真冬の人魚姫

[Climax 3/Player 久遠寺叶歌、久遠寺遥歌/200X.01.20]

――あなたは、どなたですの?」

 そんな質問に対して、同じ顔をした2人のお兄様は戸惑いと驚きを取り混ぜた表情でこちらを見た。
 刹那、時間は停止し――動かし始めたのは、黒いセーターを着た方だった。彼は瞬きをして不可思議そうに首を傾げ、わたしを見かえしてくる。
「え? 僕は“久遠寺遥歌”のオリジナルだよ? 僕に銃を向けるなんて、どういう風の吹き回し?」
 ぱちん、と彼が指を鳴らすと、わたしの鉄の固まりは砂となり、散る。もちろん予想範囲のことなので、わたしは慌てたりはしない。
「ねぇ叶歌、どうしたの?」
 こちらが返事をしないので、彼はわたしの腕をつかんで声をかけてくる。
「そうやって、わたしの手をつかんで――今度はなにを見ようとしているのですか?“異能の指先”の力で」
 そう、皮肉にもヒントは、先程の “ファナティック・アルケミスト”の話だった。
 彼女が、己が複製体にしたように、この男は昨日の喫茶店でわたしに対して“異能の指先”(記憶捜査)を使ったのだ。
 あの時、彼はわたしを抱きしめて、思い出を語っていたではないか……すっかりと騙されていたことが、本当に悔しい。
「な、なに言ってるのか、よくわからないんだけど……もしかして、叶歌は僕のことを疑っているのかな? 仮に僕が叶歌から記憶を取り出せたとしても、6歳の時にディスティニーランドに行った、そんな話までは特定できないよ? “異能の指先”はその時に考えていることや、近い過去の記憶が読めるんであって……」
 頭の悪い取り繕いには、本当に胸がむかむかとする。だから言い訳に対しては、その不快感を吐き捨てるような口ぶりでこたえた。
「『ディスティニーランドに行ったよね?』そう言われれば、こちらは当時のことを思い出します。あなたはそれを読み取って話をあわせていただけですわ」
「けどさ、そんなあてずっぽでディスティニーランドなんて言ったって、叶歌が行った事がなければ、おしまいだよ?」
 あくまで薄笑いを浮かべて、まだ取り繕おうとするのが浅はか過ぎる。本当はここまで言いたくはないのだけれど……わたしは言葉にすることにした。
「それも……予想はついていますわ。“ファナティック・アルケミスト”が創った、わたしたちの両親の複製体から『ディスティニーランドに行った』という事実を引き出したのでしょう?」
 両親の複製体はきっと、もう……生きてはいないのだろう。
 お父様とお母様ではないのかもしれないけれど、かすかでも彼らのなにかを抱く存在が、なんの尊厳もなく扱われたのであろうことを考えると、胸が痛み、許せない。
「どうしてここまで大掛かりなことをしたのか、理由は思いもつかないのですが」
 理由なんて、考えたくもない……と、思う。
――もう一度聞きます“あなたは、どなたですか?”」
