虹と黒の輪舞≫第一章≫第一編

第一章 一つの始まり

 第一編 それぞれの動機


その日、リディスフィア=ロッドは心持ち足取りを軽やかにガヤン分神殿の門を出
た。自由都市であるがゆえに犯罪も絶えない、ここバドッカの町において治安を司
るこの神殿で、女だてらに勤務を初めて1年余、彼女は初めて単独の任務らしい任
務を与えられたのだ。

「……最近、バドッカの郊外の遺跡で黒の月の信者を見たという噂が絶えない。調
査と、できれば解決を試みてもらいたい。こちらでこれ以上の人員を割くのは無理
だが、協力者を募って頑張ってくれ。ただし、くれぐれも無謀な行動はとらないよ
うに」

 この世界は、7つの月によって司られたさまざまな種族が暮している。その中で
も、歪みと憎悪を司る黒の月、また、そこに棲むと言われている『悪魔』に付き従
うものたちは世界に対する理由無き憎悪をもって破壊と殺戮を繰り返し、ここバド
ッカでも『悪魔信者』は平和な暮らしを営む人々に暗い恐怖の影を常に落としてい
た。そんな中、街に流れる噂がどれだけの不安を住民に与えるかは、決して想像に
難くない。

 ……とはいえ、聞き様によっては、噂にすぎない情報を新米に押しつけて曖昧に
解決してしまおうという考え方を感じ取れなくもない命令ではある。しかし、今の
彼女には、自分が信用されている、としか受け取れなかったようで……
 そんな彼女が、勤務時間が終わったからといってまっすぐ家に帰る訳もなく……
夕焼けの空の下、軽い足取りのまま彼女は、遺跡あらしで一攫千金を狙うトレジャ
ーハンターたちの溜り場となっている宿屋兼酒場へと向かった。

 酒場    もちろん、もう15を超えて成人している彼女は、付き合いで何度
か酒を飲んだこともある。しかし、根がいささか真面目すぎるきらいのある彼女は、
この「酒場」の雰囲気があまり好きではなかった。そして、今、彼女が開けたドア
の内側にも当然「酒場」の雰囲気が充満していた。
「……目ェかっぽじってよぉく見てなはれ、よ、と、どや、この鮮やかな手捌き」
「なぁんだてめぇ、タネ丸見えじゃねえかよ」
「引っ込んでろよ! へぼ!」
 一羽のミュルーンが手品をしている周りに人だかりができており、酔っ払いたち
はどうやら、芸を見るより失敗を見つけるほうに情熱を燃やして楽しんでいるよう
だ。
 彼女はなるべくその辺りを避けて部屋の奥へと入り込んでいった。彼女としては、
少し明かりの落ちたカウンターやボックスで静かに飲んでいる冒険者の方が、信用
できるような気になるらしい。

 『持続光(コンティニュアル・ライト)』の魔法がかけられたランプから生まれ
る暖かい橙白色の光は、うす暗がりの中、カウンター席で一人杯を傾けている青年
と、ボックス席でやはり一人で紫煙を燻らせている青年の姿を浮かび上げている。

 ボックス席にいる青年は黒服に漆黒の髪。カウンター席にいる青年は、対照的に、
真白の髪……皺一つない透き通るような白皙と、まるで老人のような白髪の取り合
せは、それを見たものに異質で、近寄りがたい印象を与えていた。
 ガヤンに仕えるこの少女も例外ではなく……
(……あの、白い髪、ウィザードなんだろうな……協力してくれればいいけど、ち
ょっと、恐いかも……)

 この世界において唯一自在に魔法の力を操ることの出来る存在である「ウィザー
ド」に対する一般人の反応は、大概『恐怖』であり、少女もその感情と、任務のた
めに必要な力とを天秤にかけて少しの間逡巡した。が……直後の黒髪の青年の行動
が彼女に決断を与えることになる。

「あ、ねえねえ、きみ、うん、少し俺と一緒に飲まない? いや、君みたいに可愛
い娘ってあんまり見ないからさぁ……」

(……何、あれ、ウェイトレスさん口説いてる。あ、なんかしかもしつこそう……
………………嫌〜な感じ)

