コクーン・アドベンチャー≫第2話 天上無上の協奏曲≫3


 森までは本当にたいした距離ではなかった。立ち並ぶキノコをかき分けるように
して進めば『それ』はすぐに見つかった。
 地底世界であるクリュオにおいて、シダ以外で葉のある植物は滅多にない。最北
部『輝きに満ちたる地』付近でしか見られないといっていいだろう。しかし目の前
にゴロンと転がっているそいつは薄い黄緑色の葉をもっていた。その葉は幾重にも
重なってボール状になっている。
「これが、ナニーボール……?」
 シルヴァンが好奇心をつつかれて近づいた。

 びよ〜ん。

「どわっ!」
 シルヴァンは唐突に飛び上がってきたナニーボールを危ういところでかわす。慌
ててのけぞったのと驚いたのでバランスを崩してしりもちをついた。
「ああ、気をつけたほうがいいわよ。ナニーボールって体当たりしてくるから。」
「はあ、ご忠告はありがたいのですが、できたら次回からはもう少し早くお願いし
ます。」
 さらりと放ったテルルの台詞に、返ってきたのは予想外の落ち着いた声。思わず
テルルはシルヴァンをまじまじと見つめた。いや、シルヴァン……なのだろうか?
姿は確かに変わらないが、なぜか髪の色が銀から黒になっている。それに、この丁
寧な口調とにこやかな笑みはなんだ?
「シル、ヴァン……?」
「え? いえ。はじめまして、ボクの名前はエドと申します。ライリー神にお仕え
している神官です。どうぞお見知りおきを。……ところであなた方は一体? ボク
は何をしていてここはどこでしょう。」
「え? あの、……は?」
 いきなりの自己紹介に混乱する。テルルはらしくもなく間抜けな声しか出せなか
った。目の前にいるのはシルヴァン、だったはずの男。でも彼は今、自らを『エド』
と名乗った。しかも雰囲気も全然違うし。なんなの、こいつ?
(そんでもって、ライリーですって? 胡散臭いわねえ。)
 戦神ライリー。勝利の神。その教義は「どんな手を使ってでも勝利すべし。勝者
こそが正義なり。」である。……クリュオではこうなのだから仕方ない。腕っぷし
が強いのもさることながら、ライリー信者といえば卑怯者の代名詞だ。ま、何事に
も例外はつきものだから彼がそうだとは限らないが。
「エドさん、ですかぁ〜? 先程までとずいぶん〜、印象が変わられましたねぇ。」
 小首を傾げつつ、サアラは瞳を輝かせていた。目の前で起こった不思議な出来事
に胸が高鳴る。面白そうなことがあると気になって仕方ない性分なのだ。
「はあ、たぶんそれはボクですけどボクではありませんので。先程おっしゃった…
…シルヴァン、ですか。そのもう一人のボクが出ている間のことって何も覚えてい
ないのですが、ボクが人としゃべるのは、たぶん久しぶりですよ。」
「まぁ〜、それはぁどういうことなんでしょう〜。」
 面白がるサアラ、戸惑う一行、無気力なシェレラ。……忘れられたナニーボール。
「なあ、行っちまうぞ?」
 レビンが飛び跳ねていくナニーボールを指差した。唯一エドの事を知っていたお
かげで一人冷静だ。でも説明はしてくれないんだね。
 声をかけられてようやくテルルは目的を思い出す。
「そうだった、あれを捕まえないといけないのよね。ウォルフィ!」
 明らかな命令口調で当然のようにテルルが叫んだ。彼女の中では既にウォルフィ
は下僕二号らしい。一号が誰かは言うまでもない。そんでもって普段のウォルフィ
なら気にせず突っ込んでいくところだったろう。
 しかし、今は。
「…………何か、言ったか?」
 ぼけーっ。
(こんの役立たずっ!)
 頭が痛くなりそうである。思わずこめかみを押さえた。そこへ、
「事情はよく解りませんがあれを捕まえればいいんですね? ボクが行きますよ、
お姉さま。」
「お、お姉さまっ!?」
 エドの呼びかけにテルルは危うくこけそうになる。初対面のときに『おばさん』
と言ってのけたのと同じ口から『お姉さま』。なんだか……。
(ふ、こいつもようやく美を理解したようね。)
 って、そうなのか? おい、それでいいのか!?
「姐さんも結構ノリやすい性格ですからねえ。」
 誰にともなく解説するシュウ。それが自らを滅ぼしているのだとなぜ気づかない
のか。
「……あんたもさっさと行く!」
 案の定杖の一振りで怪我を増やしている。そしてうめきながらエドの後を追いは
じめた、その後ろで
「……そっか、お姉さまなのか。ふーん……。」
 なんだかよく解らないがウォルフィが一人でうなずいていた。テルルは深くため
息をつく。
「ああ〜、もう! しゃきっとしなさいよ!」
「そうですよ〜、元気を出してぇくださーい。」
 見るからに戦闘系の奴にふさぎこまれていてはさすがに不安である。サアラはじ
ゃらんとリュートをかき鳴らすと歌いだした。
 

