冬の贈り物

3.それぞれのインターミッション(休息)

「……わかりました。なにかあればこちらからも連絡しますので、遥歌さんもなにかわかればお願いします」
 喫茶UGNを出てすぐにかかってきた電話を終えて、央樹は携帯電話を胸ポケットにしまった。
 時刻は午後4時をまわった辺り。普通に高校の授業に出ていればそろそろ自宅へとつく時間だが、ここから帰るとなると30分近くかかってしまうだろう。
「急いで帰らないと、シュージ君、心配しちゃう」
 気にかかるのは家でひとり待つ“大切な友達”のことだった。
 数ヶ月前、央樹はUGNがらみの事件で“甲月シュージ”という少年と出会い、事件の後は共に暮らすようになっていた。複雑な事情があるため、シュージは外に出ることは殆ど許されない。だから学校にも行けず、家のことをこなしながら、央樹の帰りを待っているのだ。
 央樹の両親は高名な生物学者であり、そのせいでFHに捕らわれ無理やり研究をさせられていた――それは愛息である幼い央樹を人質にとられたからに他ならない。その両親は央樹を逃がすためにFHに殺されてしまい、自らも感染させられたレネゲイト・ウイルスのせいで忌むべき強大な力を有してしまった。それらを背負い、UGチルドレンの施設で訓練を受け……央樹はずっとずっとひとりぼっちで生きてきた。過酷な使命に傷つき、死ぬような怪我をしたとしても“リザレクト”――ただその一言ぽっちの能力でなかったことにされてしまう、そんな世界で。
“でも、痛かったよね”
 傷ついた央樹に対して、シュージはそう言ってくれた。オーヴァードとしての能力を説明した後で、それでもなお。
 ……それだけで、良かった。
 ……それだけで、央樹の心の中にあたたかな救いが満ちた。
 だから央樹にとってシュージは、絶対に護り抜かなくてはならない“大切な友達”。
「電話した方がいいかな……だけど今の時間はシュージ君ご飯作るのに忙しいだろうし」
 はや歩きというよりはもはや駆け出す勢いで、央樹は自宅であるマンションへと足を進める。こうやって急げば15分ほどで帰れるはずだから。

 息を急ききらせて鍵を差し込み、ノブをひねった。
「ただいま、シュージ君。おそくなってごめん」
“あー、央樹君おかえりー”いつもならば、そんな明るい声と共にばたばたと素足の足音がして、玄関先まで出迎えてくれるのだが、今日はそれがなかった。
「……シュージ君?!」
 後ろ手に鍵をかけると央樹は靴を脱ぎ捨てて、キッチンへとあがり込んだ。
 ぴちょん……ぴちょん……。
 蛇口から不規則に落ちる水滴の音がやけに央樹の耳についた。
 ガスコンロには水の入ったお鍋、まな板の上には、短冊切りに揃えられたにんじんが切りかけでおいてある。
 まさか食事の準備をしている時に、なに者かに連れ去られてしまったのだろうか? そんなはずないっ、侵入者の形跡はなかった……不吉な予感を振り払うように頭を振ると、足をリビングまで進める。
 とたん、緊張が解け安堵の吐息が央樹から漏れる。
「シュージ君、良かった……」
 部屋の奥、セミダブルのベッドに寄りかかるようにして、淡い茶色の髪にライトグリーンのトレーナーを引っ掛けた見慣れた背中を見つけることが出来たからだ。
「ふ……ふぁ? ……ひろ……きく……?」
 フローリングの床にぺたりと膝をついて、ベッドに顔をつけたままのシュージから、ぼんやりとした声が返る。様子がおかしい? 央樹の安堵が再び不安に摩り替わった。
「シュージ君、どうしたの?! なにかあった?」
 慌てて駆け寄り肩を抱いて顔を覗き込めば、ゆであがったように真っ赤な顔で、とろけそうな目つきのシュージがぐったりと身を預けてきた。
「ご……ごめんねぇ……央樹君。なんか……ぼおっとしちゃって。ちょっとひとやすみしてたの。ごはん、用意する……ねぇ」
 そう言って立ち上がろうと央樹の肩に手をつくシュージだが、その力はあまりに弱々しい。央樹がシュージの額に手をあててみれば、熱い。微熱というには高すぎる体温と、真っ赤な頬はどう考えても“風邪による発熱”という症状を示していた。
「シュージ君、ダメだよ。はやく横になって、熱でてるっ」
「えぇ? ……そーおぉ……かなぁ……?」
「いーい、寝ててねっ?! 体温計、どこだっけ? えーと……」
 とろんと答えるシュージの肩を支えてなんとかベッドに寝かせると、央樹はあわただしくキッチンへと走る。体温計がキッチンにあるとは思えないのだが……。
 頭を冷やしてあげなきゃ……けど氷枕なんてあったっけ? 風邪薬……薬箱の中のは結構古いはずだし、飲まない方がいいのかな? 病院いった方がいいけど、今? ええと、ダメだぁ、もう受け付け終わってるよ。明日朝イチでつれてってあげなきゃ……こんな時の食事はあっさりしたものの方がいいんだよね、野菜をたくさん入れたうどんとか……あ、うどんは昨日シュージ君が作ってくれたから、ダメだ…………えーと……えーと…………。 
 おろおろわたわた、おろおろわたわた。
 冷凍庫を何度も開けたり、無意味にたんすを開けてみたりと、あきらかに慌てふためきながらも、央樹はシュージの頭を冷やすタオルや飲みやすいようにストローをさした水やらを持ち、枕もとに戻った。
「ごめ……ひろきく……ん……ごはんどぉしよお……?」
 央樹に世話をされながら、申し訳なさそうに囁くシュージに対して央樹はぶんぶんとすごい勢いで首を振る。
「いいから、ね? ご飯はボクが作るから、シュージ君は安心して寝ててっ」
「え……うん〜」
 まだ何か言おうとしたが、央樹の必死の形相と、自らのだるくて熱い体とのダブル攻撃でそれもかなわず、シュージはベッドに身を沈めるとそっと瞳を閉じた。

