コクーン・アドベンチャー≫第1話 天上無上の協奏曲≫1


 クリュオの交通の要である通商大路。そこから少し山へ入ったところ、キノコの
森の外れに小さな村があった。せいぜい数十戸といった村で、畑も見当たらない。
南部の村らしく狩猟で生計を営んでいるようだ。その入り口に、二つの人影があっ
た。前を行く女性はなかなかの美人だ。かすかにつりあがった眉は勝気な印象を与
え、紫水晶のような瞳と同色の髪が妖しさを添える。名をテルル=ローディアとい
った。
  彼女は村を見渡してから、軽くため息をついた。寂れた雰囲気を漂わせた、何の
変哲もない村。特に長居したい場所ではない。食料を調達したらさっさと出かけて
しまおうか。歩きながら考えていると、
「姐さぁん、腹減りましたよぉ。」
 背後からの聞きなれた声にテルルは半眼で振り返った。うつろな目をした男が杖
に寄りかかって立っている。
「うるさいわよ、シュウ! 男のくせに気の抜けた声出すんじゃないわよ。」
 ブン、とテルルの杖がうなった。この杖は――シュウのものも同様だが――真音
魔術師の証だ。真音魔術とは万物の構成を司る真音によってさまざまな現象を引き
起こす技だ。それはほとんどルーフウォーカーの専売特許となっている。この二人
も、本来天井に住んでいるはずの人間だ。それがどうしたわけか『床』で空腹を訴
えていたりする。
「ほら、さっさと行くわよ。」
 返事を確かめることもなく、テルルはその村唯一と思しき宿屋へと向かった。そ
の後ろをひょこひょこシュウがついていく。この男、一般に高慢で知られるルーフ
ウォーカーとは信じられない腰の低さである。
 着いてみると、村に合わせて宿屋も小さかった。入り口に下がった看板ではじめ
てそれと解るほどだ。
(こんなんじゃサービスの質も知れてるわね。)
  ますます長居したくない。肩をすくめつつテルルは勢いよく扉を開けた。宿屋は
一階が食堂になっているが、昼だというのに客はほとんどいなかった。というより
も先客は一組だけだ。まともなものを食べさせてもらえるのか少し不安に感じつつ
も、テルルは適当な椅子に腰かけた。向かいにシュウが倒れこむように腰をおろす。
「はあ、腹減ったぁー。」
「うるさいって言ってるでしょ。」
 連れのぼやきを完全に突っぱねてテルルはウエイトレスを探した。その視線が先
客の男に止まる。二人とも若い、彼女からすればひよっこと呼んでもかまわない程
度の男だった。銀髪の男はぶつぶつ料理に悪態をつきながらキノコのソテーからマ
リリ茸だけよけている。もう一人、赤い髪の男がエプロンをかけた少女に話しかけ
ていた。
「ほう、お家のお手伝いなんだ。君みたいな可愛い子がいるならさぞかしここ繁盛
してるんじゃない?」
「またまたお上手なんだからあ。もぅ、恥ずかしいじゃないですかぁ。」
(恥ずかしいのはあんたのおつむのほうじゃないかしら。お世辞だって気づかない
わけ。)
 男は男であんな田舎娘に声をかけるのに熱心で、自分に気づいた様子がまったく
ない。見る目のない男だ。
「ほんと、バカばっかりね。」
 テルルのつぶやきに、ようやく店の娘がこちらを向いた。大げさに驚いている。
「あ、いやだ。お客さんがいらしてるじゃないですか。それじゃレビンさん、つい
でにシルヴァンさんもごゆっくり。」
「ついでってなぁ、おい。」
「うん。後でまたゆっくり話そうね。」
「その時はおごってくださいよ。えーっと、お待たせいたしましたぁ。ご注文はお
決まりです、かぁ……。」
 近づいてきた娘の愛想笑いが途中でぎこちなくなった。すらりとしたシルエット
の服に独特の杖。ちょっと高いところに住んでいるからって性格までお高いルーフ
ウォーカーだ。しかもあの杖は確か怪しい魔術を使うやつ。でも一応お客さんだし
ー。ついでに結構美人かもぉ。でもでもあんまり関わりたくないかなーみたいな。
 解りやすいといえばあまりに解りやすい反応に、テルルは憮然とした。嫌味のひ
とつやふたつやみっつやよっつくらい言ってやろうかと思ったそのとき。