 根が真面目すぎる彼女にとって、簡単に女の子を口説きはじめる男などは信用の
対象外であり、結果、彼女は直前の迷いなどまるで無かったかの様に白髪の青年に
声をかけた。

「少し、お話してもよろしいですか?」
「……何だ」

 かなり無愛想な対応ではあったが、少女は物怖じする様子を見せずに言葉をつな
げる。
「私はガヤン神殿のものです。あなたを旅のウィザードとお見受けしまして、頼み
たいことがあるのですが……」
「…………」

 青年は否定をしない沈黙によって、少女の科白の内容を肯定した。少女は、その
眼差しを見て話をさらに続ける。

「実は、黒の月の信者が出現するという遺跡の調査に、ウィザードであるあなたの
協力を求めたいのです」
「それは、ガヤン神殿からの私に対する命令なのか?」

 とくに不機嫌な声ではなかったが、言葉の内容を聞いて少女はあわてて青年の科
白を否定した。

「い、いえ、協力の要請にすぎませんから、強制力はありません。もちろん、協力
してくだされば報酬はガヤン神殿から……」
「いや、つまらないことを聞いてしまったな。私の力が必要というのなら、喜んで
協力しよう……これもまた、試練だからな」
「じゃあ! 契約成立ということで……自己紹介をしておこう、あたしの名は、リ
ディスフィア=ロッド、ガヤンの入信者として働いている。まあ、リディ、と呼ん
でくれ」

 急に言葉の調子を変えて手を差し出した少女――リディに、青年は少し苦笑して
握手を返した。
「私の名はイオン。よろしく……と、それから、私には一人つれがいるのだが……」

((どか〜ん))

 言い掛けたイオンは、酒場の片隅にある鉄製の扉の中から大音響が発せられたの
を聞くと、血相を変えて扉に駆け寄った。
「大丈夫か!? セレン!」
「あ……はい、大丈夫です……」

 イオンが壊さんばかりの勢いで開けた扉の中から現れた少女は、亜麻色の髪と色
白な可愛らしい顔を煤けさせて、ケホケホと咳き込みながらイオンに答えた。
 そんな少女に対して、イオンは妹を叱る兄のような顔つきで言葉を発し始める。

「全く、今度は一体何をやらかしたんだ? 無茶なことはするなとあれほど言って
……」
「あ、あの、無茶ってほどじゃありません。ただ、ちょっと……」

「『ただ、ちょっと』じゃないだろう。霊薬(エリクサ)をなめてかかるんじゃな
いと師匠も……」

 この調子だとだいぶ長くなりそうだな。そう思ったリディは、むりやり話に割り
込んでイオンの言葉を止めた。

「ちょっと、イオン、そろそろこの娘を紹介してくれないかな」
「え?……ああ、失礼した。この娘は名前をセレンといって……」
「セレンちゃん。うん、いい名前だね」

 このセリフを発したのはリディではなかった。先ほどウェイトレスを口説いて見
事に振られたばかりの黒髪の男が、いつのまにかセレンの隣に立って話し掛けてい
たのだ。
「え? は、はい?」
 爆発的に顔を赤らめて硬直してしまったセレンにむかって、彼はさらに言葉をか
ける。
「そんな、警戒しないでくれよ。俺の名はミゼル、怪しい者じゃないんだから……」

「……突然女の子に話しかけて『怪しくない』とか言いだす男ほど怪しい奴なんて
いないと思うけど」

 露骨に顔をしかめて吐き捨てたリディの声にも、ミゼルと名乗った青年は顔色一
つ変えず、軽やかに言葉をつなげた。

「いや、それは誤解だよ。俺はただ、さっきから話聞いててさ、このお兄さん説教
をしているだけで医者に連れてかないのかなと思ってね」
「いえ、あの、それは……」

 セリフを聞いたセレンが少し反論の色を見せて発した、口からほとんど出てこな
いような声を聞き取るか否かのタイミングで、ミゼルがまくしたてる。

「いや、もちろん君のお兄さんが、君のことを心配して説教をしているのはわかっ
ているとも。それより俺、サリカの神殿に医者の知り合いがいるんだ。どうだい?
行ったほうがいいだろ?」
「あの……」

