真冬の人魚姫

[Ending 1/Player如奈瑠璃、神里速人/200X.01.20]

 舞台裏、狂気の錬金術士は、囁く。
「……“あたしは昔、久遠寺遥歌が欲しかった”?」
 もはや、誰から由来したかわからぬ感情を胸に、先程まで立っていた舞台を臨み、ほくそえむ。
「まぁいいわ。きっと、あたしが欲しいのは“レネゲイト・ウイルスに侵されきった、久遠寺遥歌”だから」
 確信は、古い記憶。何故かの理由はわからないけれど、あたしはオリジナルと同じ人格だから、それを実行せねばなるまい。深い理由は、更に自分の複製体を作成し、記憶を読み出せば済むこと。
 なにしろ“久遠寺遥歌”が倒れても、無理やり起こし連れ帰る方法はいくらでもあるのだから。きっとジャーム化していても問題はないはずだ。
 しかし“レッド・ソード”の複製体“グレイ・フェイス”。オリジナルがつれていたことに習い、自分も配してみたが、どうにも独断専行で扱いづらかった。失敗だったかもしれない。予測できることとしては、死の間際の久遠寺叶歌に対する憎しみ、それが記憶としてオリジナルから強く引き継がれているのであろうが……作り直す必要もありそうだ。
 とにもかくにも、片付くまではここで待機していよう。
 そうと決めた女にかかる一声――

「おやおや、どちらへいかれるおつもりで?」

――っ!」
 心臓をわしづかみにされたような、感触。
 高鳴る鼓動を押さえつつ振り替えれば、そこには人好きのする笑みを浮かべた男がひとり立っていた。
 彼はオーヴァードだ、それも相当な能力者……体内のウイルスの告げる警笛に従い、毒の女は愛想笑いも言い訳もせず、とにかく咄嗟に自らの毒を恐怖に変えて浴びせようとするが、向こうの方が数段早かった。
 バチン。
 瞬間で、稲光――雷光を纏ったバイクが男がまたがる形で現れる。
「あなたの出番は、まだ終わっていませんよ?」
 ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅ。
 砂埃をあげ、車輪の回転数がありえない形で跳ね上がっていき、そして――
 ぐしゃり、と。
 女の体は肉塊へと、非可逆変化を遂げ、た。


「お疲れさまぁ、如奈さん」
 傍らの木の上に向けてのどかに呼びかけつつ、とんっ、と軽い足音で神里がバイクから降りれば、それは熱砂として果て消えた。
「別に、見てただけだし」
 アルトというには高い大人びた声で、木の上の少女は面倒くさそうに返した。彼女がやったのは、逃げてきた“ファナティック・アルケミスト”の登場場所を見抜いたことと、せいぜいが何処をつけば効果的に倒せるかのアドバイスで、本当に“見ていただけ”といっていいぐらいのことだった。
「うーん、掃除が大変そうだねぇ……これは。今日のシフトは誰だったかなぁっと」
 神里はもはや見る影もない肉の塊を見下ろして肩をすくめる。オーヴァード関連の死体処理は、UGNの下部組織の清掃会社の仕事であるが、神里はそこでのバイトもやっているのだ。もちろん迅速に現れる運転手として、だ。
「しょうもない最後ね……学校サボるまでもなかったわ」
 こんな女、火の粉ですらなかったと……読み違えて無駄足を踏んだ自分に、少し呆れるのは瑠璃。
 この2人、微妙に会話がかみ合っていないが、当人同士はお構い無しである。
「お、あっちも丸く収まったみたいだねぇ」
 神里が、持ち前のよい視力で見通す先では、血の海の中、疲れ果てた双子が眠りだしたところだった。
「助けてあげればよかったのに。結構やる気満々だったんでしょ?」
 彼の運転テクニックを持ってすれば、高速で突っ込み敵を跳ね飛ばすことぐらい、造作もないことであろう。
「運転手は運転がお仕事、ってね。まぁ最終手段としては、お嬢様とお兄様を拾ってそのまま自宅までお連れするつもりだったけど……」
 そこで言葉を止めた後、彼はにっこりと人好きのする笑顔になる。
「ほら、やっぱりお兄様に花を持たせたままで終わりたいし。僕のやり方だと、何かと目立っちゃうからねぇ♪」
 つまり、そのありがたい気遣いのせいで、遥歌は一度涅槃まで落ちたわけで。しかも遥歌のウイルス侵食がつりあがれば、忌むべき人格が目覚め“ファナティック・アルケミスト”はそれを狙っていると言っていたはずだが、この男は。
「……あんたも、結構タチ悪いわよね」
 それでも遥歌が還ってくることまで計算ずくで、そうしていたのだろうか、と瑠璃は一瞬思い、それは所詮自分にとってはどうでもいいことだと、とっとと片付けてしまった。
「如奈さんは、友達想いだねぇ」
「…………馬鹿馬鹿しい、帰る」
 憮然とした声、けれど構わず運転手はにんまりと口元をほころばしたままだ。
 細い枝の上でも器用にバランスを取っていた瑠璃は、んっと伸びをすると立ち上がり、軽やかに木から跳ね下りた。
「じゃ、おくろっか?」
「あんたは、叶歌お嬢様を送るんでしょ?」
 瑠璃が顎でしゃくった先には、叶歌の膝枕で眠りこける遥歌の姿がある。
 ……結局、あの馬鹿兄貴はようやく自分のあるべき場所を理解出来たのだろうか――そこから逃げ出すことが、結局は一番大切である人を傷つけるのだということに。
「いやぁ、いまお邪魔するのは野暮ってもんでしょ? 大丈夫、呼ばれれば1分で戻ればいいんだし」
 くっくっくっ……と、さも楽しげに喉を鳴らして笑う神里に、瑠璃はやってられない、という風に肩をすくめ、言った。
「じゃ、折角だし……送ってもらおうかしらね」

