虹と黒の輪舞≫第一章≫第二編

  第二編 月より召喚されしもの


 トラップ、キリーシャの二人は、昼の紫の時刻(正午)の前に遺跡に到着してい
た。
 しかし……

「壁……」

 到着するなり拍子抜けした声で呟いたキリーシャの言葉通り、その『遺跡』の、
目に見える部分は、荒地の中に脈絡もなく群れている壁の集合でしかなかった。

「おっとキリーシャはん、そないな顔せんと。見てみい、床はちゃぁんと石畳にな
っとる。こないな造りなら、どっかに隠し通路があるはずや」
「隠し通路……」
「そや、床をじっくり調べりゃ地下室へ続く隠し通路が見つかるはずや。悪魔戦争
ん時にようあった造りやさかい」

 トラップはトレジャーハンターらしい考古学の知識を並べて胸を張った。その知
識は、確かに胸を張るに値するものであったし、キリーシャも、その内容をしっか
り理解したのだが、彼女の表情は称賛や感動を示してはいなかった。なぜなら……

「トラップ、この床、全部、調べるというのか?」

 ざっと見渡して大商人の豪邸の敷地くらいの広さがあるその遺跡を見回すと、キ
リーシャは既に疲れ切ったような表情でトラップを見下ろし……トラップは一瞬言
葉に詰まると、ヤケを起こしたような勢いでまくしたてた。

「ぐっ……気合いや!気合い! これしきの広さでおっかながっとるようではトレ
ジャーハントなんぞでけん! まして、アンタは敵討ちなんぞする言うとるんや、
これしきのこと気合いで見つけてみぃ!!」
「そうか……悪魔、殺すためか……よし、トラップ、さがすぞ」
「おう!」

 ……最初の勢いは、炎天下の中、一刻ほどで疲労と諦観へと変化していった……

「おい、トラップ、どうした」
 問い掛けているわりに疲れた声のキリーシャに答えるトラップの声は、それに輪
をかけて疲れ切っていた。
「う〜、少し休んとるだけや〜」
「……入口、無かった」
「アホ、まだ全部調べたわけやないやろ……」
「……まだ、調べるのか?」
「………………」

 互いに無言のまま大きく息を吐いた次の瞬間、辺りによく通る女性の声が響き渡
った。
「誰だ! そこにいるのは!!」
 疲れているとはいえ、さすがに素早い行動で声の方向に振り向いた二人に、捕縛
用具であるガヤン=ネットを油断なく構えたリディがさらに質問を続ける。

「ここで何をしている!?」

 キリーシャがリディの敵意を感じ取って爆裂果(プファイト)を投擲器(スロウ
アー)に準備するのを、トラップが押し止めてリディに話し掛けた。

「まあ、ま、嬢ちゃん、そないに殺気立たんと、ワイは別に怪しいもんやない、ま
して、悪魔なんぞ信じてもおらん」
「……自分から言うところが、余計に怪しいと思うが」
「何や、嬢ちゃん、ワイの顔に見覚えあらへんのか。アンタが入った酒場で手品し
とったミュルーンや。嬢ちゃん、黒の月退治に行く言うとったやないか」
「……それでは、黒の月がいると分かっているこの遺跡に、何故わざわざ……」
 リディが少し追及の手を緩めて質問しなおしたとき、壁の影からイオンとセレン、
ミゼルが飛び出してきた。

「リディさん!大丈夫ですか!?」
 イオンとミゼルの後から、心底心配そうな声をあげたセレンは、しかし、リディ
と向かい合っているトラップを見ると目を丸くして戸惑いの声を上げた。
「…?…あ、あれ? あなたは……」
「セレンちゃん、この人、知ってるのか?」
「ええ、同じ宿に泊まってたミュルーンの方です…………イオンさんも、見覚えあ
りますよね?」
「ああ……」