 ――30分後。
 ベッドの上、央樹が作ったおじやをふーふーしてもらいながら食べるシュージの姿があった。

「……さてと、天羽君にも連絡しましたし、今日のところはこれで終わりですかね」
 ぱふ。
 メタルブラックの携帯電話を閉じると、遥歌はふうと息をついた。
 とりあえず寒さを避けるために入店したのは研究所近くの“喫茶UGN”。目の前の玄米茶で暖を取りながら、お茶請けには大判焼き(クリーム)。しかし一向に体は暖まらない。喉の痛みもひりひりと強くなってきているし、ここに来てようやく、遥歌は自分が風邪かインフルエンザかを患ってしまったのだと気づいていた。
「まったく、ついこないだ風邪が治ったばかりだというのに……」
 ごく。
 飲み下した玄米茶が喉に染みて、思わず顔をしかめた。髪をかきあげて額に触れれば心なしか熱もあるようだ。
「うぅ、まずいなぁ。はやく寝た方がいいかもしれない……」
 家に帰ろう。
 だが遥歌はすぐにその考えを撤回する。自宅には妹の叶歌がいるが、彼女は今日学校を休んでいる。ただし体調不良ではなくて、1週間後に控えている歌のコンクールの練習のためだ。まぁ、学校は今やインフルエンザの巣窟だし、賢明な判断とも言えよう。
 で、ここにきて――その兄がウイルスの温床になってしまったわけだが。
「今日は研究室に泊まるって、連絡しとかないと」
 そんな妹に風邪をうつさないために、遥歌はそう決めた。記憶がないだのなんだのと距離をおきながらも、妹を想う――健気な兄心である。ただし、妹にとっては余計なお世話なのであるが。
「ああ、叶歌さんですか?」
 携帯電話で叶歌の番号を呼び出せば、2コールでつながった。
『叶歌……さんぅ?』
 相変わらずの他人行儀な“さん”づけには、いきなり不機嫌な鸚鵡返し。しかし遥歌も“呼び捨てするのはちゃんと兄としての記憶が戻ってから”と決めているので、こんなやり取りはもはや半年以上続けられている、この双子の挨拶のようなもの。
「インフルエンザが流行っているみたいですから、お体には留意してくださいね」
『まぁ、お気遣いいただいて本当に嬉しいですわ、お兄様』
 兄の言葉に一喜一憂する、まったく健気な妹である。
「それで、僕もどうやらひいてしまったようなので、今日は適当な場所に泊まりますから……」
『お・に・い・さ・ま?!』
 遥歌の語尾は叶歌の高くもはっきりとした声に打ち消されてしまった。
『どうせ、研究所の仮眠室でお休みになるおつもりでしょうっ?! あんな寒くて埃っぽい場所なんて言語道断ですわっ。大体、お食事はどうするおつもりですの? 風邪を治すのに大切なのは、暖かくして栄養のあるものを食べて、しっかりと休息をとることですのよ?!』
 怒涛の如くまくし立てられて、遥歌は携帯電話を耳から離し身を竦める。そして軽く咳をしながら弱々しく反ぱくした。
「けほ……いや……ですけど……」
『今、どちらにいらっしゃいますの? 神里さんにお願いしてお車をお回ししますわ。それとも、わたしが直接お迎えにあがりましょうかっ?』
“わたしが直接お迎えにあがりましょうかっ”それは、叶歌にとってはあっさりとできることである。オルクス能力≪縮地≫を使えば、たとえどんなに離れていても、電話でつながる遥歌の目の前に、一瞬で現れることが可能なのだから。
「あ、あうぅ……けほけほ……叶歌さんに風邪をうつすわけにはいかないでしょう? もうすぐ歌のコンクールがあ……」
『そういうことでしたら、お兄様――わかりました』
 とりあえず、兄の気遣いは伝わったらしい……と、遥歌がほっとしたのもつかの間、叶歌はきっぱりとした声で言い切った。
『わたしは風邪などひきません』
「ひかないって……けほけほけほっ」
 その根拠のない自信はどこから来るのかと、遥歌が突っ込む間もなく(いや例え間が合ったとしてもそんな芸当はこの世の誰にとっても無理なのだが)叶歌は静かだが絶対に反抗を許さない口調で最後通告をした。
『だからお兄様は妙なお気遣いなどせず、帰ってきて下さいませ――というか、帰ってきなさい』
「……………………はい」
 所謂――気迫負け、というやつだ。
『よろしい。それではお兄様、おいしいポトフを瀬能さんに作って頂いて、お待ちしておりますわね』
 観念したように力なく肩を落とした遥歌、おっとりとした満足げな笑みを浮かべた叶歌、そんな相反する表情で双子は互いに電話を切った。

