冬の贈り物

4.それぞれのアクション(行動)

『如奈さん、昨日の件ですが、ビンゴです!!』
 ……インフルエンザの感染を防ぐには、人ごみを避けること。それを的確に実行していた瑠璃は、武蔵蓮沼高校裏庭の木の上で、そんな薬王寺の弾む声を聞くこととなる。
「へえ」
 自分の予想通りだったという得意げな色もない、だが当たっていて意外だったという驚きもない。いつも通りに意味深な笑みを唇に貼り付けて、瑠璃は受話器越しの年下の支部長に返す。
「それで?」
『昨晩、市内の医院全てにエージェントを張り付かせたのですが、その内ある1つの病院で、FHエージェントが乗っていると思われる車が出入りしていたとの報告を受けました』
「ふうん、それ、どこ?」
 吹き付ける冬の空っ風になびく髪が耳元をくすぐるから、小指ですくうように横髪の1房をまとめた。横目には自分のクラスの生徒達が真面目に授業を受けている光景が写る。ただし、欠席で空いている席も多い。もちろん、窓際後ろから2番目の彼女の席も空いている。
『武蔵蓮沼診療所というところです。場所は………………』

 約40分後――
“い〜しや〜きぃ〜、いンもぉ〜。おいしいぃ〜おいしいぃ〜、おいもだよぉぉ〜。ど〜しておいしいかは〜、秘密だよぉ〜”
 平日午前の住宅街の中にある公園にて、そんな東北なまりのおじさんの声をBGMに、瑠璃はその“おいしい秘密のやきいも”をほおばっていた。
「秘密にするほどの味じゃないわね」
 ……やっぱり木の上で。
 抜け目無い視線の先には、こじんまりとしてはいるが最近出来たばかりなのか、小綺麗なつくりの診療所。もちろん“武蔵蓮沼診療所”だ。診療科目は内科、小児科、耳鼻科、診療時間は8:30〜12:00 13:00〜18:00。ごくごく一般的な病院だ。
 インフルエンザの大流行も手伝って、患者の行き来はひっきりなしに訪れている。その殆どが近所の公団マンションから来る徒歩の者だが中には車やタクシーで乗り付けてくる者もいる。そういった人たちは特に重症らしく、家族に両肩を支えられてふらふらとした足取りで車を降りるのだ。
「ふーん」
 指についたサツマイモを舐め取りながら、瑠璃は医院に吸い込まれていく患者を軽くチェックする。今のところ、取り立てて怪しい者の出入りはない様子だ。
“武蔵蓮沼診療所”については、学校から移動する道すがら、瑠璃の方で例の情報屋に依頼を出しておいたので、大体の情報は手元に集まっていた。

・開業は約1週間前。地元密着型を目指す、小規模な病院
・所属医師は院長の“田中健夫”ともう1名非常勤医師がいる。
・田中健夫は30代前半の青年。
・田中健夫のこれまでの経歴は、医大卒業後大学病院に6年勤務の後、この場所で開業。これらの経歴に怪しい部分はなく、もちろん実在の人物である。
 以上。

