冬の贈り物

7.それぞれのエンディング(後日談)

 夜の……ちょっとはやくて7時02分。
 それは、都会の狭間――どこにでもあるようなビルの屋上の、そうそうどこにもないような出来事であった。
 〜中略〜
 というわけで。
 光の足元には、またどこぞのFHのエージェントだかの死体が転がっているわけである。
「ふー」
 獣のような腕についた血を払えば、血と共に猛りを落とすかのごとく、腕は人のものとなる。同時に彼の体を埋めていた白き熊の衣も嘘のように剥げ落ちていた。
 つい数時間前まで、武蔵蓮沼診療所にて仲間と共に事件の収拾にあたっていたわけだが、もう別のエージェントと対峙し屠りずみなあたり、彼もいよいよ暗殺者としての風格を備えてきたというか……坂ノ上光、彼の本職は高校生のはずなのだが。
 今日はこの間のようなヘマはしない。すなわち、ちゃんと外に出るルートを抑えておいた。死体の始末はもちろんせずに、彼は非常階段を駆け下りた。
 ビルから出れば少しだけ寂しい裏通り。少し歩けば表通りにでて、雑踏に紛れることができる……はずだった。
 りりりりりりりりり……。
 そんな電話の音を耳にしなければ。
「?」
 その音は、今時珍しい公衆電話のボックスからしていた。真向かいの雑貨屋のシャッターは、まだ夜の7時すぎだというのに早々とおりている。きっと売り物の煙草を背景に、おばあちゃんが店番をしているような感じのお店なのだろう、と光は予想した――その通りである。
 りりりりりりりりり……。
 公衆電話は鳴り続けるが、誰も出る気配はない。仕方なく光は受話器を手に取った。
「あー、これ、公衆電話ですから……じゃ」
『ああ、切らないでください。私です、坂ノ上光さん』
 電話から零れてきたのは、いつも光に仕事を依頼するUGNの端末の男であった。
「あ、ども。ちゃんと片付けておきましたんでー」
 相変わらず“人を殺した”と思わせない軽い口ぶりで、光は受話器に頭をさげる。もちろん、仕事済みであることは相手が把握済みだ。それは光の後ろを清掃会社の車が走り抜けたことでもわかる――その清掃会社はUGNの末端組織であり、オーヴァードがらみの事件で死体が生じた場合は、速やかにやってきて綺麗に片付けるのだから。
『それで、さっそくなんですが、次の仕事です。よろしいでしょうか?』
 その言葉を聞いて光の唇が僅かに釣りあがった……返事は明白である。
 そしてまた次の日も、彼はどこかの都会の狭間で、どこかのFHエージェントの血で、獣の腕を染めるのだ。

「ごめんなさいねぇ、あの子……インフルエンザを相当まずくこじらせちゃって。私たちも面会謝絶なのよ……」
「そうですか……」
 事件収束後の次の日――
 御手洗家の玄関先で力なく瞳を伏せる友人の母に対して、京華もまた肩を落としうなだれた。
 武蔵蓮沼診療所の地下で、ガラスケースの中に入れられた御手洗を見た時は、怒りと哀しみで我を忘れた。だが事件が終わり京華を取り巻いたのは“友達が巻き込まれてしまった”という後悔の念だった。もっと自分が気にかけていればよかったんだ……前向きな彼女にしては珍しく、相当に落ち込んでしまった。
 今回の件を冷静に見てみれば、御手洗がこの事件に巻き込まれるなど、京華にはまったく予測不可能なことであり、この結果は仕方のないことではあるのだが。
「あ、けどね、橘さん。お医者様からは“死んじゃうようなことはない”って聞いているから……そんなに深刻にならないでも大丈夫よ」
 京華があまりに落ち込んだ顔を見せたせいか、それを励ますように御手洗の母は言った。気丈な女性である。
「……」
 そういえば、遥歌さんも言ってた。御手洗さんはレネゲイトウイルスに感染して発症してしまったけれど、うまく調整をすればわたし達みたいなオーヴァードとして、また日常生活に復帰できると思うって。
「うん、そうですよね。御手洗さんなら大丈夫ですよっ」
 うんっ。
 京華は頷くと、彼女もまたの前の母親と同じく気丈な笑顔を見せる。
「退院してきたら、また仲良くしてやってね」 
「はいっ。もちろんですっ」
 そのタイミングで京華の携帯電話がメールの通知音を出した。御手洗の母親に軽く礼をすると、その場から去りながら携帯電話をひらいてみた。
「あ、天羽君からだ……えーと」
 メールは、御手洗の入院している病院の名前と、面会に行けるように話を通しておいたと告げていた。相当落ち込んでいた京華を思って、病床の央樹が気を回したのだ。
 京華はその足で花屋さんにより、お見舞い用に花をつんでもらった。選んだ花は彼女らしい明るい色合いの、見ているだけで元気が出てきそうなマリーゴールドの花だった。