 二人の答えを聞いたトラップは胸を張りつつ、
「ほら、そこの小さい嬢ちゃんの言う通り、ワイは全く怪しいものやない言うこと
や」
「セレンちゃんは、『怪しくない』なんて一言も言ってない。それに、質問がまだ
終わってない。あなたがたは一体、ここで何をしていたんだ?」
「おお、実はな、ワイもあんさんたちに協力したろ思ったんやが、何せ連絡のしか
たがわからんかったさかい、先に来て調べるトコ調べとったっちゅううことや」
「……トラップ?」

 先程とは大分違うことを言っているトラップを不思議そうに見て声をかけたキリ
ーシャに、素早く「ここは任せや」と囁くと、トラップは話を巧みにつなげた。

「そいで、この姉ちゃんは、ダンナを悪魔に殺されてもうて、その敵討ちの手がか
りを捜しにこの遺跡に来たちゅう話や。な、そやろ?キリーシャはん」
「あ、ああ、そうだ、わたし、悪魔殺すため、ここ来た」

 少し不自然な所もあるが……リディはそんな一片の不安を残しつつ、言葉を発し
た。
「……そうだったのですか……それでは、これから、あなたがたは私たちに協力す
るというのですね?」
「まあ、そういうことや」
「それは、つまり、この遺跡内では私の命令を聞く、とくことですよ」
「ま、無茶苦茶な命令でなければ、従うわな。キリーシャはんも、ええよな、仇さ
え討てれば」
「ああ、もちろん、構わない」
 二人の返事を聞いたリディは、最後の確認、とでも言うように三人の方を振り向
いた。

「……ミュルーンが黒の月に染まる、という話はあまり聞いたことが無い。信じる、
信じないはともかく、敵ではないだろう」
「わたしも、この方は、そんなに悪い人じゃないと思います」
「セレンちゃんの目がそう見てるんだから、そうなんじゃないかな」

 三者三様の「問題なし」の答えを聞いて、リディは軽く頷くと、
「わかりました、では、お二方には調査に協力してもらいましょう。報酬の方は、
後ほどガヤン神殿から支払われますので」
「お! 報酬! こいつは気合い入るの〜」

 少し白々しく喜ぶトラップに対して、事務的な連絡を終えたリディが、いつもの
ごとく男っぽくくだけた口調に戻って話し掛けた。
「で、さっき、先に調べてると言ってたけど、結果はどうだったんだ?」
「な、何や、嬢ちゃん。突然……女のくせにそないな言葉遣いはようないで」
「あたしはガヤンに仕えている者だ、女だからといった見方はしないでくれ」
「はぁ……まあええわ。それがな、ワイ等二人で一刻程かけてそっちの方の床を調
べとったんやが……入口らしき物は見つからんかったわ」
「黒の月の信者の姿は?」
「あかん、あかん、ワイ等二人以外に動いてるものをみたんは、アンタらが初めて
……」
「静かに!」

 突然ミゼルが押し殺した声で警告すると、セレンの腕を引きつつ壁の陰に隠れる
よう他のメンバーを誘導した。

「ど、どうしたんですか?」
 急に腕を捕まれて大声を上げそうになったセレンがやっとの思いで押し殺した声
で、ミゼルに問い掛けた。
 ミゼルは必要以上にセレンに顔を寄せると、小声で、しかし皆に聞こえる程度に
囁いた。
「向こうに、オークがいる」
 息を潜めていた一同がその声を聞いて一斉に緊張を走らせた。

「どのへんに?」
 リディの問い掛けにミゼルが振り向いて答える。
「向かいの壁の向こうに行った。まだ気付かれてないみたいだぜ」

「…………悪魔に従う奴……殺す……」

 キリーシャが爆裂果投擲器(プファイトスロウアー)を握り締めて呟き、トラッ
プがその肩をたたいて言った。
「まあ、ま、そうあせらんと、ここは一つ奴らをふんじばっていろいろ聞き出すん
がええやろ」
 その発言には、リディも納得して、
「あたしもそう思う。ここは奴らを殺さずに捕らえることを目標にしたい。それで
いいか?」
「OK じゃ、セレンちゃんは俺の後にいて」
「は、はぁ……」

