妖魔伝≫第二夜≫後

四章 悪夢との決闘

深夜のバイオサイエンス社前…。郊外にあるため人も車も先ず通らない。妖怪の隠れ家
としては絶好の場所である。
「どうだった?」
鳥の姿で偵察に行ってきた飛鳥に大神がそう尋ねる。
「電気がついている部屋は1つだけ、そこには男性が2人、女性が2人。そのうち、妖
怪が1人。白衣を着ていた男性がそう…。」
「他は?」
「男性は精神的には真とも。女性のほうは精神的に不安定、きっと操られているわね。」
「で、どうする?」
何時ものようにアイスキャンディーを齧りながら氷室がそういった。
「決まっているでしょ。人が操られている以上、一刻の猶予もないんではないかい?」
岩波がそう決断をする。
「研究棟の内部の地図は手に入れているけど、結構、防犯用のカメラが設置している
よ。」
「別に正面きって入ることは無い…。」
光乃の指摘に大神は短く呟く。
「どういうことだ?」
「ここは俺に任せろ。」

「とんでもねえな…。」
大神の取った行動は正に型破り、他のメンバーを背負って屋上に飛び上がったのだ。
人間のままではやはり無理なので狼となったが…。もちろん、普通の狼ではなく二足歩
行をするいわば狼男なのだが彼はそう呼ばれるのを非常に嫌う。
「全くだ…。」
その声は全く聞き覚えの無い男の声だった。
「まあ、俺等にとっては外の方が暴れやすいけどな…。」
一行が声のした方を向くと3人の人影があった。
「よう、お初にお目にかかるけど、これが最後だ!」
真中の男がそう言うと同時に右に居た女性の右手が上がった。
「きゃっ…。」
目を閉じるのが一瞬、遅れた飛鳥が悲鳴を上げる。
「一体、何だってんだ?」
全身、擦り傷のような傷を負って氷室が愚痴る。
「砂だぜ、今の…。口の中に入った…。」
頻りにつばを吐きながら光乃がそういった。
「とりあえず、さっさと片付けようぜ。」
大神が戦闘体制に入る。
「でも、やりすぎは禁物ですよ。相手はなんてったって人間なんですから…。」
「分かってるけど…。やりにくいな…。」
岩波の忠告に氷室が不満を漏らす。
「ふん、いい気なもんだな…。」
真中の男が鼻で笑う。
左の女性が手をかざすと屋上のコンクリートがはがれ、一行を襲う。
「これが香水による副作用ってやつかよ。」
「そうさ、これが世界を支配できる者だけが得られる能力さ!」
「悦に入っているところで悪いが…。」
大神の牙のある大きな口が開いた。
それと同時に左の女性の側にいた光る球体、妖怪化した光乃が悲鳴を上げる。
「なんだ?」
急な耳鳴りがしたかと思うと目の前にいた女性の動きが変になる。
“バインドボイス”
それが大神が放った妖術の名であった。名の通り大神が放った超音波により相手の三半
規管を破壊し、動きを封じるのである。
「暫く大人しくしてもらった…。」
「悪いがお前も大人しくしてもらうぞ。」
何時の間にか男の直ぐ後ろに人型の黒き炎、時野が現れた。もちろん、その手には愛刀
が煌いている。
「安心しろ!峰うちにしてやる!」
時野が刀を振るう。
“ガキッ”
次の瞬間、時野の刀はコンクリートを激しく打ち付けた。
「おやおや…。どうかしましたか?」
男は余裕の笑みを浮かべていた。
「どうなっているんだ?」
男との距離をおくために大神の元に戻ってきた時野がそう呟く。
「お前の刀は奴に触れてなかった。」
「だが、手ごたえは…。」
「俺が見る限りでは奴の体すれすれをなぞるようにお前の刀は滑っていった様だった
ぜ。」
「くそ…。それも副作用かよ…。」
「そうさ。そして、この俺、菊池様こそが神に選ばれし者なのだ!」
「たいがいにしろよ!」
氷室が怒りをあらわにする。
「調子に乗りすぎだぜ。」
氷室が男に肉薄する。
「ふん!どんな攻撃であろうと俺に触れる事は…。」
「触れられなくてもな、こうすれば…。」
氷室が菊地の名乗る男の腕を取る。
「何!」
「関節は動きそうだからな…。」
そういって氷室は菊地の腕を極めた。
“ゴギッ”
「ぎゃー。」
聞きなれない音とともに菊地の悲鳴が木霊した。
「くそが!」
菊地が呟くと氷室は動きが取れる女性に吹き飛ばされた。
「ちっ…。まずったか…。ここは…。」
菊地はそう呟くと眼を閉じた。
「逃がすかよ!」
時野が刀を振るう。次の瞬間、嫌な感触が時野の腕に伝わる。
“ドサッ…”
スローモーションのように菊地が倒れると同時に2人の女性も倒れた。
「嘘…、だろ…。」
呆然としている時野の側を通り、岩波が菊地に詰め寄る。
「…。」
岩波は無言で首を振った。
「くそ…。」
時野が呟く。
「あいつは避けれたのにあえて避けなかった。」
「テレポートにでも失敗したんじゃない?ほら、よくあるじゃん、超能力にさ。」
大神の呟きに光乃が付け加える。
「起きた事を悔やんでもしょうがありませんよ。」
岩波が時野に向かってそういった。
「…。」
時野は黙ったまま歩き出した。
「行くか、俺達も…。」
「一寸待って!」
歩き出した大神たちをみづきが止めた。
「彼女が何か言いたがっている。」
みづきは一人の女性の口元に耳を寄せた。
「エレ…ベーター…上…四…階…ボタン…。」
「分かった。もう、しゃべらないで…。」
そうみづきが声をかけるとその彼女は眼を閉じた。
「大丈夫…。ただ、気絶しただけのようです。向こうの彼女も今は気絶しています。」
彼女の容体を見てそういった。
「さあ、ここは私に任せて皆さんは先を…。」
「私も残る。岩波さん1人じゃ大変でしょ?」
みづきがそう言った。
「分かった。さっさとかたをつけてくる。」
時野を追うように他のメンバーは歩き出した。

