冬の贈り物

1.それぞれのオープニング(きっかけ)

 時間は前後して、天羽央樹が視聴覚室にいた頃と同時刻――武蔵蓮沼市内の某喫茶UGNにて、チャコールグレーのスーツに身を包んだ20代前半の女性と、武蔵蓮沼高校の制服に身を包んだ少女が向かい合っていた。
 スーツ姿の女性は、ストレートロングの髪を品のよい銀のバレッタで束ね、ビジネスライクに抑えた化粧は見るからに仕事が出来そうな雰囲気をかもし出していた。対する制服姿の少女は、平日のこの時間帯に制服姿である事を悪びれた風もなく堂々と構えている。 一癖も二癖もありそうな笑みを頬に貼り付けて、耳元の1房だけ伸ばしたダークレッドの髪を指でくるくると弄びながら、彼女、如奈瑠璃は目の前のスーツ姿の女性、深津に対して口火を切った。
「それで、今度はどんな馬鹿な話をもってきてくれたわけ?」
「……相変わらず手厳しいですね、如奈さんは」
 瑠璃の嫌味も軽く苦笑で受け流し、深津はB5サイズの封筒を瑠璃に差し出すと、言った。
「調べて欲しい事があります」
「……」
 無言で関心なさげにコーヒーを啜ると、瑠璃は窓の外に目を移した。薄い紺色のガラスを通して見る風景は昼だというのに薄暗く、風邪が流行っているのかマスク姿で行き交う人々が、余計に辛気臭さを加速させる。
「コードネーム“V.M.”という人物について……」
 瑠璃は基本的に、能動的な作戦実行には関わろうとしない、あくまで傍観を決め込む性質なのだ。人のいないところでは有能に動き回ることもあるが、それは深津以下の他人が知ろうよしもない。
 だから、深津は彼女に接触し仕事の依頼をする場合は言葉に気を遣う。
「その動向を探り、監視をお願いします」
「ふうん」
 けれど瑠璃は受けるとも受けないとも返事をしなかった。ただ今口にしたコーヒーについてブレンドが変わったようで前の方が好みだったとか、そんなことばかり考えている。所謂“無関心”というやつである。もちろん彼女はそれを隠そうともしない。
「お願いできますでしょうか」
 もう一度封筒を瑠璃の方にすすめながら、深津は頭を下げる。やりづらいだろうに、彼女もまたそんな感情はおくびにも出さず。
「………………」
 ガタリ。
 まだ半分の飲まないうちにカップを置くと瑠璃は立ち上がった。そして目の前の深津にはなんの返答も返さずに、椅子にかけていたコートを肩にかけるとその場を後にする。
「依頼書、お忘れですよ」
 背中にかかる声に、瑠璃は振り返らずに答えた。
「どうせたいしたことは書いていないでしょ?」 
 皮肉すらこめる気も起きないほど、かったるげに。
「…………」
「あんた、わたしの担当やめたら?」
 なにも答えない深津に対して、瑠璃は痛烈な嫌味を投げて、今度こそ店を後にした。

 冬の雑踏、吹き抜ける風は冷たくて、瑠璃はすぐにコートを羽織り、しばらく歩く。
 風邪だかインフルエンザだかが流行っていて、予防手段として一番の方法は“人ごみに近寄らないこと”……つまり学校には行かない方が無難、そういうこと。
 そんなことを考えながらも、何故か足は学校へと向く。少し歩いた辺りで、胸ポケットから携帯電話を取り出すと、彼女はある番号を呼び出した。
――あ、マスター。調べて欲しい事があるんだけど……」
 電話相手は、なじみの情報屋である。表向きは品のよい喫茶店を経営する、初老の男だ。彼の情報はいつも確かで、瑠璃も信頼を置いている。
「“V.M.”ってやつについて」
 短くそうとだけ告げると、瑠璃は電話を切ろうとして、もう一言付け加えることにする。
「あと、最近の武蔵蓮沼市の近辺でFHがなにか動き見せてると思うから、それも教えてくれる?」
 どうせFHがなにかをやらかしていて、自分が頼まれたことにつながるに決まっているのだ。
 電話を切ったあと、瑠璃は目的地を武蔵蓮沼高校に定めて歩き出す。到着する頃には4時間目の半ばだろう。授業に顔を出すかどうかはさておいて。こんな依頼が来たということは、学校にいるエージェントないしはイリーガルが、なんらかの事件に絡むということで、こんなつまらない依頼はそこでからむエージェントに全て片付けさせるに限る。そう“他のエージェントと接触する”ためには、とりあえず学校だと考えたからだ。どうせ、武蔵蓮沼高校は優秀なUGチルドレンの宝庫なのだし、その誰かに今回の白羽の矢が立つのは想像くない。
 ――当然、彼女の読みはいつも正確なのである。

