真冬の人魚姫

[Scene 9/Player神里速人/200X.01.19〜01.20]

「ふー、ごちそうさま。満足満足」
 UGN定食Bこと鯖の味噌煮定食を平らげたところで、手を合わせてお百姓さんと料理人さんに感謝のしるしを。お仕事をする側からすると、決して金銭以外の見返りを求めてやっているわけではないが、それでもお客様の笑顔というのを向けられれば、素直に嬉しいものだ。だから自分でも示せる限りは示しておく。
「ごゆっくりどうぞー」
 食べ終えた皿を下げられて、かわりに置かれたバニラアイスを口にしながら、つい先程まで目の前でお茶をすすっていた如奈さんとのやり取りを思い出す。
 叶歌お嬢様を恨んでいる“錬金術師”を気どる女がいる――その名前には大方予測がついていた。
“ファナティック・アルケミスト”……数ヶ月前にお嬢様が処理した事件の中に、そんな名のFHの研究者がいた。事件の後、現場まで迎えに行ったからよく憶えている。
 確か彼女はお嬢様以下2名の手で死体と化したはずだが……複製体やらなんやらがあたりまえのこの世界、“実は偽者でしたぁ”とか、そういう話がまかり通っていても何ら不思議はない。

 どれがオリジナルで、どれが複製体とか……そんなことにはまったく意味がなくて、今ここに生きて存在している、それが全て。たったそれだけのシンプルなお話、だ。

 久遠寺叶歌というお嬢さまには半年前に出会い、同時にお兄さんとの再会からみのからお付き合いをさせていただいている。もちろん“お嬢様”と“運転手”の域を出ないものであり、今後も逸脱するつもりは毛頭ない。
 彼女は、育ちのよいお嬢様オーラをを惜しげもなく周囲に放っている。
 取り立てての美少女というわけではないが、派手目の色合いのドレスも上品に着こなすし、典雅な物腰と鈴をころがすような声も本当に申し分ない。また使用人への気遣いも忘れない。傍らで運転手をやらせてもらう分には、居心地がよいことこの上ない存在だ。
 だが最近、僕がお嬢様の運転手をやっている動機について、もう1つ気づいた。
『あの歌が歌えるのはお兄様だけです。だから記憶があろうとなかろうと、あなたはお兄様なのです』
『お兄様がここにいる、大切なのはそれだけです』
 と。
 とにかく考え方がシンプルで、すとんっと一本の筋が通っている部分、そこだ。利用される方が楽な立場と世の中で、彼女は迷わず自分の生き方を押し通していくのだろう、と――なんだか、それを見ていたい気分の自分を見つけたわけで。
 なんにしても、通常は死亡しているとしか考えられない“お兄様”を、10年間も生きていると信じ続けた意志の強さは並大抵ではないはずだ。
「と、いうわけで……ファナティックなんとかが生きていて、お嬢様に害を成しそうなわけ……ねぇ」
 如奈さんは相変わらず思わせぶりな言い方しかしないが、どうやらそういうことなのだろうと思う。それはあまりよろしくない事態だ。
 アイスがなくなってしまったので、コーヒーを1杯、オーダーとして入れる。もうしばらくここで考えていこう。
 しかも、もう1つの懸念事項としては、お兄様こと“久遠寺遥歌”が、2人いるらしいということだ。予想される事態としては、どちらか一体は複製体ってとこか。
 お嬢様ならば簡単だろう、どちらもお屋敷に連れ帰り、で決定だ。最初から三つ子だったという風に戸籍をでっち上げることぐらい、平気でするはずだ。
 お兄さん本人は、なんだかんだと悩み、ひと悶着はありそうだ、が……まぁ、この辺りはお嬢様が片付けてしまわれるのだろうから、おいといて。
 問題は今回接触してきた“お兄様”が、お嬢様に対してよからぬことを企んでいる場合。如奈さんが“いけ好かない”と言っていたのがひっかかる。あの人の勘はそうそう外れないから。
 いつのまにか置かれていたコーヒーに口をつける。アメリカン、まずいとは言わないが、これだと運転の眠気覚ましにはならないし、僕はもっと濃い方が好みだ。

 しかし、どうしてこう事象は重なってしまうのか――運命なんて信じたことはないけれど、物事には起こるべきタイミングがあるのだと、最近、思うことも多い。今回の件もその類のような予感。