 1分後――
 黒塗りの乗用車は武蔵蓮沼東公園から、滑るように退場していった。

[Ending 2/Player久遠寺遥歌、久遠寺叶歌/200X.01.20]

…………
 ――人魚姫。
 老婆(レネゲイト・ウイルス)との取引で、僕は願った。
“全てを消さないで下さい。ただひとつだけ、憶えていたいことがあります――歌を、今日、舞台で歌うことが出来なかった大好きな歌を、いつかまた、2人で歌いたいから”
 と。

 ――人魚姫。
 子供の頃、とても悲しいお話の絵本を読んで泣いていたのは、叶歌ではなくて僕だった。
「お兄様、お兄様……泣かないでください。これは悲しいだけのお話なんですわ」
 いつもと逆の立場のせいで、叶歌が困っている。
 そう、かんしゃくを起こして泣くのは叶歌で、お兄さんの僕はいつも宥める役回りだったから。
「可愛そうなのは人魚姫であって、お兄様ではありませんから」
 撫で撫でと一所懸命に頭を撫でてきてくれる。それは叶歌が泣いた時、僕がしてあげることだ。けど、それでも僕は泣くのをやめることが出来ない。
 だって、このお話は悲しすぎる。どうして一所懸命な人魚姫が、幸せになれないんだろう。ひどいよ……。
「ええっと……例えばお兄様が人魚姫みたいにわたしを想ってくださるのなら、わたしは絶対に気づきます。そして忘れたりもしません。絶対にこんなに悲しいお話にしたりはしません」
 考えて考えて、精一杯の言葉で、叶歌は僕に訴えてくる。
「だから、泣き止んでください。ね、お兄様」