 ミゼルの台詞にあいまいな返事を返しているセレンではあったが、リディはそれ
を無視して他の面々に異論の無いことを見て取ると、胸に右手を当てて祈りの姿勢
をとった。
「ガヤン様、御加護を………………よし、みんな、行くぞ!」

 リディの小声の合図で、一同は二呼吸する時間でオークたちに追い付いた。
 オーク3匹と、二匹のゴブリンは、完全に不意をつかれた形になり、慌てて身構
える。
 しかし、その間を与えるか否かという速さでミゼルの後回し蹴りが一匹のオーク
にヒットした。
「終わりじゃねーぞ」
 一撃でフラフラになったオークに、容赦無い第二撃を入れて大地に沈めると、今
度はセレンに弓矢の狙いを付けていたゴブリンに走り寄る。
「セレンちゃんは……」 (ひょい)
 第一撃を避けられてしまったミゼルは、しかし、にやりと笑って言葉を続けつつ
第二撃を放った。
「俺が守る!!」
 致命的打撃(クリティカル・ヒット)となったその一撃でゴブリンも意識を失っ
たちょうどその時……
 ゴブリンのものでも、オークのものでもない低く太いうなり声がミゼルの背後か
ら聞こえてきた。
「?!」
 黒髪をふとなびかせて振り向いたミゼルは、そこに一匹の狼がいるのを確認し…
…その狼はもう一声吠えると槍でオークを貫いたトラップを飛び越して、隣のオー
クの喉笛に食らい付いた。

「キリーシャ、さん?」
 ミゼルの後……3メルー程離れて立っていたセレンが、一部始終を見ていたにも
かかわらず、まるで信じられないと言いたげな表情で呟きをもらした。

「……確かに、変わった。これが、エルファに伝わるという『化身』の魔法なのか
……」
 セレンに『盾(シールド)』の呪文をかけようと、彼女の左後方で集中していた
イオンも、セレンと同じ物を見ると、呪文の集中も忘れて呟いていた。

「ちょ、ちょい待ち、キリーシャはん、殺すんやないで……」
呆然と、狼化したキリーシャを見送ったトラップが、その事象を飲み込み、作戦に
沿った忠告を始めたときには、既にオークの頚動脈は完全に引き千切られていた。
 …………この世界において、姿の変化そのものはそれほど奇異なものではない。
だからこそ、突然の変身を目の当たりにしても、彼らは正気を失うほどの驚きは示
せなかったのである。
 しかし、一瞬で全く違う姿になり、普段のキリーシャの体格からは想像も付かな
いような力でオークを屠ったその迫力は、目にした者を一瞬思考停止状態にするに
は十分であった。
 ……残り一匹のゴブリンをガヤン=ネットで捕縛したリディも例外ではなく……
しばらくの間を置いてやっと命令を発した。
「キリーシャさん!! もうやめるんだ!」

 完全に事切れたオークをさらに惨たらしく引き千切っていた狼は、その声でよう
やく正気に……文字通りキリーシャに戻った。

「ア、アンタ……強ぇなぁ……」
いささか調子の狂ったトラップの声が、空気が凍り付いたようになったこの場に流
れていく。
「……すまない、怒り、止められなかった……」
 周りの視線と、自分の行動の結果を目にして、彼女はひどく沈んだ表情で答えた。
 そんな彼女に、自分がどんな表情をしていたのか気付いてしまったのだろうか、
トラップが妙に明るい声で話をつなげた。
「まあ、ま、これもええストレス発散やし、な?」

(それは違うだろう……)

 周りの面々の冷たい視線が集まる。いくら相手が黒の月の信者とはいえ、殺戮を
楽しむなど論外……というより、そのような心こそが、黒の月の教え、与えるもの
である。
 しかし、この台詞によってキリーシャが助けられたのも、また、事実であった。
彼女はどう見ても「楽しんで」などいなかったから。
 トラップがそこまで考えていたのかどうか、周囲の雰囲気は、我を忘れるほどの
怒りを抱くに至ったキリーシャへの同情を生んでいた。トラップに対するちょっと
した怒りとともに。