 そしてわたしは、お兄様と男の間に立つと、再度同じ質問を繰りかえす。
 ……そこまで指摘してやっと、男は逃れられないと悟ったのか、微笑むのをやめて顔をしかめた。
「このアマが、一度ならず何度も何度も人の武器を落としやがって……」
 ぼそぼそと低く薄汚い音は、もはや耳に心地よいお兄様の声ではない。わたしは厭味でもなく耳をふさぎたくなる。
 手のひらには再び銃が現れて、同時に輪郭が溶け出すように男の顔がぶれる。目、鼻、口……それぞれが肌色に攪拌され、そして現れたのは…………。
「馬脚をあらわしましたわね」
 侮蔑の笑みで、わたしは彼を出迎えて差し上げた。
 髪の色こそ金髪ではなく灰色だったが、その顔は忘れることはない――数ヶ月前に、お兄様に剣をつきたててさらおうとした“レッド・ソード”その男だったのだから。
「俺の正体を暴いたからといって、いい気になるなよ……オリジナルは“ファナティック・アルケミスト”に使われていたが、今回は俺が利用させてもらったんだよ。てめぇら兄妹を、絶望の中で殺すためにな。あの女、途中で逃げやがったから、あとで始末はつける」
 銃をわたしにつきつけながら、彼は御託並べ出した。
「俺はさぁ、お前が自分の手で兄貴を殺して、後悔して泣きじゃくるトコ、見たかったんだよ、無様にな。てことで、まずは…………お前からだ!!」
 わたしに向いていた銃口が素早くお兄様の方へと動かされ、躊躇なく弾は発射された。
「お兄様!!」
 男に襲い掛かり押し倒すが弾は発射された後だ。
 後ろで嫌な音が耳を劈く。一瞬振り返れば、銃弾を避けきれず額に食らったお兄様が、斜めに倒れていくのを見てしまった。
「お兄様、お兄様、お兄様、お兄様ぁぁ!」
 血を吐くように叫んでも、あの人からの返事は返らない。
 ほんの僅かをつかれて、庇いに行くことが出来なかった。守りたかったものは、亡くしたくなかったものは、こんなに瞬間で費える――そんなの違う、どうして、何故?!
「お兄様を……お兄様をぉぉぉっっっ」
 怒りと悔しさで息が詰まり台詞が続かない。しゃくりあげながらもありったけで、男の首を締め上げた。わたしは完全に我を忘れていた……初めてかもしれない、こんなに人が憎くて、殺してやりたいと願ったのは。
「いい泣き顔だぁ。さぁて、次は妹さんの方だねぇ」
 ふてぶてしい笑みを浮かべ、わたしに首を締め上げられても、何処ふく風で彼は悠然と銃を構える。
「お、お兄様……を…………お兄様を……許しませ…………あうっ」
「非力だね、お嬢ちゃん。まるで普通の人間並だぁ」
 開いた左手でわたしの腕をねじあげると、彼は囁いた。
「さようなら。推理ショウは楽しかったけれど、詰めが甘かったようだね」
 こめかみに引き金が押し当てられた。それでもわたしは目を閉じることなく、最後まで抗おうとする。この間近な銃弾を捻じ曲げて、と、体内のウイルスに願いをかけて――