「ふー…。しかし…。」
岩波は自分の白衣を菊地にかぶせた。
「こんな事になるなんてね…。」
「大丈夫かな、時野君。ショックが大きいでしょ。どんな奴でも人間を…。」
「さあ…。でも、さっき言った様に後悔だけなら誰にでも出来ます。その失敗を今後に
どう生かすかが大切なんです。」
「あなた達、そこで何をしているんです?」
みづきと岩波が彼女達を介抱していると、一人の女性が現れた。黒い瞳とセミロングの
黒い髪の印象的な美女である。
「あ、あなたこそこんな時間にこんなところで何をしてらっしゃるんです?」
居直り強盗よろしくみづきがその女性に向かってそう言った。
「私はここで秘書をしております渡辺玲子と申します。」
その女性は名刺を取り出しみづきに渡した。
「それで、あなたたちは?」
「お、屋上で言い争っている人たちの声が聞こえたんで来て見たらこのような状態で…。
あっ、私は医者なのでこうして彼女達を…。」
岩波がそういう。
「おかしいわね、警報がならないなんて…。それで、警察かなんかに連絡は?」
「あー、それがあいにく連絡手段が…。」
「それなら私の携帯が…。」
みづきがごまかそうとした嘘に慌てていたのか日ごろのボケが出たのか岩波がそう答
えた。
「あるんなら早く連絡しなさい!」
渡辺と名乗った女性は激しい口調でそう言った。
「あっ、はい…。」
「それで、あれは?」
渡辺が指したのは菊地の死体だった。
「あれは死体です。」
岩波は電話をかけながらそう言った。
「ふーん…。」
渡辺の表情が剣呑なものになる。それをみてみづきは頭を抱えた。
“あー、岩波さんと組むんじゃなかった…。誰か助けて…。”
「あー、連絡しました。直ぐに…。」
岩波がみづきの方をむいてそう言う。
「ねえ、みづきさん。あの女性は?」
「えっ?確かここに…。あれ?」
少し目を離した隙に渡辺と名乗った女性の姿は消えていた。菊地の死体とともに…。

「なあ、さっきのどういう意味だと思う?」
氷室が小声で側にいる飛鳥に声をかけた。
「さあ…。まあ、大ボスのいるところだと思うんだけど…。」
「エレベーターの場所は?」
「ここ…。」
光乃は紙に描いた研究棟の図の一点を指した。
「とりあえず、手分けして探そう…。」