 同日、午前中。
 UGN武蔵蓮沼研究所・複製体研究班チーフ久遠寺遥歌は、室長の元に呼び出されていた――
「はぁ……インフルエンザウイルス、ですか?」
 研究所という場所にごく自然に溶け込むような白衣姿の青年は、いささか不遜に聞こえる話調で返す。まぁ溶け込むもなにも、彼自身のUGN研究所勤めは11の頃からだから、今年で7年目を数え、そこらの大卒の若手研究者よりも遥かに長いキャリアを有す。つまり研究所は彼のホームテリトリーのようなものだ。
「うむ、怪しいと言わないこともない」
 対する室長は、この研究所の一角では絶大な権限を持つほどの地位にいるが、そんな部下の態度を気にもとめず、いつも通り理解しづらい言葉遊びを含めて返す。このしゃべり方は彼のくせのようなもので、この研究所の職員を混乱の渦に巻いているのだ。特にオーヴァードであり外見はどう考えても中学生なお嬢、桐生白雪は仕事で呼び出されるたびに、可哀想なぐらい錯乱している。
「まぁ、時期的におかしいかもしれませんね。インフルエンザでしたら、つい2週間前に香港B型が流行って収まったばかりですし……あまりにも立て続けではありますよねぇ」
 頬に立てた人差し指を当てて、ううむと首を傾けて思案顔。彼、久遠寺遥歌は室長と意思の疎通が出来る数少ない存在である。そのせいか、やたらとややこしげな事件を押し付けられる、今回もそのパターンらしい。
「違うとは言うことはない」
 ……室長は遥歌の意見に同意らしい。
「それで? 裏でFHが動いているという確証はあるんですか?」
 遥歌は先ほど出てきたUGNの敵対組織の名をぶつけてみた。彼が室長から聞いた話は端的に言うと“最近流行っているインフルエンザは、なんだか怪しいから多分FHが絡んでるんだと思う”ということだったのだ。
「現在、全力で調査中だ」
 室長にしては珍しく断言。
「へぇ……僕が、ですか?」
 瞳にかかる前髪を払うと、遥歌は確認するのも面倒くさそうに言った。きちんと事前調査をしてから依頼を渡されたことなど今まで1度たりとも、ない。“とりあえずなんだか怪しいから、調べるついでに片付けといて”室長が彼に与える指令はいつもそんなもんだ。
「うむ」
 だから悪びれもなく肯定する室長である。
「了解しました……現在流行っているインフルエンザと、FHのつながりをでっちあげでもなんでもいいから見つけてくればいいんですね」
「でっちあげは希望しないと言うわけではないこともない」
 ……でっちあげは不許可らしい。
 わかりきったことだが、とりあえずはそんな口のきき方しか出来ないのが、遥歌の難儀な性分である。そして大げさに肩をすくめると椅子から立ち上がる。それは彼の承諾の返事であり、困ったことに室長にもちゃんと通じてしまうのだ。
「あ、もう1つ確認なんですが……」
 部屋を出かけたところでくるりと振り返ると、付け足すように彼は言う。
「僕がこの仕事に回されたのは、左遷ですか?」
 遥歌は、秋口からは基本的には複製体研究班のチーフとして、班の立ち上げからメインの研究計画立案と実施までその殆どを一任されてきた。それは年齢の割に長いキャリアと、元々の素養と、彼が“複製体”というテーマに異様に執着したことに起因する。
 確認の口調は穏やかだ――穏やかであるが故に、答え次第で待ち受けるものは、彼と付き合いが深い者であれば想像がつく。
「キミの働きによって、複製体研究班は順調に軌道に乗った。今回の件は左遷ではない、むしろヘッドハンティングだ。ウイルス研究班から依頼が来たのだよ。調査と情報収集に手馴れていて、レネゲイト関連の知識もあり、なおかつオーヴァードとの敵対した場合の対処も可能である人間がいないか、と。そんな人間はそうそういない、というか、私が知る限りではキミぐらいだ」
 長まわしの台詞を一気にまくし立てる室長、しかもしゃべり方が怪しくない――非常にレアである。
「桐生さんは?」
「インフルエンザで倒れて休んでいる」
「僕の部下の龍さんは? あの人もオーヴァードですよ」
「彼がいま、研究で手が離せないのはキミも知っているだろう?」
「はい、知ってますよ」
 なにしろ彼に仕事を割り振ったのは遥歌自身だ。
「もちろん、この件が終わればまた複製体研究班チーフとして戻ってもらう」
「了解しました。そうだうとは思いましたけれど、一応確認、です」
 茶色というには紅すぎる瞳を細めて、遥歌は最後にこんな台詞を置き土産に室長室を出た。
「室長、急に普通のしゃべり方しないでくださいね。それだけで嘘っぽくなりますから」
 ばたん。
 閉じられたドアに一言、室長は答えた。
「うむ、貴重な意見をたまわり、感謝しないこともないと思わないこともない」