 ミゼルのセリフに含まれるさまざまな誤解の訂正と、質問に対する答え。セレン
は一体何からどう話せばいいのか分からなくなったように困りきった顔をイオンに
向けた。
 そんなセレンに対し、イオンはとくに何の逡巡もなく言い放つ。
「せっかくの好意だ、拒む理由もないだろう。君の治癒呪文(ヒーリング)も自分
の傷を治すのには不向きだしな」
その台詞に間髪をいれず、ミゼルがセレンの手を取り、すぐにも歩き始めようとす
る。
「ほら、お兄さんのお許しも出たことだし、行こうよ」

 ミゼルのその行動に対してか、それにたいしては行動の前からだった怯えの表情
をイオンに振り向かせて、セレンが小さな声で問い掛けた。
「イオン『さん』も、きて、くれますよね?」
「……ああ」

 小さい声なりに『お兄さん』でないことを強調したセレンの声に対して、イオン
が少し複雑な表情で一瞬の沈黙の後、短い返事を返した。その返事を確認し、リデ
ィは当然のことだと言わんばかりにうなずき、自らもついていく旨をミゼルに伝え
た。

「……じゃあ、行きましょうか」

 イオンは仕方ないとしても……束ねた金髪のよく似合う、快活な魅力あふれる外
見ではあるが、その性質的に今は邪魔になりそうなリディまでもがついて来ること
になり、ミゼルは少し残念な思いを残して合図し、セレンの手を握ったまま外に出
る扉にむかった。

                      

「それにしても、結局この娘の紹介をしてないね」
「そうですよイオンさん、わたしにも、少し説明してくれませんか?」
 ミゼルについてサリカ神殿に行く道すがら、リディとセレン  彼女はさりげな
くミゼルの手を振り払うことに成功していた  の二人が、混乱していた場の背景
を整理して理解しようと、ほぼ同時にイオンに質問した。

 イオンは、目だけが笑わずに探りを入れているミゼルの視線を意識しつつ、二人
に答え始めた。
「とりあえず互いを紹介しよう。セレン、この人はガヤン神殿のリディスフィア=
ロッドと言う、君が実験をしている最中に遺跡調査への協力を依頼されたのだが…
…」
「あ、それならわたしにも協力させてください……未熟ですけど、治癒呪文なら少
しできますから、お願いします……ええと……リディアさん」
 この世界において女性の名を省略すると、普通はaかeの音で終わることになっ
ている。セレンはその常識にそって「正しい」愛称を口にしたのだが、リディは少
し困った顔でそれを訂正した。
「そんな、お願いするのは、あたしの方なんだから……それに、そんな堅苦しく呼
ばないで、『リディ』って呼んでほしいな」
「ごめんなさい……じゃあ、よろしくお願いします……リディさん」
「……う、うん、よろしく」

 とても「堅苦しくない」などという言い方ではなかったが、頭を下げられた以上
返さなくてはならない、真面目なリディはそう思って少し調子の狂った返事をセレ
ンに返した。

 少々ぎこちないあいさつの応酬にしびれを切らして……とは、本人しか気付いて
いないことだが、ミゼルがセレンに問い掛けを発する。

「で、セレンちゃん、君はどうして旅をしているんだい?」
「え、あ、それは……兄弟子のイオンさんが、師匠が亡くなったとき、あ、その師
匠というのはわたしの祖父なんですけど、ええと、その時、試練を求めて旅にでる
ことに、あの、イオンさんがなさって、それでわたしもまだ知られていないような
霊薬を探すために、一緒に旅をさせてもらっているんです……」

 彼女の頭の中ではまとまっていたのかもしれなかった思考は、口に出す時になっ
て、実にたどたどしいものになってしまった。顔を真赤にして、少し息のあがって
いる彼女の様子から察するに、どうやら先天的に人見知りする性質のようだ。
 ミゼルはそんなセレンの様子には何も言及せず……それよりも、得た情報を解析
するほうに頭を使って……言葉を発した。
「ふーん、それで……あ、いや、なるほどね。じゃあ、君もウィザードなんだ」
「ええ……その、まだ未熟ではありますけど……本格的な修行を始める前にお祖父
さま、あ、いえ、師匠が亡くなってしまいましたから」
「いやいや、それならそれで、まだまだこれからだよ。……ところで、実は俺、ア
ルリアナで蹴打術(ダルケス)教わって今は気楽な旅の最中なんだけどさ、さっき
の話、俺にも協力させてくれないかな」
 突然話を振られたリディが、不信感を隠し切れない表情で答える。