「トラップ! ストレス発散は酷いんじゃないか?」
「そ、そうですよ。キリーシャさん、そんなつもりじゃ……」

 故意か、本能(!)かトラップはなんとなく場の雰囲気を回復させてしまった。
 何しろ、彼がしゃべった台詞だと、深刻な怒りというより、たちの悪い冗談に聞
こえてしまうのだから。
「ええやん別に! 何や文句あるんかい!」
「……今にも、黒の月に染まりそうだな」
「まあ、いいのではないか? 今は染まっていないのだから」
 トラップのとった行動の成果を評価したのか、イオンは完全に冗談とは思ってい
ないらしいリディをなだめる。そこへ……

「おおい! こいつら、地下室の入口、吐いたぜ!」
「ええ!? いつの間に?」
 一人離れてオークのそばにいたミゼルが大声をあげる。その声は、今度はトラッ
プを救ったようで……一同はすみやかにミゼルのもとに駆け寄った。

「ありがとう、トラップ」

 一人、遅れて動きだしたキリーシャが口の中で呟いた言葉は……いの一番に駆け
出したとラップはもとより、他の誰の耳にも入ることはなかった    

                      

「陰気そ〜なとこやな〜。いかにも、ちゅ感じや」
 ちょっとやそっとの非難など、屁とも思っていないトラップが、ランタン片手に
真先に地下室へと下っていった。トレジャーハンターで培った技を世のために役立
て……と、リディに語ったのは、もちろん建前。その目は鳥目にもかかわらず闇を
見通さんばかりに見開き、キラキラした宝を逃すまいとギンギンに血走っていた。

「……ちょっと、汚い、ですね……」
 杖にイオンの持続光(コンティニュアル・ライト)をかけてもらい、集団の中央
で明かりをかかげているセレンが、少し顔をしかめて呟いた。ミゼルがそれに対し
て声を返そうとしたとき……
「お、こりゃ扉、やな」

 トラップの声に、ミゼルが素早く反応を返す。
「ん? 敵がいるかもしれないから、一気にあけようぜ」
「……リーダーは、あたし、なんだけどな……」

 号令を先取りされてしまったリディが、少し気分を害したように呟く。とはいえ、
ミゼルの意見が実にもっとものことなので、それ以上何もいえなかったのだが……

「罠は、無さそうや。ほな、鍵を……何や、かかっとらんやないか……開けるで」
 短く、小声で呟くように言うと、トラップは扉を少しずつ押していった。
「……何や、これ、台所やないか?(金目の物はなさそうやの〜)」

 トラップの間延びした声と、自分の目で見た結果、敵がいないと判断したミゼル
が興味を失ったように、ドアの前から通路の奥へと踏み出す。
 結果、自分の目の前が開けたセレンが何気なく部屋の中を覗き込む。と……

「ひっ…………」

 息を不自然に飲み込む音とともに、見る見る顔を青白くしていった彼女は、飲み
込んだ息を普段の彼女からは想像もつかない大音量の悲鳴とともに吐きだした。

「嫌ああああぁぁぁっっっっ!!!!」

 彼女に少し遅れて、その、この世の物とは思えないほど汚れ切った台所を目にし
たイオンは、次に起きる出来事を知っているかのようにセレンの口を押さえようと
したのだが、ぬるりとした床に足を取られ……目的を達したときには、既に、手遅
れで……