  さあ、顔を上げて うつむかないで
  真昼のように明るい笑顔をボクに見せてよ
  楽しいこと思い出して テンテケテン
  悲しいこと吹き飛ばして トコトコトン
  踊りだそうよ 輪になって
  ネズミと一緒に輪になって キノコと一緒に輪になって
  あ、それ ドンツクドンツク パパラパラ
 

「……音楽、楽しいな。オレ、踊るの得意!」
 サアラの奏でる音につられて、ウォルフィの表情が見る間に明るくなった。にか
っと能天気な笑みを浮かべる。
(へえ……。)
 テルルは呪曲に対する印象を少しだけ改めた。「はた迷惑な恥ずかしいもの」か
ら「役に立つことも一応あるけど恥ずかしいもの」に。だってやっぱり、目立つし
バカっぽいよなあ。
「ま〜あぁ、踊りが得意なんですかぁ。それは素敵〜ですねえ〜。」
 こういう性格だから恥ずかしくはないんだろう。
「ちょっと、なごんでる場合じゃないわよ。ウォルフィ、あんたも早くさっきの追
いかけなさい!」
「わかった、『お姉さま』!」
「…………別にいいけどね。」
 テルルは呟きながら最後尾を走り出した。背の高いキノコの間を走り抜けるのは
思ったより骨の折れる仕事だった。頭脳労働担当を自負している彼女は、ようする
に体を動かすことはあまり得意ではなかった。じめじめした足元に時折すべりそう
になる。
 どうせなら追いつく頃には全部片付いていると楽なんだけど。考えているうちに
先頭を行ったエドが見えてきた。その背中は明らかに戸惑いの色を見せている。エ
ドだけではない。レビンやシュウも立ち止まったままどうにもできないでいる。ウ
ォルフィだけは騒いでいたが、戸惑っているのには変わりない。
「ったく、どうしたって言うのよ。」
 肩で息をしながらテルルは彼らが見つめる先に視線を動かした。一面に広がる緑。
あふれかえる、緑。
一帯がナニーボールだ。
「あらあら、圧巻ねえ。」
「てゆーか、植物だろ? 何で動いてるんだよ、これ。」
 レビンがうんざりした口調で呟いた。黙っていれば普通の―いや、クリュオでは
十分異常か―植物なのに、近づいてみれば体当たりを仕掛けてくるし、見てみると
地面に埋まっていた部分はおもちゃみたいな白い四本の足が生えているし。
「だから魔法生物だって言ったじゃないの。」
 ナニーボールの一群を遠巻きにしてテルルは肩をすくめた。とりあえず近づかな
ければ向こうから襲ってくることはない。
「昔からあれは霊薬の材料としてよく使われる植物だったのよ。需要が多いから量
産しようって考えるのはまあ、当然よね。畑を作ったら今度は世話とか泥棒対策も
必要じゃない。」
 そこまで説明を聞いて、レビンはあきれた声をあげた。『泥棒対策』。
「それで、魔法生物かぁ?」
「ま、そういう事よ。」
 人が見回ったりするのが面倒ならば、どうしたらよいか。答え、作物が自衛して
くれればいい。しかして近づくものに体当たりをしてくる植物、ナニーボールの完
成である。だがこいつら、いかんせん繁殖力が強かった。錬金術師が管理できない
ほどに膨れ上がったナニーボールはいつしか野生化して森に生きるようになってし
まったのだ。
「でもしょせん植物だし、一体ずつはたいしたことないわよ。」
「しかしこの数は……。」
 絶句。囲まれでもしたらかなり厄介なのではなかろうか。だが、そんなことにか
まわず剣を抜いて突っ込む奴が約一名。サアラの曲で元気全開のウォルフィである。
「こいつら倒せばいいんだな!」
 それだけ言ってバスタードソードを振り回す。その様子にエドがブロードソード
を抜きながら微苦笑した。
「……この数を相手に作戦とかないんですか?」
「あいつにそんな頭ないだろ。」
「なるほど、単純な方ですね。」
 隣で同じく剣を構えるレビンに対して、素直な感想を漏らすエド。だが口調が丁
寧なだけでその内容はシルヴァンが漏らすであろう事と同じ気がする。どう違って
見えてもやはり同一人物だからか。エドの場合は決して皮肉のつもりはないのだが。
 ウォルフィの突撃を皮切りに、ナニーボールたちが一斉に飛び上がり始めた。体
当たりを仕掛けているのだ。人の頭ほどもあるボール状のものが十も二十も飛び交
っているのはなかなか壮観である。
「いくぞぉっ。」
 ウォルフィが二本の腕でバスタードソードを右へ左へと振り回す。めちゃくちゃ
なように見えて、その実、あちこちから飛びかかるナニーボールの動きにうまい具
合に合わせている。ところかまわず素振りを始めるだけはあるらしい。
「みなさ〜ん、がんばってぇくださ〜い。」
 前に出た戦士たちの応援をするべくサアラがリュートに手をかけた。だがその足
はじりじりと後退している。植物が飛び跳ねる異様な光景に興味より恐怖が先に立
っているのだろう。ナニーボールが襲ってこないところまで下がっている。
「さてと。悪く思わないでくださいね。」
「植物なんだから悪く思うもへったくれもないだろ。」
「いやあ、それもそうですねえ。」
 一見すると人のよさそうな笑みを浮かべて、エドがブロードソードをナニーボー
ルに叩きつける。ちょうど飛び上がってきたところで自ら剣にぶつかることになっ
たナニーボール。表面の葉がちぎれて地面に落ちる。
「それじゃオレも。でえいっ!」
 びよ〜ん。すかっ。
「うっわ、なんかこんなのに避けられるのってすっげー腹立つ!」
『まったくだわ。許せないんだわ。その怒りを今度こそぶつけてやるんだわ!』
 ブリンクが怒っているというよりはどこか楽しげな口調でレビンにはっぱをかけ
ている。ここは戦場で、レビンがやる気を出していて。ヴァルキリエにとってこん
なにわくわくすることはない。
「うりゃ!」
 さくっ。
「どりゃあ〜。」
 ざくざく。
「ちょっとあんたら、それ倒すだけじゃなくて持って帰るって解ってるの!? 千
切りにしてんじゃないわよ! ……まったく、バカばっかりなんだから。」
 調子に乗り出したレビン達にテルルの声が飛ぶ。
「解っていますけど、この数相手ではなかなか……。お手伝いいただけないんでし
ょうか?」
「それこそこれ持って帰るんだもの。燃やしたり凍らせたりしたらまずいでしょ?」
「それにしても……。それならそれで補助系の呪文とかあると思うんですけど。」
「いやよ、そんな地味なの。」
 すでにこの戦闘に参加する気はないらしい。表面はにこやかなエドの言葉をのら
りくらりとかわし続ける。エドの口元がほんのわずかにひきつっていた。
「いいんですか、姐さん?」
「気にするならあんたがやれば?」
「はあ。じゃ、どうしましょうかねぇ……。」
 言われるままに援護をしようとする。別に親切とか連帯感とかいうわけではない。
昼飯抜きで空腹だから早く帰りたいのだ、彼は。何の真音を唱えようか思案する。
まさにその時。