「……アルリアナの方が、進んで協力してくださると言うのですか?」
「まあね、ガヤンの人から見れば不純な動機かもしれないことは認めるけどね……」
 言いつつセレンに視線を投げ掛ける。セレンの反応を待たずにミゼルは台詞を続
ける。
「だけど、動機と能力は別問題じゃないかな? いざとなったらゴブリンの一匹や
二匹、瞬殺して見せるぜ」
「……でも……」

 なおも迷いを見せるリディに向かって、今までずっと黙って成り行きを見守って
いたイオンが少し唐突な質問をした。

「今回の調査では、どのくらいの危険を想定しているんだ?」
「え? ああ、噂に関する調査だから、それほど危険はないと思うけれども……黒
の月の者が本当にいたとしたら、戦闘は避けられないだろうし……はっきりとは判
らないってのが本音かな」
「戦闘が想定できるのなら、蹴打術の使い手の協力は、かなり心強いと思うのだが
……」

 ミゼルのパーティー参加を認める発言に、セレンが少し顔を曇らせ、それに気付
かずにミゼルが嬉々としてイオンに声をかけた。
「さすが、分かってらっしゃる。『お兄さん』と呼ばせてください!」
「……別に、あなたの兄になろうとは思わない……ただ、リディ、安全のためにこ
の人の協力が必要ではないか? 私は、セレンを守りながらの戦いになってしまう
からな」
「まあ……そおかな、そういうことなら……問題もないだろうし……では、ミゼル
さんと言いましたか? 明日、行動を開始しますので、よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ……それではお兄さん、一緒にセレンちゃんを守ることにしま
しょう」
「……それは、私で十分だと思うが、な」
「まあ、いざとなったらあてにしてくださいよ。さあ、着いたよ、セレンちゃん」
 件のサリカ神殿の前で振り向きつつセレンに声をかけたミゼルは、ほんの少し和
らいだ彼女の表情を見て、手応えを感じたようであった……
 さて、その頃。先程の酒場……『岩山の頂上亭』……では、おひねりの代わりに
りんごの芯やらトリガラ……これは少々洒落にならない……等々さんざんに投げ付
けられていたミュルーンの手品師が羽繕いをしながら酒場のマスターと話をしてい
た。
「しかし、ホンマ、やになるで。ここのヤローどもはまるで芸術を理解できひんの
や」

 ミュルーンが口を……もとい、くちばしをとがらせてマスターに愚痴をこぼして
いた。
 辺りにはすでに酔客の姿は一人として無くなっていた。温厚を絵に描き、その目
に活力をジョッキ百万杯のエールで注ぎこんだような、この酒場のマスター兼宿屋
主人が話を合わせる。

「まあねぇ……確かにこの街じゃあ上品な芸術ってのは流行らないだろうねぇ」
「そや! ダンナ、解っとるやないか。ワイはこんなところで手品なんぞコネまわ
すタマやないんやで!?」
「一応言っとくが、旅に出るなら、宿のツケ、全部払ってからだからな」
「……わぁっとるがな……はぁ……何ぞ、景気のええ話でも出てこんかの〜」
「そういえば……」
「何や!? あるんか!!」
「……いやな、さっき、ガヤンの紋章付けた、背の高い姉ちゃんが来て、ほら、あ
のウィザードの2人……」
「ああ、あの白頭と小ちゃい嬢ちゃんやな。嬢ちゃんはともかく、あの白頭、えら
い無愛想やで? ワイが楽しく話し掛けとるっちゅうに、『ああ』だの、『そうか』
だの……」
「おまえ……俺の話聞きたくないのか?」