 ――わたしは、絶対に、お兄様を、悲しませたりはしませんから。

…………

 ひらひら、ひらひら。
 瞳を開いたら、灰色の雪が頼りなく落ちてくる場所に、いた。天から降る雪は随分とその数を増やしていた、つもるかもしれないな。
「あら、お兄様、お目覚めになりまして?」
 その雪を遮って僕を覗きこんでくる柔らかな眼差しがある。
「………どれぐらい、寝てましたか?」
 その人の膝の上に頭を乗せたままで、ぼんやりと僕はその淡い茶色の眼差しに問い掛けた。
 ああ、ここはとても居心地が、いい……な。
「そんなに長くはありませんわ。30分ぐらいでしょうか」
 それは嘘なのかもしれない。そういう彼女のかじかんだ指先は真っ赤だし、肩や髪には綿毛のように雪がほんわりとかぶっている。
 柱時計は午後2時をまわっていた。あの戦いにどれぐらいの時間がかかったのか憶えていないけれど、寝ていたのが30分ということはあるまい。
 目の前に合ったはずの血の惨劇は綺麗さっぱりと片付けられていて、周囲にも色が戻ってきていた。
「UGNが来たのなら、乗せて帰ってもらえればよかったものを……」
 そんなことを言いながら、僕はまだ頭を起こせないでいる。そういえばさっき見た夢も、僕が叶歌さんの膝の上で泣いていたのだっけ? 子供とはいえみっともない話で。
 ……記憶だったのか、夢だったのか……どちらでも、いいや。
 この居心地のよさには、本当にどうでもよくなってしまう。
 記憶があること、記憶がないこと。そんなこだわりよりも、ただここにいて、この人が笑っていてくれれば、それでいいのかもしれない、少しだけそんな気が、した。
「あまりに気持ちよさそうに寝ていらしたので、起こすのが忍びなかったんですわ」
 彼女は何処までも笑顔だった。そう、柔らかい日の光のような慈母めいた笑みで。
 天から降る雪は、ベンチを地面を白で埋め尽くしていく。だけどもう、怖くない――大丈夫、2人でここにいれば、大丈夫だ。自分が見えなくなったりは、しない。
「雪……ですね、叶歌……さん」
 呼び捨てにしかけて、あわてて“さん”を付け足した。
「雪……ですわ、お兄様」
 同じ台詞を返しながら、叶歌さんは、んっと眉をしかめる。
「お兄様、オリジナルだった時には、呼び捨てにしてくれるんじゃありませんでしたの?」
 声が拗ねるように甘えを帯びる。僕は横になったままで肩をすくめるという器用な真似でこたえる。
「考えておく、と言っただけですよ」
「むぅ」
 むにっ。
 ほっぺたをつまむというには乱暴に力をいれて、つまりつねられたのだ。
「叶歌さん、痛いですよ」
「お兄様はどうしてそんなに依怙地なんですの? ちゃんと記憶を思い出されたのだから、もっと素直におなりになればよいものを」
 相変わらず指を離してくれない叶歌さんに、僕はとうとう体を起こして逃れる。
 まったく、殴ったりつねったりと、どうしてこうこの人は僕の頬を痛めつけるのが好きなのだろう。
「お兄様は、想いが叶った人魚姫なんですよ? きっと彼女ならもっと素直なはずですわ」
 背中をもたれさせたら、そんな膨れた叶歌さんの声。確かな響きが、ふと生命を感じさせてほっとする。僕も彼女も、生きてここに戻れたのだなぁ……と。
 ああそういえば、約束したのだった――必ずあなたを幸せにすることが出来る人を、そばに残すって。けれど残ってしまったのは、記憶がない僕。これで良かったのかと自問自答したところで、答えは……ひとつしかないわけで。
 つまりは、僕が彼女を幸せにすべき、ということ。
「記憶は相変わらずありませんよ」
 本当はこんな時、優しい台詞が吐ければいいのだけれど、相変わらず僕の中はほとんどからっぽで。ただ器には、歌と人魚姫のお話と冷たい海の底の記憶だけが、たゆたっている。ああ、それでもいいか、3倍に増えたのだから。
「人魚姫の絵本……」
 けれど叶歌さんは、相変わらずマイペースに会話の主導権を奪い取った。
「小さな頃、泣いているお兄様を慰めるのに、わたしがどれだけ苦労したことか……」
 なるほど、やはりあれは実際にあったことだったのだ。
 夢で見た光景、一所懸命言葉を尽くして頭を撫ぜてくれた、叶歌さん。そして彼女は、ちゃんと約束を守ってくれた。

“お兄様が人魚姫みたいにわたしを想ってくださるのなら、わたしは絶対に気づきます。そして忘れたりもしません”