「リディ! ゴブリンだ!! 奥の扉からでてきた!!」
「み、見えへん、暗くて……おっ! あれか! よっしゃ、ワイもやったるで!」
 続々とあらわれた敵を確認するミゼルとトラップの声が緊迫感を跳ね上げる。
 突然の緊張状態は、実戦経験の浅いリディを恐慌状態に陥らせるには十分すぎた。
 有能であり、人並み以上の正義感を持っているとは言っても、まだ17になった
ばかりの少女である。その思考は、まるで喧嘩独楽のようにとりとめのないループ
を作り始めていた。
(私が、私がしっかりしないと……リーダーなんだ、私が、しっかり……)
 『リーダー』という単語だけにひっぱられるかのように、なんとか周りの状況を
見回してみたリディは、しかし、さらに混乱をきたす状況を確認してしまう。

「どした嬢ちゃん、はようせんと、敵来てまうで」
「しお……塩、きれいに……早く、早くしないと……」
「ちょっと、緊張するぜ……」
「セレン、落ち着け、とりあえず外に出て……」

 トラップとミゼルは、一応彼女の号令を待っているが、今にも迫り来るゴブリン
に突入しそうな勢いである。
 一方、セレンは悲鳴は止めたものの……うわごとめいた事をつぶやき、なぜか腰
に下げた袋から潮を取り出して部屋の中に撒き始めており、イオンはなんとかして
彼女を部屋から出そうとしていた。

(ああっ! もう、一体何からどうすれば…………!)

「おおっ! こいつ、ホブゴブリンやんけ!」
 ついにトラップ、ミゼルの眼前に達し、黒の月の憎悪と破壊衝動に染まった心に
身を任せ、二人に襲いかかった巨躯の怪物に対し、ついにとラップが臨戦態勢をと
った。

「リディ? 行かないのか?」
 場所が地下であるだけに爆裂果(プファイト)を使うわけにもいかず、狼に変化
するにも通路が狭く、先頭の二人の前に出ることもできないキリーシャに声をかけ
られて、リディはやっと我に返ったのだが……
 彼女が見たものは、体格差で圧倒的に不利なトラップが一人でホブゴブリンを相
手に苦戦している姿だった。

「ミゼルはん! どないしたんや? ちょっと、ワイ一人では……う?」

 なぜかミゼルが、まるで突然この場所に放りこまれたかのように呆然とした顔で
トラップの戦いを見守っており、その戦いは、たった今、ホブゴブリンのブロード
ソードがトラップの胴に食い込むことで終わりを告げようとしていた。

「トラップ!」

 大量の血を流して倒れたトラップの姿に、完全に自分を取り戻したリディが、血
相を変えて駆け寄り、渾身の力でホブゴブリンに斬り付けた    

 呼吸を溜めて、数合の剣戟の後に敵を血溜りに沈めたリディは、もはやそれには
目もくれず、二、三歩離れた所に身じろぎもせず倒れているトラップに声をかけた。
「トラップ! 大丈夫か?」
 まだ、出会って間も無く、完全に信用した訳でもない。しかし、リディにとって、
ともに命のやりとりをしているこの存在は、間違いなく「仲間」の一人であった。

「トラップ!!」

 しかし、その仲間はリディの呼び掛けに答えることなく……意識を深遠に沈ませ
ていった……

                      

(……う〜む……ワイは……そか、死ぬんやな)
 トラップは、虹色の光を見ていた。
(死んだら、月に行く……おとぎ話やと思うとったわ)
 死者の魂は、その信じる月へと去っていく。
 この世界に通用している死生観であるが、彼は大して信じていなかった。
 生きている今がすべてだから。
(ま、ええか、あんだけキラキラしとればなぁ……)
 ……彼には、光り物があればそれでいいようだ。
(うん? 何や、あれ?)
 虹色の光とは異質な、温かみを帯びた白く淡い光が彼の視界の隅に混じりこんで
きた。