「流れ者が泊まってるって本当かぁー!」
 けたたましい音と共に初老の男が飛び込んできた。流れ者というのは定職につか
ず、冒険やらなにやらで日々を暮らす胡散臭い連中のことである。いや、当人たち
にはいろいろ事情とか目的もあるのだろうが、一般的な認識はそんなものなのだ。
 ともかく男は無駄に手足を動かしながら叫ぶ。
「う、うちの娘がぁー!」
「落ち着いてください、一体どうなさったんですか。」
 先程レビンと呼ばれていた男が「娘」という単語に反応して立ち上がった。室内
だというのにバサッとマントを翻す。直後、
「いやブリンク、悪いけどちょっと黙って。」
と、独り言をつぶやいた。うん、少なくとも周囲からはそう見えた。だが錯乱して
いる男はそんな事は気にもとめない。
「おお、君か。うちの娘を、ユミルを……。」
「ええ、任せてください。とにかく事情を話してください。」
 何を根拠に「任せてください」などと言っているのだろう、この男は。
「うむ、それが昨日は友達の家に泊まってくると言っていたのだが、実はその友達
ともども帰っておらんことがついさっき解ってしまったのだぁ!」
「……昨日……?」
 昨日って、この辺りで何かなかったっけ? 嫌な予感がしてつぶやく。するとそ
れまで黙っていた銀髪の男、シルヴァンがしらけた口調で口をはさんだ。
「落ちてきた天井の下敷きにでもなってんじゃねえのか?」
 クリュオは巨大な地下空洞世界。屋外にも天井がある。時折もろくなった天井の
一部が降ってくることは特別珍しいことではない。だから昨日村の近くに岩が落ち
てきたことなんて皆ころっと忘れていた。
「そ、そんな……確かにあの辺りまでは子供の遊び場だった気もするが、まま、ま
さか、…………ユミルぅ〜!」
 号泣。うちひしがれる男の肩にレビンが力強く手を置いた。
「大丈夫ですよ、お義父さん。ユミルちゃんはきっと無事です。オレが必ず助け出
してきます!」
「うおぉ、そうかっ。ありがとう!」
 さりげに義父呼ばわりされたことには気づかなかったらしい。感激してレビンの
手を固く握っている。
「おお、申し遅れたが私は村長のマックだ。娘たちを無事に連れ戻してくれたら充
分な礼はするから。百、いや二百でもかまわんぞ。」
「なんだ、それを早く言えよ。」
 報酬ありと聞いてシルヴァンが身を乗り出した。
 一部始終を見て、テルルはふんとうなった。会話を聞いているとバカばかりとい
う観が否めないが、そう悪い話ではない。迷子捜索にしては破格の報酬だ。しばら
く何もなかったからここらで仕事を一つするのも悪くない。
「そうね、その話、一口乗せてもらおうかしら。」
 唐突に割り込んだ台詞に、ほかの人間の視線がテルルに集中した。それは彼女の
思い通りの反応だった。かすかに笑みを浮かべる。
「どう? 何かあったときに魔法があったほうが便利だと思うけど。」
 言いながらトン、と杖を床についた。視線はレビンを向いている。彼がいちばん
話が解りそうだったし、さっきまでの態度からいって美人(つまりは自分)の申し
入れは断らないように思ったからだ。
「まぁ、オレたちは別にかまわないけど。なあ。」
 しかし反対はしなかったものの、彼は意外に冷静だった。どうやら年上のお姉様
は守備範囲外らしい。あっさりした反応にテルルはわずかに顔をしかめた。容姿に
は自信があるだけにいろいろと不満に思ったようだ。肩をすくめてから村長に向き
直る。
「そういうわけでいいかしら、村長さん?」
「ああ、かまわん。だから早く娘を……。」
「じゃ、契約成立ね。」
「で、ユミルちゃんとお友達の年齢とか背格好は……。」
「おい、おっさん。もう死んでたときも金はくれるんだろーな。」
「金額のほうもはっきり決めておいたほうがいいわよね。」
「姐さん、腹減ったんですけど……。」
 思い思いのことを口にして、交渉を開始する三人。テーブルに突っ伏したシュウ
のぼやきは誰にも相手にされなかった。というか君、存在を忘れられてないか?