 つい先日東北からこちら方面に乗せた御子神さん……久遠寺遥歌お兄さんのいわば育て親なわけだが……彼女がやたらと“久遠寺遥歌”のことを気にかけていた。世間話に紛れさせて、彼の名前が出てきたのが都合3時間で8回。僕が彼とはさほど接触することはないと彼女は知っているはずなのだが。
「やれやれ、今日は徹夜かもしれないなぁ。寝不足でお仕事はあまりよくないんだけどね」
 明日は朝から一件、UGNの送りの仕事が入っていることもあり、今日はこれで仕事を畳んでしまうつもりだったんだけど、まぁ丁度いいか……明日のお客様は“あの人”だ。
「すいませーん、おかわりお願いー」
 継ぎ足される茶褐色の液体が香ばしい芳香を放つ横で、僕は懐から取り出した手帳を広げる。そこには今までの運転手としての仕事の中で培った、あれやこれやの人物のアドレスがきちきちと並んでいる。
「さってと、どこから辿ってみようかなぁ」

 1月20日火曜日、午前8時50分――
 時間より常に10分前には到着して待機するのが、運転手として正しい姿だ。たとえ寝付いたのが午前5時で睡眠時間が正味3時間以下だとしても、あくびなどしてはいけない。
 指定されたホテルの玄関から邪魔にならない場所に車を横付けし、本日のお客様を待つ。本日のお客様は、UGN東北支部の御子神命加様。目的地は、M県杜王市のご自宅まで。半年前からだが、彼女がこちらに来る際には必ず送迎役を仰せつかる。どうもご本人自らの要望らしい。
 時間きっかりにチェックアウトを済ませた彼女が出てきた。後部のドアを開けると、関東地方の冬にしては厚手のコートを腕に下げた彼女が乗り込んでくる。
「いつもありがとう、今日もよろしくお願いするわね」
 バックミラーに映るのは、つい数日前も乗せたばかりの20代後半の妙齢女性。切れ長の瞳と暗めのルージュ。軽く会釈をしたせいかウェーブのかかったセミロングの栗毛が揺れて、甘いヘアコロンの香りを車内に振りまいた。少し苦手な系統の香りだが、気にしないと決めれば、気にかからなくなるもの。
「はい、それでは迅速安全運転で」
 到着まで3時間を目処に走行計画をさらっと立てて、アクセルを踏み込んだ。能力を使えばもっと速く着くことも可能だが、希望がなければそんな必要もないしで。
 時刻はおりしも通勤ラッシュ、それでも極力滑らかに流れる道を選び、高速道へと車を転がしていく。今日は叶歌お嬢さまは徒歩でのご登校だが、かなり冷え込むので少し気の毒だと思ってしまう。
「……ここが、遥歌が通っている学校よね」
 丁度、武蔵蓮沼高校の横を通りすがったところで、彼女から口を開いてきた。
「彼は風邪をひいているそうですよ」
 校門前で少しだけスピードを落とし、けれどすぐに再加速。
「あら、会ったの?」
「いえ、妹様のご友人にお伺いしただけです」
 如奈さんをお兄様の友人扱いしたら、嫌な顔をされそうだ。
「そう。相変わらずあまり体は丈夫じゃないのね。人の傷は癒せる子なのに……」
 眉根を寄せて作る表情は、心配を示していた。
 なるほど、これで彼女の口から“久遠寺遥歌”のお話が出てくるのは9回目。つまりは話題に乗せて欲しいということだろう。お客様ご所望の話題とあらば、運転手としてものらないわけにはいくまい。
「なんでしたら、少し会っていかれますか?」
 しばしの逡巡のあと、後部座席の女性は苦い笑みと共に首を振った。
「……やめておくわ。妹さんもいることだし」
「かしこまりました。では、武蔵蓮沼市を出ますね」
「ええ、そうして頂戴」
 その声音に、僅かながらの未練を感じたが、余計なことには気づかない振りをしておく。それも運転手としての処世術だ。
 ……しばらく車内は無言となる。
 予想以上にこんでいることもあり、少々能力を使って車と車の間をすり抜けていく。そのため僕も集中が必要であったし、オーヴァードである彼女もそれを了承済みだ。
 30分も走れば車は高速へと繰り出し、ようやく走行が安定する。そのタイミングで再び、御子神さんは唇を開いた。
「薬王寺さんに聞いたわ。相変わらず……遥歌は不安定なようね」