(……何や、えらく温(ぬく)いやん。……せや、ツケ、返さんとなぁ……)
 その光は、彼の魂を現世に呼び戻そうとし、彼は、現世に残してきた物を思い出
す。
 ……その内容は、非常に彼らしいものではあったが。
(戻らな、あかんか)
 その思考とともに、ぼんやりとまぶたを開いたトラップの目に入ってきたのは、
怯えとも悲しみともつかない表情で目にいっぱいの涙を溜めたセレンと、ひどく沈
んだ表情で彼を覗き込んでいるリディの顔であった。
「…………」
「! トラップさん!?…………御免なさい! わたしが、あんなところで大声出
したせいです!」
「……?」
「セレンちゃんが、あんたの傷を治したんだ……この娘は、罪を償った。罪を問う
なら、不甲斐ないこのあたしにしてくれ」
「……?? 何や、嬢ちゃん、アンタ等、何か悪いことしたんか?」

 まだ少し苦痛の残る体から、頭の中に渦巻く疑問の一部を搾り出したトラップの
声。
 対して、体には傷一つ無いリディが、やはり搾り出すようにして答える。

「……あたしは、仲間の危機に、何もできなかった……」

 会って間もない自分を「仲間」といい、その命の危機を心底心配していたこの少
女に、トラップは強く好感を抱いた。が、どうやら照れが先にたったらしく……
「なんや、そんなこと。ワイが弱かっただけやろ。小ちゃい嬢ちゃんも、そんなに
泣くことあらへん」
 吐き捨てるように言って目を逸らした先にキリーシャを見つけた彼は、その心配
そうな視線にやはり照れ臭くなったらしく、ニヤリと笑って皮肉った。
「なんて顔しとるんや? ワイが死なんと、髪、手にはいらんで」
「おい、トラップ。そんな言い方は……」
 さすがにその態度を見とがめたリディが口を挟むが……人間の4倍の寿命を持ち、
見かけの4倍の年齢ならば80年は生きているであろうそのエルファの『娘』は、
全てお見通し、というような笑みを浮かべてトラップをからかい返した。
「照れるな、トラップ。心配されてるうちに生きてろ。私は、お前と違って気が長
い。まだ、当分は待てる」

 一発で照れていることを指摘されてしまったトラップは、完全に黙り込んでしま
い……その沈黙で何となく事を理解したリディは、やはり、何となくこのミュルー
ンに好感を抱くに至った。
(……案外、わかりやすい奴……セレンちゃんの言う通り、悪い人じゃないんだろ
うな)

「…………ええい! もうええ、この話は終いや! 先、進まんといかんのやろ?」
 横で話を聞いていたイオンまでも少し笑いを含んだ視線で自分を見ていることに
気付いたトラップが、半ばヤケになったような口調で言い放った。結局、それが元
でさらなる笑いを呼ぶのだが……

                      

「……さて、後はこの部屋、やな」
 途中の部屋の安全を確認しつつ奥へと足をすすめていた一行は、全く敵と出会う
ことなく最奥の、明らかに他と違う両開きの扉の前に来た。
「みんな、準備はいいか?」
 先程から全く言葉を発していないミゼルの様子を気にしつつ、リディが小声で確
認する。と……
「みなさん、少し、待っていただけますか」

 ミゼルの口から、まるで人が違ってしまったかのような丁寧な言葉が紡ぎだされ
た。
「……ミゼル?」
「……戸惑うのも、仕方ありません。しかし、今はどうやら事情をゆっくり話して
いる場合ではないようなので……改めて、『自己紹介』だけ。サリカ神に仕えるマ
リス=ブリュンヒルドと申します。ミゼルの方がお世話になりましたようで……」

「……なるほど、そういう事情か」
「????????」
 何やら何かを納得した様子のイオンに対し、リディは頭の中の疑問符がそのまま
顔に出てきたような表情を崩すことができない。
「リディ、抜け道、無いとも限らない」
「せや、何かようわからんけど、早うせんと逃げられてまうで」
 敵を目前にして気の急いているキリーシャと、もともとせっかちなトラップの声
に、リディは深く考えるのをやめる事にした。確かに、状況はそんなに悠長じゃな
い。
「じゃあ……トラップ、鍵は頼む」
「よっしゃ、まっとれ」
 なかなかの手際で開かれた扉の向こうには……薄暗い明かりのなか、シンプルな
祭壇らしき岩窟に向かって低い声を上げている一つの影があった。

