真冬の人魚姫

[Scene 5/Player如奈瑠璃/200X.01.19]

 ――都合3回目。
 白黒反転する喫茶UGNのカウンター席でわたしは、嫌気を隠そうともせず大げさな仕草で肩をすくめる。
 隠す必要もない。一緒に来た左右に陣取るクラスメートは、ティカップを口につけた状態とおしゃべりの最中手をうった状態で止まっているから。周りの客もみんなそうだ、なんの前触れもなく行動の途中を切り取ったように固まる様は、まるでヘタな彫刻家の作った石像だ、写真だとしてももっと生き生きとして動きがあるように見えるだろう。
「……まったく」
 そのワーディングをはった件の久遠寺兄妹の方へ、ちらりと視線を送る。
 今は妹の叶歌が兄の遥歌をなだめるように抱き寄せていた。高校生という背格好からは、恋人同士の甘いシーンと見えてもおかしくないが……どちらかといえば、迷子になって泣いていた子供をみつけてなだめる母親の図、という方がしっくりくる。
 つまりは、手がかかる馬鹿兄貴と、それに対してどこまでも深い愛情を注ぐ偉大なる妹、というわけだ。
 ……わたしなら、とうてい相手してられないけどね。叶歌は偉いわ、ほんと。
 彼女とは対照的な短い髪をかきあげた後、玉露を飲み干した湯飲みを置けば、ロングドレスのウエイトレスがおかわりを継ぎ足してくれた。さすがUGN関係のお店、ウエイトレスももちろんオーヴァード。
「ありがと。羊羹のおかわり、お願いしていい?」
「はい、かしこまりました」
 追加分の代金を先に手渡せば、入れ替わりで羊羹のお皿が目の前に置かれた。200円で小さなのが3切れ、短時間のお茶請けには丁度いい量だけど、ちょっとお茶の時間が長くなりすぎた。
「あなたも大変ね」
 せっせと、例の双子以外のお茶を継ぎ足して回っている彼女に声をかける。
「そうでもありません。これが仕事ですから……まぁ、今日は立て続けですよね、確かに」
 料金分の暖かなお飲み物とお食事を提供する喫茶店としては、お客様に満足をゆくものを、がモットーであるからして……そんな陰の努力が涙ぐましい。
 で、そんなことには気づくはずもなく、遥歌と叶歌の2人はその身を離すと互いに安寧な表情を見せている。そろそろワーディングが切れる頃だろうか。わたしは両隣の2人に対してどうつなげるかを、ちらと頭の片隅に置きつつも、羊羹を止まった時と同じ量にあわせるべく口に一切れほおりこんだ。
 ……唐突に背景に色がつき、ざわつきが耳に戻った。
――でさ、喫茶UGNの“UGN”って、なんの略なんだろーねー?」
 ぱん、と、軽く手をうつ音共に、右隣に座るミナちゃんの唇から元気な声が零れた。
「えー、だからさぁ“運動の後は・玄米茶でも・飲みませんか?”の略だって。だってさ、紅茶とスパゲッティと日本茶出してる無節操さだよ?」
 口元に運んだティカップ、結局飲まずに戻し反対隣のアミちゃんが返す。
「えー、それだったらさぁ、玄米茶である意味ないじゃーん」
「だーかーらー、ホントは和のお店やりたかったんだけど、それだと客はいんないから、今風のカフェをくっつけたんだって」
 UGNの本当の意味を知っているこっちにとっては、彼女たちの奇想天外な予想はなんだか微笑ましくすらある。けれど実際は、本来の意味の方がよほどお笑いだ。“ユニバーサル・ガーディアンズ・ネットワーク”が、どこをどうしたら喫茶店とつながるのか……このお店を企画立案したUGNのエライさんの顔を見てみたいものである。
「で、瑠璃ちゃんはどーよ?」
 あーだこーだと騒いでいた2人の視線がこちらにつきささった。
「ありがとうございましたー」
 それでもって、横目には店を出て行く久遠寺兄妹がひっかかる。話が終わったらしい。優しく笑って兄の腕を取る叶歌と、吹っ切れた風に見えてまだなにか考え込んでいる様子の遥歌が対照的だ。そんな2人を無言で見送りながら、友達からのクエスチョンは適当な言葉遊びでかわす。
「そうねぇ……“アンダー・グラウンド・ノーブル”地下組織のお偉いさんが、秘密の会議で使う喫茶店、とかね」
「うわ、瑠璃ちゃん、それなんかすごーい、あやしげー」
「さっすが、言うこと違うわ」
 ウケをとるつもりはまったくなかったのだけど……当たらずとも遠からずというところが、タチが悪い話だ。

「さてと。そろそろ情報が出てるころかしらね」
“UGN定食”という、もはやなんのお店かわからない様相を呈するメニューを片付けつつ、わたしは携帯電話を開いた。