「お? すまんかった。気にせんといてや、話、始めたら止まらんのがミュルーン
のたちゆうてな、この前も……」
「ああ、分かった、分かった。で、どこまで話した? そう、そのウィザードの2
人にだ、ガヤンの姉ちゃんが何だか遺跡の調査に協力してくれとかなんとか……」
「遺跡やて? そりゃ聞き捨てならへんな。ガヤンがわざわざ『調べる』言うとる
っちゅうことは、ぎょうさんお宝が埋もれておるに違いあらへんな。うん、おおき
に、マスター。ほな、ワイは一稼ぎしてくるわ……うひひ、トレジャーハンターの
血が騒ぐわい……」
 マスターは「おまえも協力して……」と言おうと思ったようだが、その前にミュ
ルーンの青年は興奮した声を上げながら外へと走りだしていった。
「あ、おい、ちょっと待て、トラップ!! 人の話を最後まで……」

 ミュルーンという種族は万色の彷徨いの月の影響を受けて鳥の姿をとっているも
のたちである。その目は、数少ない例外を除いて夜の闇を見通すようにはできてい
ない。
 多少槍の心得があるだけで、ごく一般的なミュルーンの一員であるトラップと呼
ばれた彼は、もちろん例外でなく……程なくして外から情けない声が聞こえてきた。

「お〜お〜、真っ暗やんけ〜、な〜んも見えへん〜、あかん、ますた〜助けて〜な」
「…………ほら、早く中に入れ……」
「すまんの〜 おお!光っちゅうのはええもんやの〜」
「大体な、トラップ……(ガヤン相手に宝の横取りなんざ考えるもんじゃ……)」
「うぉっしゃあ! したら、今夜はゆ〜っくり休んで、明日朝イチで出発するで!」
 ()内の台詞をマスターが言う前に、トラップは気合いバリバリで自分の部屋に
戻っていった。

「……人の話を聞けよ……」

 内容のわりには親しみのこもった声音で呟くと、マスターは酒場の灯を落とした
  

 そして、次の日の早朝    
「おおっしゃぁ! 空も晴れとる、調子は最高!! マスター、ワイは行ってくる
で! ツケもど〜んと返したるさかい、安心して待っとれや!!」
 言って……というより叫んで、トラップは宿を出て歩きだ……そうとした。
「はて、そう言や遺跡言うんは、どこぞにあるんや?……ってあんたアホかい、行
き先も知らんのかい!!」
 玄関前で一人ボケつっこみ(ミュルーン用語)をかましていたトラップに、マス
ターが一枚の紙を持って話しかけた。
「やれやれ……まぁ、おまえのことだからな、そう出ると思ったが……ほれ、これ、
昨日の姉ちゃんの話から俺が予想した目的地への地図だ……ま、予想と言っても、
近ごろ噂の絶えない遺跡と言ったらここしか……」
「何やて!? そんなに噂になっとるんか? こりゃいかん、マスターおおきに、
ワイはもう行くわ」
「ちょ、え? おい!! うわさって黒の月……あ〜 行っちまった。知らねぇぞ
……」
 ミュルーンはおしなべて健脚の持ち主であり、その上に落ち着きのない性格らし
いトラップなど、もう道の彼方に消えていたのであった……

 さて、しばらく街道を北上しているトラップ。遠目にも目立つ逆立った深紅の髪
を揺らしながらゴキゲンな速度で走っていた。
「しっかし、ホンマにええ天気やの〜。こんな日は、シャレの調子もええわいな、
遺跡にいせきなさいってな」
 少しは黙ってられないのだろうか、このトリは……どうやら、最後は『急ぎなさ
い』と言いたかったらしい。念のため。
 そんな能天気な道中を繰り広げていた彼は、後から音もなく近付いてきた褐色の
影に全く気付かなかった。
 その影は彼の背後でぴたりと止まると、その深紅の髪をおもむろにつかんで呟い
た。

「赤……」

 飛び上がらんばかりに驚いたトラップは、あわてて振り向きざま髪をつかんでい
る手を振りほどき、その手の持ち主を見上げてまくしたてた。

「何やねん姉ちゃん! ワイの自慢の髪を断りもなしにひっぱらんといてや!! 
それとも、何や? ワイに恨みでもあるんかいな?」
「いいや、恨みは、ない。わたし、赤、好きなだけ。悪かった」