 帰宅した遥歌を玄関先で待ち構えていた叶歌は、そのまま問答無用で遥歌を自室のベッドに押し込んだ。
 氷枕、濡らしたタオル、風邪薬、執事の瀬能お手製のポトフ。
 てきぱきてきぱきと準備を整えて、かいがいしく看病をする叶歌――これで治らなければ嘘である。
「うー、けほけほ……そういえば、情報屋で少し調べたいことが……」
 このボンクラ兄貴がふらふらと身を起こして余計なことをしなければ、であるが。
 遥歌は、叶歌の目を盗んでベッドから抜け携帯電話を引っ張り出すと、裏の情報に詳しい馴染みにコンタクトを取ろうとする……が。
「お兄様っ、ちゃんと寝てらしてくださいませっ」
 ぐいっ、げしっ、ばふっ。
 まるで猫の子をつかまえるように、遥歌のパジャマの首筋を引っつかむと、すぐにベッドに押し戻す。
「……けど……けほけほっけほほっっ……仕事……が……けほっ」
「調べものでしたら、わたしがやっておきますわっ」
 手にもっていた水差しをサイドテーブルに置くと、叶歌はそんな兄を睨みつけた。
「叶歌さんは歌の練習が……」
「わたしを歌の練習に集中させたいのでしたら、早く元気になってくださいませっ」
 もっともな言い分に首を竦めると、遥歌はぼそぼそと2つほど、叶歌に対して情報収集の依頼を出した。
「“由布達夫”“白金戦”この2人について調べておけばいいんですのね?」
「よろしくおねが……げほんっ、けふっげふふふっ……」
「もう、本当に無理はなさらないでください、お兄様」
 激しく咳き込みだした遥歌を宥めるように布団を首元までかけてやると、叶歌は心配そうな視線を落とす。
「お兄様は、小さな頃からすぐに風邪をお召しになってたんですから……ゆっくりお休みになってくださいませね」
「……………」
 ぼんやりと、そんな叶歌を見た後で、遥歌は布団に包まるようにして背を向けると、ぼそりと小さく言った。
「……はい、おとなしく寝ます」
「よろしい」
 やっと素直になった兄に対して、叶歌は笑顔で満足げに頷いた。
 ――現在の久遠寺遥歌の症状:悪寒、喉の痛み、咳、発熱。


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