 外側からの情報がためについてはほぼ万全であるが、実際に欲しいのはこの病院に関する評判である。さて、それについては……。
「あらあら、柏木さんも風邪?」
「えぇ、この子の看病してたら……ごほっ、うつっちゃって。この子の方は簡単に治っちゃって、お外お外うるさくてっ……へくしょんっ」
 瑠璃の眼下の砂場で、それぞれ幼稚園修学前の子供を遊ばせるママさん2人が、こんな風に話し出した。
「病院行った? 最近はタチの悪いインフルエンザが流行ってるって言うわよ?」
「ええ、あそこのお医者さんに行った帰りなのよー」
「あー“武蔵蓮沼診療所”ねぇ。新しくて綺麗なところよねぇ……スリッパまで消毒されて出てくるんだから」
「ボーリング場の靴みたいよねぇ……」
 と、いうわけで。
 木の上でめんどくさそうに伸びをしながらも、ごくごく最近の評判についても簡単に手にする事が出来た瑠璃である。
 別に“トイレのウォシュレットが気持ちいい”だの“スリッパが消毒されて出てくる”だのは、どうでよい話であるが、1点だけ瑠璃に引っかかってくる話があった。
「先生も大変よねぇ……風邪引いちゃってマスクかけてて。それでも閉める訳にはいかないしねぇ、病院を」
「かき入れ時ですものねぇ。今日なんて喉までおかしかったのか、前、子供を診てもらった時と声まで違ってたみたいで……けほけほっ」
 木の上で音を立てないように立ち上がると、ふうっと瑠璃は息をついた。その後に始まった我が子自慢の話には興味はない。とんとんっともう少し高いところまで軽やかに上がると、携帯電話を開き央樹へとメールを打つことにした。
 メールを送信したタイミングで、砂場の2人の若いママさんは“そろそろお昼だから”とそれぞれ帰っていった。時刻は12時25分……20分以上超過してようやく午前の部の診療は終わったようで、出で来る患者の数も若いサラリーマン風の男を最後に、ぴたりと止んでいた。
「さて、みんないつ頃来るかしらね」
 雑音の発生源が消えたので、位置を再び先ほどに戻すと瑠璃は診療所に視線を移す。
 と、それを待ち構えていたかのようなタイミングで、1台、2台……以後30分の間に黒塗りの車が4台、診療所の駐車場に入っていった。中には3、4人の黒尽くめの男たち。そんなありきたりでわかりやすい状況には、ついつい失笑が漏れた。
 そして彼女の鋭敏な耳は、駐車場の車のトランクが全て開け閉めされた音までをも拾ったのだった。
「ふぅん……」
 それがなにを意味するのか、わからぬ彼女ではない、が……瑠璃は小さく鼻をならしただけだった。