ちなみに定食の内容はチキンのトマトソース添えに、サラダとスープ、ラストにデザートの杏仁豆腐がついて850円。お味とボリュームもそこそこ、道理でいかにも独身の研究所勤めの職員とかが食べにきてると思った。
「デザートの杏仁豆腐になります」
 ガラスの器に浮く白いふわふわの代物が目の前に置かれる。情報屋への連絡は、これを食べてからにしよう。暖房が程よく効いてる店内では、デザートも冷たいうちに食べてしまいたいものだから。
 あの後、ミナちゃんとアミちゃんとは別れて、わたしは馴染みの情報屋に情報収集のオーダーをだした、内容は極力絞って。
 1つ目、“ファナティック・アルケミスト”の最近の活動状況について。
 2つ目、遥歌と同じ顔をしたFHのエージェントが存在するかどうか。存在するとしたら、そいつは遥歌の“複製体”か、否か。
 以上。
“ファナティック・アルケミスト”については、昨日の件で持ち出した資料に名前を見出したことに起因する。彼女を屠ったのはもう随分前のはずだが、資料の一番下に名前があったから、入生田との接触は最近だと予想がつく。つまり彼女の名を持つものが、未だ動いていると推測される……それも複製体がらみで。
 2つ目について、今日、来店したのは、“もうひとりのお兄様”が、消える少し前だった。だからその“もうひとりのお兄様”について、殆ど把握することが出来なかった。もちろん話していた内容も不明だ。ただ彼については微妙な違和感を覚えた、それがなんなのかは思い当たるまではいかなかったのだけれど。だからひとまずは複製体と仮定して、あたってみることにした。
 わたしの知ってる遥歌の方が、いたく興奮して叫んでいたのは、“複製体”“記憶がない”云々かんぬん。あのお間抜けさんは、やっぱりそんな無意味なところで悩んでいたのかと、本当に呆れるしかない。
 先日の入生田とのやり取りを聞いた時も思ったのだけれど……複製体だろうがなんだろうが“久遠寺遥歌”である限り、あの叶歌が手放すわけないではないか、そんなことは知り合ってすぐの時点で気づけた話なのだが、それがどうにも彼にはわからないらしい。
 健気な叶歌の一途さと、無駄な部分で足踏みする遥歌の愚かさと。はてさて、これに『もうひとりのお兄様』が加わって、なにが起こることやら。
 そんなわけで、とりあえずはキーワードを“複製体”に絞って、情報をオーダーをしてみた。
 このからみが“ファナティック・アルケミスト”であれば、いずれはわたしに面倒くさい形で関わってくる可能性がある。なにしろ、彼女の可愛い子飼いのエージェント“レッド・ソード”に止めを刺したのは、他ならぬこのわたしだ。それも叶歌の“グレムリン爆弾”で取り落としてしまった彼の剣を拾い、それで突き刺すという世にも間抜けな最後を演出してあげた。
 降りかかる火の粉を払うにしても、その手立てを組み立てるためには情報を集めておかないと。もちろん、これがそのからみではなければ、解決は叶歌に任せればいいわけで。
「あ、もしもし、マスター……さっきの話なんだけど……」
 少し甘めの杏仁豆腐を食べ終わったところで、携帯電話である番号を呼び出す。
 わたしのなじみの情報屋は、表向きは喫茶店のマスターをやっている渋い男性だ70歳は超えているだろうが、しゃんと伸びと背筋といい鷹のように鋭く光る眼光といい、只者ではないと容易に想像できる。彼の情報は早く、そして正確だ。今回も期待を裏切らずに、電話口からは言葉少なくも的確にまとめられた情報が返って来る。
「…………ありがとう。じゃあ、今度はお店に顔ださせてもらうわね」
 久遠寺遥歌については、現時点では“複製体”情報はナシ。
“ファナティック・アルケミスト”と名乗る者が、今も活動中であり、どうやらどこぞの病院の看護士を買収していたとかいう話まではわかった。
「病院、ね……なるほど。病院名がはっきりしたらつながる可能性があるわね」
 叶歌の両親は確か入院中だ。病院名の把握を追加でオーダーし、用事が済んだこのタイミングで席を立とうとしたら、まん前に見知った顔が立っていた。
「やぁ、如奈さん。前、あいてる?」
 しゅたっと白手袋の右手をあげ、人好きのする笑みを浮かべているのは、運転手こと神里速人。彼には武蔵蓮沼高校3年生という肩書きもあるが、どちらかといえばUGNの運転手及び久遠寺家の運転手の方が通りがよい。よくよくUGN関係者が集まるらしい。そういえば彼は一人暮らしと聞いたことがあるから、食事をとりにきても何ら不思議はない。