 姉ちゃん    つまり、その女性は1メルー(m)に満たない身長のトラップ
をはるか下に見下ろしながら片言の共通語で彼に謝罪した。よく見ると、その耳は
人間に比べるとずいぶん細長く尖っている。
「……何や、姉ちゃん、あんたエルファかい。なしてこないなトコを歩いとるねん」

 「エルファ」とは、森に住み、その中で完結した自然のサイクルの中に身を置く
のをよしとする種族である。それゆえ、滅多なことがない限り森の外へ出ることが
ない。
 この「常識」を知っていたトラップの当然の疑問に対して、彼女は少し目元を険
しくして言葉を発した。

「わたし、悪魔殺すため、森出た。悪魔、殺すこと、プファイトの定め……それに
……」
「それに、何や?」
「それに……悪魔、マーロの仇」
「マーロ? 誰や、それ」
「……わたしの、夫、だ……」

 森に生える木々の中でも、もっとも激しい性格をもつ「プファイト」 その実は、
熟す時に弾けて周りの下草を打ち払ってしまうほどである。
 そして、その木の名を冠した部族らしい、褐色の精悍な彼女の顔は、いま、悲し
みとも怒りともつかない表情に歪められていた。

「そうやったんか……ダンナの敵討ちに出てきたんやな……そいで、その、仇の居
所はわかっとるんか?」
 まるで下町の世話好きおばちゃんのような口調で話し掛けるトラップに、彼女は
首を振りながら答える。
「はっきりとは、判らない……だが、街で、噂聞いた。黒の月に従う奴、この先に
いる」
「ふ〜ん、なるほど、確かに悪魔信者なら、悪魔がどこにいるかくらい知っとるか
もしれへんもんなぁ……って、この先言うたら……」
 トラップはあることに思い当ると、あわててマスターの地図を取り出して彼女に
見せつつ問い掛けた。
「もしかして、アンタの行こう思とる所は、ここなんやないか?」
「……ああ、多分、ここだ」
 少し地図を見つめてから発した彼女の答えを聞いて、トラップは頭を抱えてしま
う。

「お〜お〜お〜 マスターはん、そないな事は早う言うてくれはってもええやない
か〜」
 聞かなかったのはお前だろう。
「ま、まあええわ。危険なら、それにつれてお宝も良うなるもんや」
 独り言の間に天からのツッコミまで受けていたトラップに、エルファの女が少し
興味を持ったように話し掛ける。

「お前も、ここ、行くのか?」
「ん? おお、そうや! 姉ちゃん、ワイはココにお宝があると聞いてな、そいつ
をちょいといただきに来とったんや。どや? 姉ちゃん、ワイと組まんか?」
「組む……?」
「そや、ワイも槍使うことにかけてはちょっとしたもんやが、黒の月がおるところ
に一人で行くんもぞっとせんわな。そいで、姉ちゃんもワイと一緒に戦う、ワイは
姉ちゃんの仇がおったなら協力したる。宝もあれば少し分けたるわ。どや、悪くな
いやろ?」
「分かった、同じ所行くなら、一緒、戦う、当たり前。宝、別にいらない。だけど
……」

 『宝がいらない』と聞いて喜びを隠しきれなかったトラップに対して、彼女はに
っこりと笑って言葉を続けた。
「その髪、キレイ。わたしに、くれないか?」
「何ィ? 髪? これはあかんわ、ワイの自慢やで。そうやな、千ムーナも積んで
くれりゃ考えてもええが」
「千ムーナ……それは、無理、残念……分かった、お前、もし死んだら、その髪く
れ。死ねばいらない。いいか?」
「……何やそれ。まさか、いきなり後から刺したりせんやろな?」
「それ、違う、そんなことしない。プファイト、敵じゃない奴、むやみに、殺さな
い」
「……ま、信用したるわ。わぁった、約束や、もしワイが死んだら、この髪、アン
タにくれてやる、それでええんやろ?」