 その後、遥歌は依頼主であるウイルス研究班を訪れてみた。白衣にマスクに手袋という完全防備にも関わらず、すでにインフルエンザにやられているらしく、咳くしゃみが響き渡っていた。
 ここにいるだけでインフルエンザに感染しそうだ、と、げんなりしながら集めた情報には、更にげんなりさせられた。なにしろ遥歌が先ほど室長から聞いた情報と大差なかったからだ。せいぜいが、今回扱われているインフルエンザウイルスが今まで見られたことのない新型で、未だワクチンが開発されていないということぐらいか。
「ふぅん、このウイルスの症状自体は、死亡してしまうとかという重篤なものではないということですよね?」
 シャーレにのせられたウイルスを眺めながら、さして興味なさげな声で遥歌が聞く。
「はい、発熱が若干高めで症状もひどいですが、現在のところ死亡例は報告されていません。まぁ、抵抗力の低い赤ん坊や老人がかかればわかりませんが、それは通常のインフルエンザでも同じですし」
 時々咳をしながらも、そんな遥歌に対応した研究員は丁寧に答えてくれた。
「なるほど、ね。それで流行っているのが武蔵蓮沼を中心とした、さほど広い範囲ではない、と」
 実験資材の扱いには注意してしまうのが染み付いているらしい、丁寧な仕草でシャーレを戻す。怪しいとすれば、いま自分で口にした部分だ……逆に現状ではそれぐらいしか見当たらなくて、いつも通りそういった曖昧な一点から辿るしか方法がないらしい。
「そうですね」
「わかりました。お忙しい中、お時間を頂きありがとうございました」
 軽く会釈をして、遥歌はここから出ることにした。どうしてこう、彼のお礼の言葉は感謝の念が感じられないのか――それは本人が自覚もなく、慇懃無礼さを振りまいているからであろう。
「いえ、お役に立てなくて……」
 それを感じ取った研究員は、申し訳なさそうに頭を下げる。気の毒な話しだ。
「久遠寺さんが調べるってことは、この事件はかなり危険な案件ってことですか? やっぱり、最近噂のFHのエージェントが関わってるんですか?」
 行きかけた遥歌がその台詞で踵を返す。そして視線だけで研究員の話を促した。
 そうやって得た話はこんな内容であった。
“最近、UGN上層部でも危険視しているFHのエージェントが、武蔵蓮沼市に現れたらしい”
“そのFHエージェントについては、上層部から直接、UGNの精鋭エージェントに抹殺指令が下るらしい”
「……なるほど、ね。ありがとうございます、参考になりました」
 今度は少し感謝の念を混ぜ合わせて、何故なら自分の働きが無駄足にならなさそうだと判断できる話がようやく出てきたからだ。
 ――これでそのFHエージェントにリンクせず、ただの新型インフルエンザであれば、大笑いなのであるが。


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