すべての力を出し切ったのか、薄緑の羽を広げた少女はぺたんと座り込んだ。
「あおいさん!」
駆け出したユーナイアが向かう、さらに奥ではミヤが腕をさすりながらきょとんとした視線を投げかけていた。ああ、彼女や他の仲間たちの傷も癒さなくては。ともあれまずはあおいだ。
「大丈夫?」
と声をかけようとして、冷ややかな瞳にさえぎられた。
「治してくれたことには礼を言うわ。けど」
険しい表情に戸惑う。
「……これはどういう事なの?」
深いため息をついた声も顔も、確かにあおいのものだったが。どう考えても見知ったそれより幼い。鎧と服はぶかぶかで、留め金がその意味を失っている。盾を捨てたのは重みを支えきれなかったからか。細い左腕は、今はずりおちる額あてを押さえていた。
「なっ」
小学生くらいだろうか。すっかり子供の姿になったあおいに、ユーナイアは目をしばたたかせ……。
「っんて可愛いのっ!?」
喜色満面に叫んだ。
「あーん、もう。カメラ持ってきとけばよかったわっ」
「……あのねぇ」
疲労の色をいっそう濃くして、あおいは半眼で呟くのだった。
「おっかえんなさ〜い♪」
やがて白い光に包まれ、天神学園理事長室に帰ったドラゴンマーク達の目に映ったのは、3人がけのソファを1人で占拠しつつテレビを見ている美猫だった。いつの間に持ち込んだのか、ローテーブルにはスナック菓子の袋がいくつも開けられている。
油と塩とチョコまみれの指で、美猫は1枚の便箋を差し出した。
「はい、おじいちゃんからのメモだよぉ」
そう言えば、出発の時に何か聞いたような気がする。りゅーぞーじみねこぉ、と呟きながら、望がそれをひったくって読……めない。
『諸君、…………理事会で…に出席……ら、これを美猫に預……』
『今回向かっ……らう世界……ドラコニスの力が強いらし……』
『対策として…………………………』
判別できたのはそれだけ。鉛筆の走り書きだったため、あとは菓子の油やしみで、文字としての形を失っていた。
しかし、これだけ読めれば十分だった。
「今更いらねーよ、こんなもん!」
ということを理解するには。
「まあまあ、望君。美猫ちゃんに怒っても仕方ないわよ」
『美猫ちゃんに』って辺り、すでに達観している優奈である。
「皆さん無事に帰ってこられたことですしね」
にこにこと魅夜が相槌を打つ。心をほぐしてくれるような微笑だが、ふと台詞に違和感を覚えて優奈は仲間を見回した。
(皆さん『無事』に……?)
目についたのは、クリスのそばに立つ根府川。
「……クリス先輩。それ、治らないんですか?」
翼を持つ剣士から、一介の女子高生へと姿を戻した明美が、まるで病人を見るように 実際、ある意味『病気』かもしれない 根府川を指差した。
「あ、あはは……。鶏の声を聞くと戻るらしいから……ちょっと、根府川先生連れて動物園にでも行ってきます……」
クリスは果てしなく虚ろな笑いを顔に貼り付ける。
「藤原から誘ってくれるとはっ。よし行こう、さあ行こう!」
「あー! どーぶつえん、いいなぁ。みねみねも行く〜!」
意気込んでクリスの腕を取った根府川の背中に、ソファから声がかかる。しかし根府川はぴしゃりとそれをさえぎった。
「来るな。オレと藤原で行くんだっ」
「ふに?」
いつにない厳しい声に、美猫は目を丸くした。なんだかんだ言っても根府川は教師であり、生徒のことを思っている。中等部の美猫が根府川にとって生徒かという問題はさておき。なのに、はっきりと拒絶の言葉を向けられた。声もなく、2回瞬きする。
美猫に驚かされることは常であっても、本人が驚くのを見るのは初めてかもしれない。当事者を除いた全員が同じ事を思った。
「あ、美猫ちゃん……? ごめんね、今日は……」
「気にすることはないぞ、さあ行こう! では皆の衆、またな!」
片や疲れた表情で、片や意気揚揚と、2人は理事長室を去っていった。乾いた音を立てて、扉が閉められる。
「………………でも」
生じた奇妙な沈黙を、ぽつりと破ったのは明美だった。
「鶏くらい、近所の小学校で飼ってるんじゃないですか?」
今更言っても仕方ないのだが。
「……デートっすか?」
「デートよね」
ささやき交わす優奈と望に、あおいが大きく息を吐く。ちゃんと18歳の姿である。変化はあくまで、クロノジェムによる時空のゆがみがもたらした一時的なものだったらしい。
「日本の小学校事情を知らないだけでしょ」
クリスはイギリス育ちの留学生。いくら日本語を堪能に操っても、文化を勉強しても、日本の小学校ではよく鶏を飼っている、なんて知識はさすがにないと思われた。
とはいえ、想像力を働かせるのは個人の自由なわけで。
「デートってことにしといた方が面白いじゃない♪」
「別にオレはどーでもいいんスけどね。なんなら、あとつけたらどーすか」
「やぁね。そんな野暮なことはしないわよ」
見えない部分は想像、むしろ妄想。これぞ同人オタクの重要スキルである。学園内のほとんどの人間は、優奈のこのスキルを知らない。知らぬが仏。
「もういいわ、なんでも。……疲れたからお先に」
壮絶なため息をつき、あおいが理事長室を後にした。これ以上はつきあっていられないと、背中が語っていた。
「あら、せっかくだから夕飯でも一緒にどうかと思ったのに」
夏休み、3年生は部活もないから人と話す機会は少ない。このまま帰るのはなんだか淋しいと思っていたのだが。人差し指をあごに当てて振り返る。
しかし明美は申し訳なさそうに頭を下げた。
「あ、すみません。私も帰らないと、フルートのレッスンがあるんで」
「そうなの? 残念。……魅夜ちゃんと望君は? 時間ある?」
「はい」
「まぁ、暇っすけど」
「ならご飯食べていかない? 私おごるから」
優奈がぱっと顔を明るくして言う。高校3年生の夏休みに、そんな余裕でいいのだろうかというツッコミを入れる人間は、幸いかどうかはさておきここにはいない。
「あー、いいんスか?」
「ありがとうございます、優奈さん」
「気にしないで。さ、行きましょう」
「あーっ、みねみねもご飯たべにいくー」
「てめえはくんなっ」
「あー。のんのんひどぉーい」
ぱたぱたと音を立てて、美猫が3人を追いかける。
パタンと扉が閉まった後、つけっぱなしのテレビから、1本のCMが流れていた。
「夏休みヒーロースペシャル『正義特捜ジャスティ……」
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