鏡の少年

4. はかなく つよい いのりを

『ちょうどよかった。こちらから連絡をしようと思っていたんです』
 それが彼女の第一声だった。
 散らばっていたガラスを片付けて、シュージ君にはお風呂に行ってもらって。ようやくUGNに連絡を入れた。もう日付が変わろうという時刻だったけれど、電話にでた支部長の声はしっかりしたものだった。
 襲撃してきたジャームについての報告をしようと思ったのだけれど。
「何かあったんですか?」
 UGNの方から連絡をいれようとしていた、というのは。
『ええ、少しお願いしたいことが出来まして。ですが、まずはそちらのお話からうかがいましょう』
 はきはきした声にうながされて、今日現れたジャームについて説明する。シュージ君のことは、少し悩んだけれど、伏せて。UGNに存在を知らせることが、怖かった。“クリムゾン・ダブル”……彼と無関係とは思えない。そして彼がいるのはUGNに連なる研究所。知られたら、シュージ君も捕らえられるんじゃないかと。
 そうなると、口に出来るのはジャームが現れたという、ひどく表面的なことしかない。こちらの人員で対処しろ、と言われるのがせいぜいだろう。
 しかし、反応は予想外のものだった。強い口調が返ってくる。
『腕が槍状になったジャーム? “ツイン・ランサー”が現れたんですか!?』
「“ツイン・ランサー”?」
『FHに所属するオーヴァードです。UGNのエージェントが、何度か作戦を妨害されています』
 FH――ファルス・ハーツ。
 その名を聞いて、心臓が大きな音を立てた。
 お父さんとお母さんを殺した組織。ボクをこんな身体にした組織。囚われていたときの記憶は、ところどころしかはっきりしないけど。
 ファルス・ハーツがどんな組織なのかは、明らかではない。ただ、レネゲイド・ウィルスによって世界を混乱に陥れることが目的だと言われている。理由は知らない。でも、どんな理由があっても、許されることじゃない。許すことなんて、できない。
『“ツイン・ランサー”は常にFHの指揮系統内で行動していると予測されています。彼が現れたということは、武蔵蓮沼地区でFHが何かしらの作戦行動を起こしていると考えるのが妥当でしょう』
 電話の向こうからは、冷静な、しかし緊張した声が続いている。事態を平静に判断する言葉のおかげで、思考が深いところに沈まずにすんだ。考え込んでいる場合じゃない。
つまり、シュージ君を狙っているのは、FHということになるのだから。こんな、過去に振り回されてる場合じゃない。
「取り逃がした“ツイン・ランサー”は、現在協力を仰いだオーヴァードに追跡してもらっています。どこまで追えるかは分かりませんが」
『……ひとつだけ心当たり、というか……気になる場所があります』
 初めて聞こえた戸惑うような口調。
『そもそもこちらから連絡しようとしていた件につながるのですが、あなたが現在通っている研究所に不穏な動きが見られるのです』
「不穏な動き……?」
『はい。こちらに一切報告のあがっていない研究、それもUGNの総意に反するようなものが行われているらしいことが、外部の協力者によって判明しています』
 瞬間、脳裏に映像がよぎる。白い部屋。低くうなる機械。ガラスの向こうの少年。
――……“クリムゾン・ダブル”」
『ご存知でしたか。情報が早くて助かります』
 思わずもれた呟きを、彼女は正確に拾い上げた。うなずく気配が伝わってくる。情報が早いのはそっちじゃないかと、皮肉めいた思いに口の端がゆがむ。何をどこまで知っているのか。時折怖くなる。
 ボクの考えなどもちろん気にするはずもなく。彼女の口からは仕事の内容が語られた。すなわち。