 少し険しい顔で反論した彼女は、トラップの答えを聞いて、実に嬉しそうに右手
を握手の形に差し出した。
「ありがとう、信じてもらえる、嬉しい。わたし、キリーシャ、よろしく」
「おお、ま、しばらくの間だけかもしれへんがよろしくな」
 そんな会話を交わした後、彼らは遺跡への道を再び歩き始めた。

 一方、そのほぼ同時刻。サリカ神殿の前。リディが三人の男女に向かって声をか
けていた。
「それじゃ、出発しようか。みんな、よろしくね」
 結局軽かった火傷の治療の後宿に戻ったセレンとイオン、自宅に帰ったリディ、
サリカ神殿に宿をとっていると言うミゼルが再集合して、今まさに出発するところ
であった。

「それにしても、ミゼルさんって、アルリアナの方でしたよね?……確か、その、
サリカ神殿とは相容れないはずだったような……」

 アルリアナは、忘却と気まぐれの恋を司る女神。その情熱的な恋愛至上主義的教
義は、確かに、一般的には結婚や変わらぬ心体を司るといわれている女神サリカと
は相容れぬものである。そんな事実からセレンが出した疑問に対して、ミゼルはは
ぐらかすような笑みを浮かべつつ言葉を紡ぎだした。

「俺の知り合いがサリカだってのは言ったよね? アルリアナだって、まるっきり
サリカと敵対しているわけじゃないからね……他に、俺について知りたいことはあ
るかな?」
「い、いえ……もう、いいです」

 本当は、少し釈然としない気分の残るセレンであったが、根本的に異性が苦手ら
しい彼女にとって、ミゼルの言動は、あるいは恐怖すら抱きかねないものであり、
早々に質問を切り上げてしまった……

「昨日、あれから少し情報集めたんだけど、出現する黒の月の信者って、ゴブリン
やオークぐらいなもんだってさ。あたしとしては、このまま直接遺跡に向かっても
良いと思うけど、どう?」

 少し妙な間が空いてしまった会話に、リディが改めて質問を発した。まるでそれ
に助けられたかのように、セレンが答える。
「あ、念のため、予備の傷薬とか、買っていったほうがいいと思います」
「やっぱ、そう思うよね、俺も、そう思う」
 こと、セレンの意見に関しては完全にイエスマンになっているミゼルの意見を諦
めて、リディは少し上方にあるイオンの目を振り向いて見た。イオンは、それに答
え、
「まあ、その通りだろう。薬のことなら、セレンに任せておけば大方間違いないと
思う」
「なるほどね、じゃ、薬屋さんに寄って行こう。薬選びはセレンちゃんに任せるこ
とにするよ」

 そうして、リディの先導で薬屋に向かった一行だが、その目的地を前にして、セ
レンが急に歩みを速めて店内へと入ってしまった。ミゼルが慌ててそれについて行
き、リディも少しいぶかしい思いを胸に、表情を変えていないイオンの後を店内に
進んだ。
 そこでは……

「うふふふ……薬って…………いいですよね……」
「うん、そうだね、セレンちゃん」

 少々危ない目付きで微笑みながら呟くセレンが、ミゼルの同意の声が全く聞こえ
ていないかのように売場にある薬草の類を選別していた。

「……気にしないでやってくれ。いつもの事だ。大抵は、目的も忘れないから大丈
夫だ」
 セレンの様子を離れて見ていたリディは、実に心配そうにイオンを見上げ、それ
にこたえた彼の台詞を聞いても、なおも消えない不安感を残しつつセレンを見つめ
なおした。
(……いつものことで……大抵!?)

「あ、すみません、少し時間を使ってしまいましたね。……わたし、薬のことにな
ると、他のことを忘れてしまいがちで……」
 支払いをすませて戻ってきたセレンは、先程までと同じ物腰でリディに謝罪した。
それに向かって批判や不安感をぶつけられるような神経を持ち合わせていなかった
リディは、結果、少し引きつった笑顔で答えるしかなかった。

「あ、き、気にしなくてもいいよ。じゃ、今度こそ出発でいいかな?」

 反対意見が出ないことを確認して、リディは遺跡に向かって歩き始めた。……そ
して、一行が遺跡に到着するのは、一刻ほどトラップたちに遅れることになるので
ある。

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