「そこまでだ!」
 トラップを擦り抜けるように一番先に部屋に入ったリディが、凛と響く声でその
部屋の雰囲気を引き裂く。女だてら、というと本人が怒り出すが、ガヤン神殿で勤
務しているだけのことはある裂帛の気合も、しかし、連々と続く低いうなり声のよ
うな呪文の詠唱を止めることができなかった。
「我々は、お前たちの行動を阻止するためにきた! これより、法に従い実力行使
を行う!」
 最後尾に控えていたセレンが部屋に入り、その手にした「持続光」の光を放つ杖
によって照らしだされた敵の姿を認めて、リディは最終宣告を示した。
 そこにいる白く輝く毛皮を持ったゴブリンは、しかし、全く動じる気配なく呪文
の詠唱を続けている。

 イオンたち「ウィザード」が白の月にすむ『天使』の力を借りて魔法を使うのに
対し、その身に溢れる欲望や憎悪によって『悪魔』の力を引きだす存在、ゴブリン
・ソーサラー。高い知性によって数多くの魔法を使いこなし、場合によっては黒の
月から『悪魔』そのものを召喚できる危険な存在。
 その存在が、いま、リディたちの目の前にいるのだ。

 最終宣告を受けても、全く動く気配のないソーサラーに、リディはかえって手を
出しあぐねていた。
(……部屋に入ったときから、様子の変わった気配がない。余裕なのか? まさか、
言葉が通じていないのか、しかし、それならば何かの反応を返すはず。……奴の唱
えている呪文によっては、うかつに飛び込めないし……)
「イオン、あいつが、何の呪文を唱えているかわかるか?」
「……すまん。あれは、悪魔語のようだ。私にはわからない」
「嬢ちゃん、何なら、呪文の終わる前にカタ着けりゃええんや。はよ、いかんと」
 攻撃を始めず、イオンに話し掛けたリディに痺れを切らしたトラップが急かす。
(……そうだ、もしかしたら動きたくても動けない状態なのかもしれない。トラッ
プの言う通り、今がチャンス、かな)
「トラップ! 一緒に来い! ひとまず呪文を止めさせる。イオンとミゼル、キリ
ーシャさんは、セレンちゃんのそばで待機!」
「よっしゃ! まかせろや」
「……僕は、マリスですってば」

 マリスの呟きを後に、一気にソーサラーに迫ったリディとトラップだったが……
『cOM'nn S'dElmEbr oo dES!』
 呪文の最後の一節らしき音の羅列を声を高めて唱えあげたソーサラーは、止める
暇もなく、自らの頚動脈を掻き切った。
「!!!」
 吹き上がる血に染まるその顔は、異種族であるリディたちにも、はっきりと表情
が読み取れた。

 歓喜の恍惚

 血に濡れた祭壇から立ち昇る黒い影がその体を喰らい尽くすまで、その表情は消
えることはなかった。

                      

「で、その霧状の影は逃がしてしまい、正体も不明である、と」
「……はい」

 その日の夕方、上司であるジュリオ神官に報告を行ったリディは、少し沈んだ顔
で返事をした。あの後、崩壊が始まった遺跡からほうほうの体で脱出した一行は、
証拠の品(リディ談)も、お宝(トラップ談)も持ち出す暇がなかったのだ。

「しかし、実際にあった黒の月の信者集団を殲滅したことは、初めての任務にして
は上出来すぎるほどだ。これは、協力者への謝礼も含めた報奨だ。よくやったな、
リディ。次はさらなる活躍を期待しているからな。今日は、ご苦労だった」

「!……ありがとうございます!」
 初めての任務は、大成功ではなかったけれども……
「では、さっそく仲間に渡してまいります!」
 成功を分かち合える仲間がいる。

 まだ少年のような笑顔とともに駆けだした少女は、しかし、この件をきっかけに
した一連の冒険で「英雄」と呼ばれることをまだ知らなかった    

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