「よくは知りませんが……そうですねぇ…………」
 もう1人の“お兄様”について、言及しようか迷い、ここでは止めた。昨日調べた時点では彼の正体はつかむことが出来なかったし、彼女に提示したところで事態は進展しないだろう。UGNの情報関連に詳しい人に聞いての結果が『NOTHING』だったわけだから。だからつなげる言葉は、こうなる。
「記憶は戻っていらっしゃらないご様子ですが、だからといって、そういったことに頓着される人が周りにいるわけでもありませんしね」
 気にしているのはご本人だけで、だからこそお嬢様の苦労が積み重なるわけだが。
「あの子も苦しいのよ。力になってあげて頂戴ね」
「………………」
 そうは言われてもどうにも答え難いものがある。それは僕の役割ではないはずだ。
「本当に随分と気にかけていらっしゃるのですね、久遠寺遥歌さんを。やはり8年前の事件に起因しているのですか?」
 あまりこういう言い方は好きではないが、乗車時間はあと2時間ちょっとしかないわけで、少しは話を急ぐ必要もある。
 彼女から引き出したい情報は、ひとつ。
 8年前の4月27日……UGチルドレンの施設壊滅から、1年と約2ヶ月――“久遠寺遥歌”の存在は消失している。UGNのデータをあさった限りでは、確認することが出来なかった。そこでなにがあったのか、だ。
 いくら調べても存在しない久遠寺遥歌の複製体が、作成されたとしたら、このタイミングのはず。
“ファナティック・アルケミスト”と名乗る存在が、久遠寺家の両親の体毛を手に入れなにを企んでいるのか、とか、それがもう1人の“久遠寺遥歌”と関係あるのか、とか、つなげきっていない情報の断片を、少しでも取りまとめたいところだ。
 ――お嬢様の、ためにも。
「そうね、あの子は特別だから。未だに悩むことがあるわ、果たして妹さんの元に戻したのが正しかったのかどうか……とね」
「……」
 運転に集中をする振りをしながら、話しやすい雰囲気を作る。あとは彼女のキーワードを聞き漏らさないようにして、捕捉していけばいい。
「記憶を取り戻すことで、全ての“封印”が外れてしまうのかもしれない。折角作り上げたものを、壊す羽目になってしまう可能性もあるから」
 空気の抜ける音。疲れたような顔で、その身を黒のクッションシートへと沈めると、女は独白を続ける。
「あなたが知りたいのは、8年前の事件のお話かしら? 神里君」
「それが、今の憂いごとにつながっているのだとしたら、ですが」
 高速道路は殆ど真っ直ぐで単調、今丁度県境を越えて埼玉に入り時刻は10時まであと10分、随分とペースが遅いな、すこし走行計画を組みなおさないと。
「……わからないわ。全てを消してしまってから、再度作り直したあの子の人格が、なにを考えているのかは」
 能力を乗せてアクセルを踏み込もうとして、ふと止める。
 彼女が語り始めたからだ――8年の前に“久遠寺遥歌”の身に降りかかった出来事を。
 UGチルドレンの施設崩壊の際、“久遠寺遥歌”が唯一生き残れたのは、その身を極限までレネゲイト・ウイルスに明渡し、驚異的な力を引き出したから。その代償として、人格を危険なものへと変異させた彼を恐れたUGNは、過去2年強にわたるUGチルドレンとしての記憶を含め、事件についての全てを彼の記憶から抹消することで、それを封印しようと試みた。封印は成功した……が。
「覚醒時の記憶喪失、そして今度は強制的な記憶消去……あの子の精神はそれに耐えられなかった……」
 俯き、過去の罪の断罪を望むが如く、女は言葉を綴る。
「……8ヶ月の間は全ての自律行動がとれず、ほぼ植物人間状態に陥り……その後、正常な生活が出来る人格を作り上げるまで、更に半年の時間がかかったわ」
 成る程、それが記録に残されていなかった1年2ヶ月というわけか。どうしてそこまで執拗に隠したのかが謎だが、概ねは、表に出ると色々とまずいことをしたということだろうか……人格崩壊にまで至るほどなのだから、相当なことが行われたと予想はできる。
 さりとて彼女の感傷に付き合うほど、こちらもお人よしではない。大切なのは現在だ。