 絶対に生き残って、あなたを、殺す。

「詰めが甘いのはどちらですか?」
 そんな言霊とともに――ぐしゃりっ、と、肉の爆ぜる音。
 それはわたしの体ではなくて後ろから。同時に手首を握り締める男の力が緩み、銃も床に落ちた。
 目の前の男が長い悲鳴をあげる間もなく吹き飛び、一拍おいて水音共にわたしの背中に生暖かい液体が降り注いだ。床に落ちる水は、紅。
 これは……血?
「言ったでしょう? 必ず殺しに戻ってくると」
 残酷冷酷な台詞と、暖かく優しい声音のアンビバレンツ。
 ゆっくりと振り返れば、そこには3体の従者を従えたお兄様が、佇んでいた。1体の従者は今しがた、目の前の男を道連れに自爆をしたのだ。
「お兄様……」
 そう呼べば、僅かにだけ口元で微笑み答えてくれた。けれどすぐに無情にすりかえて、お兄様は哀れな敗者を見下ろす。
「どうして……どうして……もうリザレクトは出来ないは……ず……」
 4肢が吹き飛びもはや虫の息の男は、驚愕の瞳で悠然と佇むお兄様を見つめかえしていた。彼の方もリザレクトできないところまできているらしいことは、傷がいっこうにふさがらないことから、わかる。
「おいていかないって、約束したから。10年間、叶歌は僕が生きていると信じてくれたから――まだ、死ねない」
 わたしの肩に手を置いて、ゆっくりとそばから離す。お兄様はわたしに手渡された銃を……先程、わたしが操られて自分に向けられた銃を受け取ると、引き金をしぼる。
「叶歌を殺そうとするあなたに生きる価値はありません。よって、僕が消します――さようなら」
 もう避けることすら叶わないのか、全て事切れてしまった後なのか、黒いセーターの男は自らの手渡した銃で、頭を爆ぜさせて――死んだ。
「おにい…………」
 同時にお兄様も崩れるように倒れこみ、銃が地面に落ちる。お供をするように残り3体の従者も血に還り、それはさながら舞台のワンシーンのようで、ゆっくりとした動きであり、目に、鮮やかで。
「お兄様……しっかり、してくださいまし?」
 なんとか受け止めるけれど、体の重みから地面にへたり込む羽目になった。
 血の霧を纏ったお兄様は、ジャーム化という殺戮の存在にはなっていない、けれど、儚げにその姿を瞬かせている。精神がウイルスに書き換えられて……消えようと……していて……。
 還ってきてくれたのはつかの間で、それはもう存在を保てなくなる程の代償を支払っての、こと? そんなのは嫌ですよ? お兄様。
「お兄様……」
「かな…………た…………約束…………」
 腕の中のお兄様はまどろむように目を伏せて、途切れ途切れに囁いた。立ち上る血の霧の中で、わたしはかすかに零れる音色を耳を傾けて、聞く。
「みず………………冷たい…………う……た……だけ、でも……憶えていた……い、から…………」
 ああ。
 溢れる記憶は10年前の水の中。わたしとあなたがレネゲイト・ウイルスに目覚めた場所――そこにあなたはいるのですね。互いに大切な片割れを失った分岐点に、ひとり。

 違います、あなたはひとりではないのですよ、お兄様。

「お兄様、お兄様……」
 この場所にこの人を留めるように、血だらけの体を抱きしめる腕に力を込める。もう絶対に手放したくはないから。
 わたしはこの身の力を、レネゲイト・ウイルスを決して疎んだりはしない。これがあったからこそ、あなたは生き延びたのだし、わたしもあなたに再びめぐり合えた。

 ねぇ、だけれどお願いなんです――まだ、お兄様を連れていかないで。

 この人がいない世界は、息をするのすら冷たくて、胸が凍えそうになるんです。
 あの海と同じ、紺黒色で、なにも見えなくなる――昏くて、寂しすぎて。
「お兄様、ここは海の中ではありませんわ。あなたはわたしのそばに還ってきてくださったのだから。そしてあなたはこれからも、わたしのそばにいなくてはいけないのです」
 言葉が口にすることで力を持ち、真実となる。ならばわたしは何度でも言おう。
 ――あなたはわたしのそばにいなくてはいけないのです、と。
「約束を、破らないで下さいませ……遥歌お兄様」
 血の霧を溶かすように涙の雨を。
 あなたの消えてしまった世界で生きることを考えると、自然と零れてしまう、だから――

“……おいていかないで”

 わたし、もう一度あなたをなくすなんて、いやです。
 また諦めずに探し続ける絶対の自信はあるけれど、それでも目の前で起こる事実として消えてしまったのだとしたら、わたしは永久に彷徨うしかなくなるんですよ?
「かな……た……」
 わたしの名前を呼ぶ声……呼び捨てが嬉しくて、けれど消えてしまうのは哀しくて、きっと今の私はみっともない泣き顔をしている。そんな頬に、冷たい手が触れた。
「泣かない……で…………」
 伸ばされた指が、頬をなぞりすぐに力を失って、落ちる。

“……そばにいるから”

 そんな声にならない唇の動きを残して。
「お兄様……?」
 取り巻く血の霧も消え――後に残るのは、安らかな、寝息。
 ああ。
 この人は約束を守って、わたしの元に還ってきてくださったのだ。
 よかった。
「お兄様、お帰りなさいませ」
 答えるのは本当に安寧な寝息。ほっと安心したら力が抜けて、わたしもお兄様に覆い被さるように、しばし気を失ってしまった。


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