 京華が花屋から出てきたのとすれ違うようにして、瑠璃は花束を抱えた京華を見送った。弾むような足取りの行く先は容易に想像がついた。京華が自分に気づかなかったので、彼女もまた京華には声をかけなかった。
――
 雑踏の中、相変わらずマスク姿の人は多く、“V.M.”こと由布達夫が振りまいたウイルスはあいも変わらず猛威を振るっている――本人が消えたところで、変わりなく。
 それでも。
 昨日ニュースで、新種のインフルエンザに対抗するワクチンの開発が成功したと言っていたから、近い将来には収束し……やがてはかかってしまった人すら忘れてしまうのだろう。
 一部の運命を書き換えられた人を除いて。
 京華の友人がそれをどのように捕らえ、今後の人生を生きていくのか、瑠璃には知ったことではないのだが。
 そろそろ日も傾き、夜が来る。
 先日の依頼をこなしたお陰で懐も暖かいし、おいしいものでも食べに行こうか、と瑠璃は1人算段をつけた。
 報酬はそれなりであったが、深津……UGNの頭の悪い依頼の出し方には、少し辟易としている。昨日、報告で深津にあった際にも、今回の件の功労をねぎらう言葉を並べる彼女には、上滑りなものしか感じられず、途中で席を立ったぐらいで。
「縁、切った方がいいのかしらね」
 寒い中、流行らないであろうソフトクリーム屋で買ったクリームチーズソフトに舌を当てながら、瑠璃はひとりごちた。
 とたん。
 耳障りな声が、周囲に散らばる。
『なんやてぇ、こんくされ。わしに文句あるんかぃっ』
 見れば、いい年をして派手柄のジャケットにノーネクタイのハワイアンシャツ、止めは赤色に染めた髪を後ろに流し立ててるという、壊滅的な趣味の悪さの男が、運の悪いゲーセンの店員に絡んでいた。
 どこかで見たことがある……考えなくてもわかる。昨日屠った白金戦にそっくりな匂いを持つ男だ。もちろん似ているだけで他人ではあるが、ただ――瑠璃の鋭敏な感覚は、ちりりと焼け付くような嫌な共鳴を拾った。
 ――そう、この男もまた、オーヴァードらしい。
「……ふう、ん」
 騒ぎを遠巻きに野次る人々に紛れながら、瑠璃はかったるそうに肩をすくめる。
結局は、こんな輩が次から次へと沸いてくる限り、自分とUGNの縁も切れやしないのだろう、と。

 ――こうして武蔵蓮沼市を騒がせた、“インフルエンザ”の事件は、5人のオーヴァードの働きにより、無事収束した。
 日常は人知れぬところで壊れ、だがそれは決して表沙汰にはならない。
 幸せな人々は、何も知らないまま日常を享受していくのだ……運悪く巻き込まれない限りは。


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