「その1年と2ヶ月の間、他者との接触……具体的にはFHとの接触は、ありましたか?」
 バックミラーの彼女は頭を振る。
「一度だけ病室を脱走したことがあるけれど、その時にFHに接触するなんて――ありえないわ、ね」
 自信たっぷりに答えて見せた笑みは、厭世的で皮肉が強くて……そして何故か悔しげで。理由を聞くには痛々しすぎたから、聞かずにおいた。嘘を言っていないとは確信が持てたから、今回の件ではそれで充分だ。
「それではもうひとつ。“ファナティック・アルケミスト”という名前には、聞き覚えはおありですか?」
「……もう死んだと聞いて安心していたのだけれど? 妹さんが倒すなんて、不思議な縁よね、とも」
 念押しで聞いた問い掛けに、まさかのヒット……もちろんハンドル操作には揺らぎは発生しない、が。精神はちりちりと焼け付くような音をたてる。
「8年前の、UGチルドレンを使った“賢者の石”の精製は、彼女の立案だったと記憶しているわ。しばらくは遥歌に執着して大変だった」
 なんて嫌な因縁のつながり方をするのだろうか。
 ふっと息を止め、体内のレネゲイト・ウイルスを尖らせるように指先と足元に集中させ、言った。
「すみません、御子神さん。飛ばしますが……絶対安全運転でいきますので」
 無駄な胸騒ぎだといいのだが。とりあえず一刻も早く高校に戻って、お嬢様の無事を確認した上で、今後の動きを考えていかねばならないと判断した。
「彼女が……“ファナティック・アルケミスト”が生きていた、ということかしら?」
 探るような御子神さんの問い掛けには、無言。僕は答えられるカードを持っていないからだ。
「……そう、じゃあきっと、また“本物の彼女”じゃなかったんでしょうね」
 意味深な言葉を呟いて、ふっと髪をかきあげる彼女がバックミラーに映る。心配気な声音に、僅かな優越の色。それが何に対して示されているのか、知る必要は、ない。無駄なデータは頭に入れないほうがいい。混乱を呼び、結局は真実を見誤るからだ。
「神里君。次のインターで降りて、駅にでもつけて頂戴。私は新幹線で帰るから」
 そして、お客様からの思ってもいない申し出……運転手のプライドを算段にかければ、叶歌お嬢様の無事の確保もそれに当てはまると判断してみた。
「かしこまりました。申し訳ありません」
 そう呟くと、アクセルを踏み込む。車内に不快な振動は与えず、それでもありえざる高速の動きで車線をまたぎ。脳内ではどの場所で降りるのが最速か道路マップを展開させる。
 15分後――郡山の駅前で御子神さんを降ろす。東京に比べれば随分と肌寒い空気の中で、彼女は重いコートを羽織ると静かに笑う。
「病室を脱走した時ね、遥歌は偶然に妹さんと会っていたのよ。それからだった、あの子が自律行動をはじめて、回復の兆しを見せたのは」
 その偶然は本当は必然だったのではと思ったけれど、らしくないのですぐに自分の中から流す。お嬢様がその話を知ったら悔しがるのだろうか? それとも、今は傍らにお兄様がいる、それだけで気にしないのだろうか? ――後者だろうなぁ、とあっさり予想がついて、少し笑ってしまう。
「だから……遥歌と、妹さんをよろしくね、神里君」
「かしこまりました。御子神さんも、お気をつけて」
 どんなに急いでいる時も、お客様の姿を見送るのは決して忘れずに。彼女が駅に消えた後で、僕は携帯電話を開く――今は丁度休み時間だから、まずはお嬢様の番号にコール、そうしたら誰かが出てすぐ切られる気配。
「やれやれ……嫌な予感は的中かなぁ」
 珍しくため息なんてものをついた後、次に呼び出したのは如奈瑠璃さんの番号だった。かいつまんで状況を話せば、彼女はこうとだけ言って電話を切った。
「……昼休みまであと1時間ってとこね」
 まったく、彼女らしい。まぁ、言わんとしている意味ならこれで充分か。
 そばの自販機で缶コーヒーを買って車に乗せると、僕は再びハンドルを握る。
「さってと、お嬢様をお迎えにでもいきますかねぇ♪」


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