数分後
「どうだ?」
「だめだ、何処にもいない…。」
「くそ!」
「あせってもしょうがない。」
いらつきを隠し切れない時野に大神がそう言う。
「分かってる…。けど…。」
「なあー、とりあえずエレベーターに乗らないか?歩くのかったるいし。」
そう能天気な声で光乃がそう言った。
「お前な、今がどんな状況か分かってるのか?」
「ん?状況って?」
「ここは敵の本陣なんだぞ!なのに…。」
「だって、さっき屋上で待ち伏せていたって事は相手にはもう僕達の事はばれてんじゃ
ないの?」
そう光乃が言った。
「うっ…。」
「だしょ?だったらどんなことしてもいいじゃん?」
時野は光乃にそういわれ反論が出来なくなった。
「あれ?時野君、それでも探偵さんなのかな?」
「んだと!偶々、そんなことに気付いただけで…。」
「偶々じゃないですー。僕の洞察力の勝利ですー。嫌だねー、男の嫉妬は…。」
「嫉妬とはなんだ!」
「お前等、いい加減にしろ!」
こめかみをピクピクとした大神の正に鋭い突っ込みで掛け合い漫才は幕を閉じた。
「ふふ…。」
「何がおかしいんだ?」
笑った飛鳥を大神が睨む。
「いい、トリオだなって…。」
「言ってろ。全く、調子が狂う…。」
「でも、時野君の調子のほうは戻ったみたいだよ。」
まだ、掛け合い漫才をしている時野と光乃の方を見て飛鳥がそう言った。
「で、エレベーターで何処に行くんだ?」
「んー、考えたんだけどさー。」
光乃が渋い顔をする。
「3階の上を押してみたりしてー。」
「何処が考えてるんだ!」
きわめて明るく光乃がそう言うのを思いっきり時野がなぐる。
殴られた勢いで光乃は“3”と書かれたボタンの上を押した。
“ウィー…”
エレベーターは何故か動き出した。
「ほーら、僕の推理が当たった。やっぱ、才能があるんだろーな。」
自慢気にそう言う光乃以外のメンバーはこれから起こるであろう戦いに向けて気を引
き締めた。
「やあ、ようこそ…。」
エレベーターの扉がひらいた先には普通では考えられないほどの広さを持つ部屋であ
った。
さっきの言葉はその部屋の中央にいた男が発した物であった。
「あいつは…。」
今まで陽気にはしゃいでいた光乃は男を見ると一瞬にして表情を強張らせた。
「いやー、菊地と言う男ももう少し使い道がありましたが…。まあ、あのような面白い
見世物を見せてくれたんでよしとしましょうかね。」
意外と長身の白衣の男がにやけた表情でいた。
それにむかって無言で時野は剣を振るう。
今の彼に数メートルの距離を移動するのは造作も無い事だった。
部屋に佇んでいた男はその一撃をまともに食らって真っ二つになる。
「おー、怖いなー。いきなり、切りつけるとは…。」
真っ二つにされた男の声が響く。
「ふひひひ…。」
振り返るとそこにはどす黒い液体があった。
「俺様にはそんな物は効かないぜ。」
それを見て大神が動こうとした。それを光乃が止める。
「どうだ?人間を殺した気分は?ええ?」
再び、時野は剣を振るう。
液体はそれを避けようともせず逆に液体を吹きかけてきた。
「くくく…。いい様だねー。」
その液体をかぶった時野の体から湯気のような物が上がってきた。
「ざまあねえよな。人間なんかの下等の奴等の味方をしているお前がそいつを殺しちま
ったんだからな。」
「そうだな…。」
「どうだ?これを期にあんなやつらの味方なんか辞めて俺等の仲間に入らないか?そ
うすりゃ、殺し放題だぜ。」
「そうだな…。」
「おい…。」
大神が歩を進めるのを光乃が肩を掴んで止めた。
「大丈夫、大丈夫だ。」
光乃は真っ直ぐ、2人のやり取りを見ていた。
「そうか、だったら…。」
「だからこそ、お前等の仲間に入るわけにはいかない。」
「なっ…。」
時野の刀が体の炎と同じ黒い炎に包まれる。
「ひっ…。」
黒い液体はそれを見て逃げ出そうとした。
「それでは昔と何も変わらない…。」
そう強い決意とともに時野は剣を振り下ろした。
轟音とともに黒き炎は黒い液体に命中した。
“黒妖斬”そう呼ぶこの妖術によりこの事件の元凶となった物は消滅した。