 巨大なキノコが乱立する森は奇妙な湿気を帯びていた。一行は細い道をたどって
天井の落下地点を目指す。その間にお互い簡単な自己紹介を済ませておく。
「あたしはテルル=ローディア。見てのとおり真音魔術師よ。これは連れのシュウ
ね。」
「あ、姐さん。『これ』って……。」
「ふうん。オレはレビン=ラルティーグだ。剣も多少つかえるけど、精霊魔法が本
命ってとこだな。」
 シュウの言葉など聞こえなかったかのようにレビンが名乗った。腰に帯びた剣を
抜いてテルルたちに見せる。
「で、ここにいるのが戦乙女の精霊(ヴァルキリエ)、ブリンクだ。」
『はじめましてなんだわ。ちなみにブリンクって名前はレビンがつけてくれたんだ
わ。だから私もレビンに何かしてあげるんだわ。というわけで早く戦場に赴くだわ
ー!』
 剣に宿っている美しい女性の姿をした精霊が、脈絡があるんだかないんだか良く
解らないことをわめきたてる。しかし、精霊の声も姿も精霊魔法の素質があるもの
にしか感じられないのが普通である。張り切って叫んでいるヴァルキリエの声も、
口調と裏腹の美しい姿もレビン以外にはさっぱり解らない。とりあえず「ああ、そ
う」と生返事をするくらいしかできない。
「で、あんたは?」
 気を取り直してテルルが最後の一人に水を向けた。が、
「うるせえおばさんだな。なれなれしく声かけるんじゃねえよ。」
 不機嫌そうな声でそう言った。
「……今、なんて言ったのかしらねぇ。」
 テルルの声が低くなった。凄絶な笑みを浮かべて、目の前の無礼千万な男をにら
みつけた。杖を握る手に力が加わる。シュウは見慣れた、しかし危険なその表情に
一人逃走体制をとっていた。
 テルルの変化を知ってか知らずか、彼はもう一度言った。
「うるせえって言ったんだよ、『おばさん』。」
「どうやら一度死にたいようね。」
 危険な含み笑いを残したまま、テルルは杖を一振りし、真音を唱え始めた。
「じゃ、あっしはこれで!」
 シュウがしゅたっと片手を挙げて走り去ろうとしたその時。
「なぁ、あれじゃないのか?」
 レビンが前を指差した。杖を掲げたままでテルルがそちらを見る。
 頭上に広がっていたキノコのかさが見えなくなった。そこにある巨大な岩の下敷
きになっているからだ。つぶれたキノコはまだ水分を失っていない。やはり昨日落
ちてきたのはこの岩だろう。
 ふと、テルルは目を細めた。岩の上で何かが動いた気がした。その正体を確かめ
ようと身を乗り出す。シュウにしか解っていなかったことだが、シルヴァンはこの
時、確実に命拾いしている。
「…………誰か、いるわね。」
 その呟きに過剰に反応した男がいた。
「なにぃー!? オレより高い所から登場するとは生意気な!」
『生意気だわ!』
 はやしたてるブリンクの声を受け、レビンが動く。すばやく周囲を見渡すと、ひ
しゃげたキノコのほうへ駆け出した。半分くらいつぶれたかさに飛び乗る。弾力の
あるキノコはその勢いごとレビンを空中へ放り投げた。高く跳んだレビンは見事に
岩の上に着地する。すかさずマントを翻し、腕を組んで高笑い。
「ふはははは。そこにいるのは解っている。おとなしく出てきて名を名乗れ!」
『キャァー! レビン、かっこいいだわ、かっこいいだわ〜!』
 ブリンクの声援を受けて、レビンは会心の笑みを浮かべて胸をそらせた。ヴァル
キリエは勇気を司る精霊である。彼女の声を聞けば誰でも勇気が湧いてくるってい
うか、ようするに気が大きくなっちゃうんだよね。
「………………バカ?」
 長い沈黙の後、ようやくそれだけを口にしたテルルに、あとの二人は無言で大き
くうなずいた。
「ん? おまえ、誰だ?」
 声をかけられた相手は膝を抱えてうずくまっていた。顔を上げ、たどたどしいう
えにのんびりした口調で尋ね返す。その口調に疑問を感じ、レビンは改めて相手を
観察した。背を向けられていたため気づかなかったが、足を抱える腕は四本ある。
褐色の肌に複眼。間違えようがない。森の民、シェレラである。
「げ、ここってシェレラの縄張りか?」
「村のガキどもの遊び場だったってんだからそりゃねえだろ。」
 キノコの森はシェレラの生活範囲である。しかし森のどこにでも住んでいるわけ
ではない。閉鎖された社会生活を営むシェレラが、そうそう縄張りに人間の侵入を
許すはずがない。
「そうね、せいぜい天井落下後の様子を見にきたってところじゃないの?」
 テルルの推測をシェレラの男は小さな声で否定した。
「……違う。オレ、道に迷った……。」
 ずうぅぅん。彼の背に闇の精霊がはりついているのがレビンには見えた。かつて
これほどまでに存在感の強い精霊がいたであろうか。他の人間にもなんか見えてそ
うである。
 しかし……。
(シェレラが?)
(庭とも言えるキノコの森で?)
(道に、迷ったぁ?)
(……バカばっかりね。)
 一瞬、ここにきた目的も忘れてあきれ返る四人であった。
「えっと……まあ、いいわ。それよりあんたこの辺りで人間の女の子を見なかっ
た?」
「オレ、ここに来たのさっきだから解らない。」
「あ、そう。」
 我に返って質問したものの、解ったのは彼が役に立たないということだけであっ
た。これ以上話すのは無駄のようだ。というか話す気もしない。こんなバカを相手
にしている暇はないのだ。テルルはシェレラを無視して辺りを探索しようとした。
「おまえ達、子供を捜してるのか?」
「…………。」
 無視すると決めたので答えない。だがシェレラはそれを肯定と受け取ったようだ
った。岩の上から一気に地面に飛び降りてくる。彼らは生まれつき人並みはずれた
跳躍力を持っている。この程度の高さなら何も考えなくとも移動できるのだ。軽い
音を立てて着地すると、先程までの鬱々とした表情はどこへやら、彼はお気楽そう
な笑みを浮かべた。
「なあ、オレも一緒に行っていいか?」

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