「あくわよ。わたしはもう終わったから」
 そう返してから、ふと、思いつくことがあり席を立つのをやめる。そうだ、彼は久遠寺家の運転手だった。
「やっぱり、お付き合いしようかしら」
「そうだねー、1人で食べると味気ないし。あ、えーと、UGN定食B、デザートはバニラアイスで」
 通いなれた風にメニューを見もせずオーダーを済ます彼の前で、わたしも食後の玄米茶としゃれ込むことにした。如才ない世間話に相槌を打っていると、彼の目の前に鯖の味噌煮を中心としたメニューが展開された。こちらも和風で美味しそうだ。
「いただきます、と……ふう、今日はお昼に牛タンを食べたから、やっぱ魚って気分なんだよねぇ」
 器用に魚の骨をよけながら、ちまちまと幸せそうにつまむ運転手を見つつ、わたしは頬杖をついた状態でその台詞の中の単語を拾う。
「ふーん、東北にでも行ったの?」
 返してから、彼の仕組んだことに気づき、ちょっとだけ苦笑い。こうやって相手からの会話を呼び込むのは、運転手としての話術のなせる技か。まぁ丁度いい、切り出しやすくてこちらとしても楽だ。
「ちょいと杜王市までね。最近、行き来が多くてねぇ」
 杜王市は、遥歌が半年前まで“歌片遥”という名で暮らしていた土地だ。なるほどね、彼は彼でこんな山を張ってくるぐらいだから、叶歌(お嬢様)について気がかりなことがあったのだろう。
「あちらは雪が降っていた?」
 こんなアイスブレーキングは必要ない気もするけれど、世間話から始めるというのならば、少し付き合ってあげよう。どうせ彼が食べ終わるまでは、しばらく時間がかかりそうだ。ちなみに時刻は午後7時半、さすがに客層からは学生服が消えつつある。
「まぁね。北国だからねぇ、こちらよりは遥かに底冷えするよ。ああ、遥かって言えば、久遠寺遥歌さんは元気?」
「そのつなぎ方はどうかと思うわよ」
 急須から自分でお茶を継ぎ足して肩をすくめる。まったく、ヘタな洒落だ。逆に中年の客にはこういうのが受けるのだろうか。
「ま、聞かれたもんでね、お客さんに」
 悪びれもせず、運転手はあっさりと返す。ずずっとすする味噌汁……美味しそうに食べ物を食べる人だと思った。
「ふうん、客、ねぇ……」
 彼が客扱いする人間で遥歌のことを気にかけるといえば、1人しか思い当たらない。
 御子神命加――7歳から17歳まで遥歌の面倒を見ていた女。UGN東北支部で、それなりの地位にもいる。
 彼女から遥歌の様子を聞かれて、逆に何かあるのかと勘ぐった運転手は気になって仕方がないのだろう。結局、遥歌に何かあれば悲しむのは叶歌だから。彼にはそれが耐えられない筈だ。
「そうねぇ。どっちの遥歌?」
 物憂げに目を細めてそう言ってみれば、目の前で食事を取る動きがぴたりと止まった。そのままなにも言わないようなので、更にもう一言付け足してみる。
「わたしが知ってる方なら、風邪ひいてたみたいだけど」
「知らない方は……」
 まだ食べかけだというのに箸を置いて、彼は顔をあげる。
「……如奈さんが知る由もないですよねぇ」
 そう言った時点で、彼はいつもの人懐っこい笑顔を浮かべている。けれどこの笑顔を侮ってはいけない、彼は頭も悪くなければ、勘だってかなりに鋭い。わたしの台詞の意図はしっかりと伝わっているはずだ。
「そうね、叶歌も今日初めて会ったみたいだし。ただなんだか、いけ好かないやつだったわよ」
 話は終わったので今度こそ席を立つ。伝票を見れば結構飲み食いしたせいか、思ったより金額がかさんでいる。まぁいいか、昨日のギャラが入ったばかりで懐は暖かいし。
「如奈さんが知ってる方より、かい?」
「あっちはお馬鹿さんなだけよ……じゃね」
 言う人間によっては酷く厭味に聞こえる台詞も、さらりとこなす。そんな彼にちょっとだけ敬意を表して、わたしはいつも考えている本音を返し、のちに一言、付け足してみた。
「あぁ、裏で踊れそうな女なら知ってるけど。叶歌を恨んでる、錬金術師気どりの馬鹿女」
 この情報をもってして、あとは運転手がどう動くか、だ。まぁいつもの如く、応援だけならしてあげてもいいかとは思う。
「ふーん……錬金術師、ねぇ。困ったもんだねぇ。如奈さん、ありがとー、気をつけてねぇ」
 本当に困っているとは思い難いほどののどかな声に見送られ、わたしは喫茶UGN研究所前支店を後にした。


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