 央樹の携帯電話のバイブ振動がメールの受信を知らせた。
「……あ、瑠璃さんからだ」
 それは彼が、シュージを寝かしつけ昼からの授業と仕事のために学校へ向かう途中のことだった、校門まではあと2分ほどだ。
 シュージの具合は相変わらず辛そうで、学校を休んで看病をしていたかったのが本音ではあるが、今は重要な任務中であると自分に言い聞かせた。なによりシュージ本人の“僕はだいじょぶだよ。央樹君は、学校にはなるべく行きたいって言ってたじゃない”という言葉が、背中を押した。
 それでもやはり平常心ではなかったらしい、朝に届いていた遥歌と薬王寺支部長からのメールにも気づけずにいたからだ。
「なにかわかったのかな……」
 届いた順、遥歌のメール、支部長のメール、瑠璃のメールと確認してみた。遥歌のメールについては、彼が風邪を引いて自宅待機している、という内容で特に急ぎではなかったのでひとまずほっとした。
 支部長のメールは、昨晩わかったFHの動きについての報告だった。央樹の表情がぴりりと引き締まり、任務に忠実なエージェントのものになる。
「これって、遥歌さんの言ってた事件とつながるってことか。それで、瑠璃さんのメールは……と」
 瑠璃のメールを呼び出してみて、更に表情が真剣になる。事態は自分がシュージの事で慌てている間に確実に進行していたのだ、と。
“武蔵蓮沼診療所、待ってるから。来る時にヤマギシのミルクコッペパンとオレンジジュースお願いね”
 瑠璃のよこしたメールはそんな内容であった。
「急いで、橘さんと坂ノ上さんを集めなきゃ。あと遥歌さんも……」
 言うが早いか、央樹はその行動を実行にうつす。京華と遥歌にメールをうつ。京華からはすぐに合流をするという旨が、遥歌からは学校の保健室で寝ているという内容が飛んできた。
「合流地点は学校の保健室です……と……ええと、坂ノ上さんにも会わなきゃ」
 京華にそのようにメールを入れると、央樹はもうひとりの協力者の光へのコンタクト方法を考える。彼は携帯電話を持っていないので直接会うしかない。現在は昼休み中で、その時間彼は屋上にいる事がほとんどのはずだ……と、そこまで思い出した央樹は、校門を抜け下駄箱へと急ぐ。
 が。
 足が、止まる。
 キィーン――と、レネゲイトウイルスを血に宿し、なおかつ制御せし者のみが捕らえる事ができる、耳障りな、あえて言うならば金属同士が共鳴するような……そんな音共に、世界が白と黒に塗り替えられる。
「ッッ……“ワーディング”?!」
 央樹の拳がぎりりと握りこまれる。怖気だつような感覚はざわめきだすレネゲイトウイルスが奏でるもの――警戒、態勢。
“ワーディング”
 その空間では、オーヴァードのみが色彩をもち、オーヴァードのみが動く権利を得る――もちろん、“ワーディング”をかける事ができるのも、オーヴァードのみだ。つまりこの状況は、今現在身近に、この“ワーディング”をかけたオーヴァードが存在しているということだ。敵である可能性も、ある。
 どこにいる? 央樹は辺りに視線を巡らせる、と。
――! え、ええ?」
 天を仰いだ時点で、警戒でこわばっていた央樹の顔が、唖然とした間抜けなものに変わってしまう……風を切り学校の屋上から飛び降りる人間がいたからだ。ちなみに飛び降りた“彼”には“投身自殺”という、マイナスなオーラは一切ない。
 ひゅーーーーーるるるるるるるるるるる…………ヒュンッッ! ずざざざざざっっ!!
 すぐ傍らで風を切る音と、グランドの土が削れ埃がたつ音はほぼ同時だった。
「…………」
 鳥が翼を切るように両腕を広げたポーズで降りたったのは――坂ノ上光、その人であった。
 未だ余韻の風になびく髪が、かっこいい……けれどこの危険な行為には、まったく意味がない。
「さ、さ、ささ……坂ノ上、さん?」
 オーヴァードは死なない、発症シンドロームによっては強靭な肉体を得るものもいる。それにしたって、突然のあんまりな事態に央樹のボーイソプラノがひっくり返ってしまった。
「移動するんですね」
 服についた埃を払いながら、光は淡々とした口ぶりで言った。あんな派手な登場をしておいてこれだ、バカみたいに大見得切って格好をつけてくれた方が、まだ納得がいく。
「え、ええ……けど、どうして知ってるんですか?」
 移動を知らせたのは京華と遥歌だけで、まだ光には自分は接触できていないはずだ、と、央樹の瞳が怪訝そうにしばたかれる。
「屋上で、橘さんから聞いた」
「ああ……そ、そうです……か」
 確か京華もお昼は屋上にいる事が多かったと、今更ながらに思い出し納得する央樹。とりあえず自分で落ちつくには納得する事象を増やしたい気分である。
「……坂ノ上くんっ、無茶しないでよーっ」
 相変わらず白黒反転していて、昼休みを享受する殆どの生徒達が彫像のように固まる中を、昇降口から駆けだしてきたひとりの少女が横切ってくる……もちろん、橘京華だ。
 ちなみに彼女も、4階建ての屋上から階段を降りてくるには、あまりに早い登場であった。
「………………そろったみたいだし、保健室に行きましょうか」
 けれど。
 決して深く突っ込むことはすまいと誓う央樹であった。事態をこれ以上無駄にややこしくしたくないし、なにより京華がどうやって降りてきたのかを……怖くて聞きたくなかったからだ。

 ――そんなこんなで5分後。
 央樹、京華、光の3人は、保健室のベッドで叶歌の取り寄せてくれた情報に目を通していた遥歌と無事接触を果たし、4人で武蔵蓮沼診療所へと移動することとなるわけである。


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