 “クリムゾン・ダブル”風間周二の、救出。

 風間、しゅう……じ……?
 同じ顔、同じ声、同じ名前。偶然で片付けるわけにいかないのは当然で。でも、それならシュージ君は何者なんだろう。
 明かりを落とした部屋の中。毛布にくるまったまま、身体の向きを変えた。頬に、床の固い感触が伝わる。視界が切り替わったところで、気持ちまで切り替わるわけじゃないけれど。じっとしていると、頭の中がぐちゃぐちゃしてくるから。
「……央樹君? やっぱり、寝られないよね。変わるよ」
 何度かそうやって動いていたから、誤解させてしまった。頭上からすまなそうな声が降る。振り仰げば、布団を肩にかけたシュージ君がこちらを覗きこんでいた。
 物の少ない一人暮らしで客用布団なんてあるはずもなく。ボクはベッドを貸して床で寝ることにしたんだけど。
「ごめん、違うよ。ちょっと考え事」
 すっかり闇に慣れた目が沈んだ表情をとらえ、あわてて笑みを浮かべた。眠れないのは確かだけど、床に寝ているのは関係ない。身体を起こして、ベッドの上のシュージ君と目線を合わせる。
「シュージ君こそ、まだ起きてたんだ?」
「うん。僕も……考え事」
 掛け布団をかぶったまま、シュージ君はボクの隣に降りてきた。空になったベッドに背中を預けて、二人でぼんやりと暗い部屋を眺める。ありあわせのダンボールで埋めただけの窓から、風が吹く。
「あの、さ。シュージ君って苗字は?」
「え?」
 聞いて何が分かるわけでもないだろうけど、黙ってもいられなくて尋ねた。きょとんとした、としかいいようのない表情がこちらに向けられる。小さく首をかしげて、さまよう視線。帰る場所について聞いたときと、同じ表情だ。
「こうづき……かな」
 小さな星の名前を言い当てるかのように。不確かなものを確かなものに変えようとするかのように。そっと言葉は紡がれた。
「うん、甲月。甲月シュージ」
「そっか」
 考えた末の名乗り。普通なら、明らかな偽名と考えるところだけど。嘘をついているわけじゃないってことは分かる。本人すら覚えていないとしても、その姓にはきっと意味があるのだろう。だからボクも、ただうなずいた。
 そうして再び訪れた沈黙。
 今度のそれを破ったのは、シュージ君だった。膝を抱えてうずめた口から、くぐもった声が聞こえた。
「……ごめんね」
 何のことか分からなくて、言葉が出なかった。隣を見ても、顔の半分を布団で隠しているから、表情が見えない。
「僕が狙われてるんだよね? あいつに」
 言いながら、布団ごと膝を抱える手が、強く握りしめられた。震えだろうか。無理もない。戦う術を持たない者には、あの力は脅威だ。1日のうちに2度も命の危険にさらされて、平気なほうがおかしい。
 ボクは、おかしいほうの人間だけど。
「せっかく泊めてくれたのに、僕、何も出来なくて……ガラスを駄目にして、央樹君に怪我させて、迷惑ばっかりかけてる」
 こっちを見ないまま、吐き出された言葉。ずっと、悩んでくれていたんだろうか。心を占めていたのは恐怖ではなく。怖くなかったわけじゃないだろうに。
 ああ、心配しないで。
「でも、一緒にご飯を食べてくれたよね」
 今度は、するりと言葉が出た。
 ガラスとか、もう治った怪我とか、そんなことはどうでもいいんだ。嬉しかった。一緒にご飯を食べたこと。なんでもない話をしたこと。
 だから。
「迷惑なんかじゃないよ」
 謝らなくていいんだ。
 だってボクには『力』がある。それは望んで手に入れたものではないけれど。だけどもし、こんな壊すことしか出来ない力だけど、もしも君を助けることが出来たのだとしたら。それは価値だ。ボクが認める初めての、ボクの価値だ。
 だから、守る。
「明日も、一緒にご飯食べようね」
 そんなささやかな願いを叶えるために。

 ――明日は、できることなら君も一緒に。……周二、君。


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