が指に張り付いても冷静に、彼はぶつぶつと自分の体調をチェックしていく。
「あ、あの……あのあの、遥歌……さん? 平気……ですか? 生きてるんですか?! 心臓止まってて“リザレクト”もしなくて……」
 恐る恐ると確認する京華に、遥歌はふるふると首を振ってさも当たり前のようにほざいた。
「ええと、言いませんでしたっけ? ≪冥府の棺≫といって、ブラム=ストーカーの能力なんですが、血液の流れをせき止めることで、体の不調をクリアにする能力なんですけど、それを応用すれば体内のインフルエンザ・ウイルスをおとなしく出来ないかなぁと思いまして……うまくいったみたいで……」
 遥歌がいい終わる前に、京華は彼の両手を握り締めると、はや口にまくし立てた。
「遥歌さんっ、今度うちにきてくださいッッ。夕食ご馳走しますからっ! レバニラってわたし得意なんですっ。あとレバーのから揚げと、レバサシと…………」
「はぁ、せっかくなんですがレバーは苦手で……」
「ダメですっ! 絶対ダメですって! 血ぃですっ! 遥歌さんっ、絶対血ィ足りませんからっぁっ!」
 半ば悲鳴のように必死の形相で叫ぶ京華に向けて、こぽりと、揺すられすぎた遥歌がまた血を吐いた。
「ああああああっ、だから血ィー、血がぁぁっっ!!」
「橘さん、落ち着いてくださいってばあー」
 錯乱して吐き出された血を無理やり遥歌の口に戻そうとする京華と、それを抑えようと必死の央樹の嘆き、更にはむせた遥歌の咳きがうるさく響く。そんな大騒ぎの中、瑠璃は足元に転がる血まみれの薬袋を拾い上げると、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。
「“御子神 遥”ねぇ」

 ――現在の久遠寺遥歌の症状:悪寒、咳、くしゃみ、微熱。あと後頭部に打撲傷。

 遥歌が京華を伴って“薬を飲んだら気分が悪くなった”と理由……というかいちゃもんをつけて再度医師に接触を図ろうとした、同時刻。
「…………」
 昼間の闇に潜む影が、ひとつ……昼間の闇、つまりは駐車場の車の陰なのであるが、そこに隠れながら坂ノ上光はじっと目の前の車を睨みつけていた。彼の目の前では、黒塗りの車が4台、さして広くもない個人病院の駐車場に群れをなしており、それはあからさまに怪しい光景であった。
 瑠璃の話では、昼休みの間立て続けに乗り付けてきて、中にはFHのエージェントが乗っていたという。
 FH。
 敵。
 抹殺すべき、存在。
 こくり、と光が重々しくうなずけば、丁度タイミングを合わせるようにして周囲の空間が白と黒に塗り替えられた。
 ――ワーディング。
 仲間がはったのか敵がはったのかはさておいて、なんらかの戦闘行動が開始されたことを示していた。
「……よし」
 もう一度頷くと、彼は右腕を左手で支えるようにして高々と天に掲げる。
 ピシ……ピシピシピシピシ……ピ、シ。
 まるで卵の皮がひび割れるように鋭利な音が響き渡る、が、ここは無人で白亜の世界。誰もその音を聞くものはいない――そして、彼の掲げた右腕が白の獣の毛に覆われて、その指先には鋭い肉食獣の爪が顔をのぞかせていることも、もちろん誰も知ろう由も、ない。
 片腕だけの変化は、全身を白き熊へと変化させるよりも遥かに、彼を異形のものたらしめていた。
「……」
 周囲を見回した後、足音を潜めて黒塗りの車の1台に忍び寄ると、獣の右腕を静かに振り上げる。なんども敵の血を吸ってなお白く輝く爪が、鈍い光を纏い一瞬煌めく。
 そして――
 ぷす☆
 と、用心深く突き出した人差し指を、車のタイヤに突き刺した。
 ぷしゅるるるるる〜。
 防弾ガラスに囲まれた完全装備の黒塗りの車が、走るという最大の役割りを奪われていく瞬間である。
 間が抜けるような空気の抜ける音を聞いて、光の唇に“にやり”と満足げな笑みが浮かんだ。
 こうして白昼の駐車場で、獣の腕をぶら下げし青年は丹念に丹念に全ての車のタイヤの空気を抜いて回ったのであった――

 ――世界は白と黒に塗り替えられたまま。
 武蔵蓮沼医院の室内では、4名の高校生を除きその他全てが人としての動きを止めていた。それはレネゲイト活性剤を患者にばらまいていた、院長を名乗る男ですら例外ではない。
「はい、お疲れ様でした……と」
 診察室の背がない椅子に腰掛けて、相変わらずの青白い顔で遥歌がそう呟くと、院長はそのままぴたりと唇を動かすのを止めて、白黒の無機質な彫像と化した。
 遥歌の周りにはたった今、院長に対して使用した“止まらずの舌”の余韻か、紅く細かい霧がその姿をけぶらせるようにして漂っている。
「すごいですね、遥歌さんっ。相手の人、なんでもかんでもしゃべっちゃいましたよー?!」
 京華の言う通り、院長に成りすましたFHのエージェントは、遥歌が体内で精製した紅い霧を吸い込んだあと一種の催眠状態に陥り、彼の問いかけに対して淡々と無感情に答えを吐き出していった。
 それにより、この件の首謀者が“V.M.”こと“由布達夫”であり、彼は本拠地であるこの病院の地下に身を潜めていることが判明した。
 ……本来は、先ほどの潜入でこの結果が得られるはずであったのだが、それはさておき。
 遥歌の手により“ワーディング”が、かけられた時点で央樹と瑠璃も病院内に足を進めていた。そして央樹は待合室で目にした光景に、胸をいためる。
 そう。たしかに世界は白と黒に塗り替えられていた……一部を除いて。院長が出した錠剤を飲み、すでにレネゲイトウイルスがしっかりと定着した人間もいるようで、動くことは出来ないが、鮮やかな色を持つ患者も若干であるが存在していたのだ。自らも無理やりウイルスを感染させられた過去を持つ央樹は、痛ましさからそんな患者達から目をそむけてしまう。
 ――5分後。
 オルクスの能力によって、レントゲンルームの中に“本来はありえざる”空間にカモフラージュされた地下への入り口は、目ざとい瑠璃があっさりと見つけ出した。
 今回の首謀者が待つであろう部屋につながる階段を前に、央樹は凛とした声で言い放った。
「FHがこの事件の背後にいることも確定しました……急ぎましょう」

 ……もうこれ以上、望まない感染者を増やさないために。


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