 びよよ〜ん。

「あ。」
「はひ?」
 どげしっ。
 マントを翻しつつレビンがかわした一体のナニーボールが、そのままの勢いでシ
ュウの顔面に激突した。これ以上ないというほど見事なヒット。シュウ、あえなく
陥落。テルルとサアラは被害が及ばないよう既に別の場所に避難済みだ。
「結局、魔法の援護はいただけないのでしょうか?」
 ちょっと引きつった笑みのエド。シュウの心配はしないらしい。
「だからさぁ、何もこれ全部相手にする必要なんてないのよ? 霊薬の材料にどれ
ほどいるのか知らないけど、そんなに大量に必要だったら前もってそう言うでしょ?
適当にいくつか持って帰ればそれでいいのよ。ホント、バカばっかりね。」
 いつもの口癖と共にテルルがわざとらしくため息をついた。と、嬉々として両手
剣を振り回していたウォルフィがきょとんとした表情を向ける。
「これ、全部倒すんじゃないのか?」
「別にやりたいなら止めないけどあたしは先に帰るわよ。持って帰ってハリエット
とかいうのに渡すのが優先。」
「そうか、持って帰るのか。」
 いささかつまらなそうに言うと無造作に剣を突き立てる。
 さくさくさくっ。
 あっという間にナニーボール三体が串刺しになった。細い足をじたばたさせてい
る。
「これでいいのか?」
「あ、なんだよ。おまえの剣って先端までちゃんと刃になってるんだ。」
 捕まえたのならこれ以上無駄な体力を使うこともない。レビンは不満げなブリン
クをなだめつつさっさと戦線離脱する。自分の剣を鞘に収め、ウォルフィが掲げて
いるバスタードソードを眺めやる。
 普通の剣の場合、先端は物を突き刺せるほど鋭くない。だからレビンやエドは剣
を振って使っていたのだ。まあ植物相手の場合、ダメージを与えたいなら突くより
切るほうが効果的なのも事実である。
「いいなー。でもこの剣は親父にもらったものだから別のに変えるのもいやだし。」
『鍛冶屋で鍛えなおしてもらえばいいんだわ、レビン。そうしたら戦力アップだわ。
どんどん戦えるんだわ。』
「そっか。そうだな。それなら早いとこ村に戻ろうぜ。」
 

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