 半年前――彼女は、裏庭で歌っていた僕を見つけてくれた。
 本当にあるのかすらわからない歌。それが僕の過去を示す全てだった。自分ですらわからないものを誰かに見つけてもらって、自分を“定義”するなにかを欲していた。
 ……消えてしまわないように。
 ……僕が僕であるために。
「お兄様ったら、ご飯のお時間になっても、ちっとも泣き止んでくださらないんですもの」
 “懐かしむ”という僕が手にできない感情で彼女は瞳を細める。いつもならそんな顔を見ても“思い出せない”自分に苦しむだけなのに、今日は違った。
 ――あなたの思い出の箱の中には、きっとたくさんの僕がいる。
 その箱の中身が、あなたの安寧な表情を紡ぐのだとしたら、それは純粋に嬉しいこと、だ。
 幼い頃の僕はなにを想い妹を見ていたのか、どうしてあげたいと願っていたのかは、未だに思い出せない。
 ……けれど。
 じゃあ、今してあげたいことはなんだろう? と、考えてみる。例えば、冷たい指を暖める缶の紅茶を奢ってあげたいとか、そんな些細なことしか思いつかなくても。
「……お兄様?」
 僕の視線に気づき叶歌さんが笑う。そしてすぐにおどけるように膨れると、こんなことを続けた。
「わたし、お腹が減ってお腹が減って、こっちが泣きたくなりましたわ」
「たまには、慰める側の苦労を味わうといいんですよ」
 意識せずに飛び出した台詞に、少しだけ驚いた。
 内容は憶えていないけれど、よく泣いているのをなだめていた……そんな曖昧な事象が今の彼女の顔に重なり、何故だかふき出してしまった。そうだったんだ、僕も苦労してたんだねぇ。
「お兄様? どうして笑っていらっしゃるのですか?」
 よいことではないと予想はついているのだろう、むっとした顔で叶歌さんはこちらを睨みつけてくる。
「……なんでもありませんよ」
 ベンチから立ち上がり、自分と叶歌さんの服を見てみる。血だらけのコートは取り替えられていた。これなら外を歩けるな、UGNも気がきく。そう少し見直しつつ、この町の冬仕様のコートは雪の日には寒すぎることにも気づいた。
「そういえば“ファナティック・アルケミスト”は、結局逃げおおせたんでしたっけ」
 全てを消し尽くさねばオリジナルを開放できない――
 あの時はそれだけを考えていた。だから叶歌さんに追うのを止められた時は怒りすら感じたけれど、その時点で彼女は既にオリジナルが偽者だと見抜いていたのだろうか。
「そうですわね……あら、着信が、どなたでしょう?」
 不安気に顔をしかめながら、あの男から取り返した携帯電話を見ていた叶歌さんは、ふと顔をほころばせた。
「大丈夫ですわ」
「その根拠はなんですか?」
「だって、神里さんからお電話が入ってますもの」
 パールホワイトの携帯電話を開き、その画面を僕に見せ、彼女は得意げに笑う。神里さん……か、なにかと気が回る1歳年上の人で、叶歌さんからの信頼も厚い。
「これは丁度、あの男に奪われていた時ですから、きっとすぐに切られて……あからさまに不審ですもの、神里さんなら全てを片付けてくださっているはずですわ」
 この通り。
「信頼されてるんですねぇ、神里さんを」
 ……このため息とやるせなさはなんなのだろう。
 まったく、彼女の傍らにいるのは僕じゃなくて、あの運転手の方が相応しいのではなかろうかと、早速先程の決意が揺らぎ始め……そんな自分にはちょっと呆れた。
「そうですわねぇ……神里さんは、瀬能さんと同じ感じがしますもの。瀬能さんだって、わたしやお兄様の食べたいものを、伝えなくても準備して待っていてくださいますでしょう? それと一緒ですわ」
「ああ、なるほど……ね」
 そういうことならば、“ファナティック・アルケミスト”は彼が片付けてくれたのだろう、と、納得しつつもほっとしている自分を見つけ、ますます複雑な気持ちになる……話をとっとと変えてしまおう。
「2人して学校をサボってしまいましたね。なにか理由を考えないと……」
「2人で風邪を引いて寝込んでしまった、それで充分ですわ。昔はよく、お兄様からお風邪をもらっていたんですよ、わたし」
 そう言いながらあわせて立ち上がると、叶歌さんはダッフルコートのフードをかぶって雪を避けた。
「雪をかぶったままでフードをかぶるとね、結局冷たくなっちゃいますよ」