第五章  悪夢は終わらない

マスターは今回の一件の経緯を聞きながら皆に飲み物を出した。
「そうですか…。」
マスターは1人だけ4人用のテーブルに座っている時野のほうを見た。
「あー、やだやだ…。また引きこもってんのかよ。」
「うるさい、黙れ…。」
「暗ーいね。」
「ほっとけ…。」
「いやー、僕の信念だからねー。暗い所に光をってね…。」
「お前、本当の馬鹿だな…。」
「馬鹿とは何だよ!人の信念を…。」
「だからてめえの所には仕事がこねえんだよ!」
「えっ?何で…。」
「あー、もういい…。てめえの相手は疲れる。」
いつものやり取りが戻ったのを見て、マスターたちは一安心だった。
「そういえば、光乃…。あいつ、知合いなのか?」
「あいつって…。ああ、奴ね…。」
大神の問に光乃は口喧嘩を止め、カウンター席に腰をかける。
「あるはずの無い4階っていえばいいのかな、あそこで戦った奴だろ?」
「ああ…。」
「実はあいつが例の依頼のターゲットだった井上誠だよ。」
「どういうことだ?」
「そういえば、あれも不思議だったな。」
「何が?みーちゃん…。」
「あの女性2人は氷室さんと先生が先生の病院に連れていったっていったけど…。えー
と菊地だっけ?彼…。」
みづきはちらりと時野のほうを見る。
「大丈夫…。この馬鹿といると悩んでる自分が惨めになるからな…。」
「馬鹿とはなんだよ!」
「もう!話しすすめるよ。で、その彼が…。消えてしまったんですよ…。」
「はぁ?寝ぼけてたんじゃないの?みづきちゃん。」
「そんな、先生もいたんですよ。」
「それは先生だし…。」
妙に説得力のある言葉…。
「それに渡辺玲子って言う女の人も…。ほら、名刺も…。」
「玲子か…。」
「何、光乃君…。その女性の名前に嫌な記憶があるの?」
「まあね…。僕に10万も寄付してくれた女性も同じ名前だったよ。」
「ちょっと…、いいですか?」
「何?マスター…。」
「光乃君でもみづきちゃんでもいいからその女性の特徴を教えてくれませんか?」
「ん?一寸待ってね。」
光乃はポラロイドカメラを取り出す。
「ほい…。」
光乃はマスターに出てきた写真を渡す。所謂、念写を試みたのだが段々と像がはっきり
としてくる。
「まー、自慢じゃないけどかなり精密だと思うよ。」
「あー、この人だ。屋上であった女の人。」
「んなばかな…。その人は井上…。」
「玲子。」
マスターの声が響く。
「みづきちゃん、さっきの名刺を光乃君に!光乃君、それから過去の映像を!」
「あ、ああ…。」
光乃はマスターの勢いに押されるように作業を始める。
「うわっ…。」
数秒後、カウンター席から光乃がひっくり返る。
「何が、一体何が見えたんです?」
「狐、尻尾が8本ある狐…。それが炎を…。」
額の汗をぬぐいながら光乃が呟く。
「マスター、あんた何か知ってるんだろ?」
「すみません。私も何がなんだか…。混乱していて、何から話せば…。」
マスターが大神の言葉に戸惑っているちょうどその時、店のドアについたベルが鳴った。
「用って何です?マスター…。」
岩波と氷室が揃って入ってきた。
「あれ?それに何故、皆さんここに?」
「しまった!皆さん、直ぐに先生の病院に…。説明は移動中にでも…。」
マスターが店の外へと駆け出した。

「何てことだ…。」
岩波は座り込んでしまった。保護した女性2人を寝かせていた部屋から女性達の姿が消
えていた。
“後始末はさせてもらうわね”
という赤い文字を壁に残し…
「血…文字?もしかして彼女達の?」
「何てことだ!彼女達まで…。」
「先生、何もまだ…。」
気休めにもならない言葉も出さずにいられなかった。
「あいつの方が一枚も二枚も上手だったって事ですよ…。」
マスターが血文字を睨みながらそう言った。

「往きは慌しくて結局、説明が出来ませんでしたね…。今回、いや恐らくこの前の学園
七不思議も彼女が黒幕でしょう…。」
「彼女とは、玲子ですよね。」
「ええ…。彼女とは昔、私の仲間で妖具のスペシャリストでした。」
「それが何故…。」
「それを説明するの為に皆さんにあるところに行ってもらおうと思います。」
「何処ですか?」
「私の父がいる所…。そして私と彼女が仲間だった場所…。」
マスターにとって、山鳥の巣のメンバーにとって悪夢としか思えない日々が始まろうと
していた。

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