 そっとフードを外し雪を払ってあげると、叶歌さんのサラサラの髪はほんの少し撫ぜるだけで、灰色の雪から戒めを解いた。
「お兄様も雪だらけですわ」
 ぱたぱたぱたぱた、お返しとばかりに叶歌さんからも。だけどすぐに彼女は天を見上げて、ほっとため息ひとつ。
「けれどこれだけの雪だと、はらってもはらってもキリがありませんわね」
「そうですね。だったら、コンビニで傘でも買って、タクシーでも拾いますか?」
 肩をすくめて返したあとで、ついでのようにして本当の願望を付け足す。
「……僕は早く帰って、暖かい紅茶が飲みたいです」
 家で、あなたの淹れてくれた紅茶が飲みたい。きっと、おいしいはずだから。
「そうですわね。素敵な香りのフレーバードティが入りましたの。瀬能さんに淹れて頂いて、お茶にしましょう、あとケーキも買って。そうそう、この近くにおいしいケーキ屋さんがあるって、クラスのお友達に聞きましたのよ」
 僕の提案に同意をすると、おっとりとした話調と相反する手際のよさで話を進めていく。
「……この近くって、どこですか?」
「住所は手帳に書いてもらいましたの。ええっと…………」
 ごそごそとかばんに手を入れて、桜色の合皮の手帳を取り出すと僕に見せる。武蔵蓮沼市には違いないが、あとの町名はさっぱりわからないものであった。
「住所を知っていても、辿りつけるとは限りませんよ。僕はこんなところ、来たことないんですからね」
 叶歌さんとは違い、この町に暮らしてまだ半年足らずなのだから。いや、足らずじゃない、か……半年も経ったのだ。なにもない僕を兄だと信じて大事にする彼女と一緒に暮らし始めて。それでも、離れていた10年を取り返すには、まだまだ20分の1……か。
「大丈夫ですわ」
 その自信はどこから来るのか……苦笑交じりで白い息を吐いて歩き出しながら、僕の瞳は自販機を探している。
「あ、そうですわ、瑠璃さんに風邪薬のお礼のケーキと、あと神里さんにもいつもお世話になっているお礼で差し上げて……」
「いつも通り人の話を聞いてませんね、まったく……」
 ぽん☆
 自販機で紅茶を2本買う僕のささやかなため息は、叶歌さんが手を打った音でかき消された。名案を思いついたしてやったり顔だ。
「あ、いっそおふたりをご招待して、今日、お茶会なんて素敵ですわね♪ お兄様」
「もう、好きにしてください」
 病み上がりの体でどれだけ歩かされるのだろうと、内心少しげんなりしながらも1本を叶歌さんに差し出す。
「飲まないで暖めることをお勧めしますよ、指先」
「……ありがとうございます、お兄様」
 それでも笑顔を見ると、とりあえず満足する。そして自分では缶を開けるとちまちまとすすった。
「…………」
「…………」
 ――しばらくの間、2人して並んで昼の雪を見上げている。
 ここより白い北の国の雪は、もっともっと存在全てを飲み込んでしまいそうで、怖くて。嫌いと決め付けて逃げ出すのがやっとだった。
 けれども隣のあなたと見れば、本当に素直に綺麗だと言える気がする。
「じゃあ、行きましょうか、お兄様」
 僕のあげた缶の紅茶をポケットに入れて、左手をこちらに差し出す。
「道案内はしてくださいね、叶歌さ…………」
「はい! お兄様」
 その手を取りながら名前を呼んだところで、きっぱりとした声に遮られる。なるほど強硬手段に出たようだ。悪戯っ子のように笑う彼女の手を離し、早足で歩き出してみる。
「お兄様ぁ……?」
 こちらが怒ったと思ったのか、伺うように駆け寄ってくる妹に、足をとめて振り返った。
 ちょっと、深呼吸。緊張する心を極力押さえつける。
 ――右手を差し出して、一言。
「ほら、行きますよ? 叶歌」
 一瞬の戸惑いの後……。
「はい、お兄様!」
 叶歌は僕の手を握り締めると、華がひらくように鮮やかな笑顔をみせた。

 約束は――
“おいていかないこと”
“忘れないこと”
 僕はもうあなたをひとり、おいていかない。
 だから、あなたは憶えていて、僕のことを。
 あなたの呼ぶ声を頼りに、僕は還るから。

 ……どんな極限の場所にいこうとも、必ずあなたの元に還るから。


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