年の瀬の一幕

「タナトスさんは何が出来ますか?」
 年の瀬迫るピール自治組合にて。
 少し遅い朝食にありつきに顔を出したタナトスを出迎えたのは暖かなスープでは無く、そんな咄々とした声だった。
「んあ? えーと……力仕事なら、やれるけど?」
 右手にはたき、顔にはマスク頭は三角巾……と完全大掃除仕様な少女にそう答えつつ、タナトスは辺りを見回してみた。
 背後では同じ格好をしたウィザードのスピカが「なんでもふき取る雑巾〜」とか言いながら、テーブルを拭いているし、
「セレンさーん、こっちの奥、シミ落としたよー」
 はたまた天井近くからは腕まくりしつつ羽根をはためかせるフェルの声がするしで、どうやら本日は大掃除デーらしい。指揮をするのは綺麗好き(正確には汚れ恐怖症)のセレンである。
 面倒な時に来てしまったなぁ、とタナトスの顔に出たのを彼女は見逃さない。どこに隠していたのか、さっさっと大きな買い物袋と包み布を差し出すとテキパキと命じる。
「力仕事はとりあえず今ないので、お買い物をお願いします。買って来て欲しいもののメモは鞄に入ってますから」
 有無言わせぬ物言いに呑まれてそれらを受け取りつつも、タナトスは引き受けたくないとの意を零す。
「俺、ここ来たばっかで店なんてどこにあんのかわかんねぇんだけど」
「地図は鞄に入れておきました」
 ……地図があっても迷うのがピールである。
 目印にしようとした塔は、なにやら珍妙な実験で形が変わるし、店の位置だって店主の気が変わったからとか、有毒物質が流れてきて客がよりつかないとかで、一巡りと同じ位置にないことが多い。
「どっち見ても同じような塔ばっかで、わかんねぇって」
 がりがりと色とりどりの布に飾られた髪をかきながら最後の抵抗を試みるも、それは新たなる不幸を呼び寄せるだけだった。
「なに? 一人では不安と? そうかそうか。ならば私がついて行ってやろうではないか」
 奥のテーブルで紅茶を啜っていた男が、芝居掛かった節回しで口を挟んでくる。
 楕円のように軌跡を描いて天井を指すちょび髭に、仕立てだけはよいラシャ布の上着、デザインは一流貴族が好むブランド物……だが組み合わせはちぐはぐで、決定的に色彩感覚がイカれている。
 フェイ=フィリプ、彼も自治組合のメンバーである。
 この大掃除空間の中で、小指を立てて優雅に紅茶をたしなむ様は、その性格が人数倍あつかましくも図太い事を示している。
「いや、ついてこられて……」
「はい。それではフィリプさん、お願いしますね」
 丁度いい厄介払いだとこの内気で誠実な娘が思ったかは謎だが、すかさずフィリプにも鞄を手渡すセレン。
「うむ、任せておきたまえ。新入りの面倒はわたしのような親切な先輩がみないとなぁ。それは愉しき義務だよ、うむ」
 肩に廻されたてのひらがうねうねと軟体動物のように動きひとしきり体のラインを堪能した後で、一見華奢に見えるタナトスの体を出入り口へと押していく。
「「いってらっしゃーい」」
 更にはスピカとフェルの声に後押しされて、派手に溜息をついたタナトスは腹を決めた。

 ウィザードとて年越しの準備を考えるらしい。町を行きかう人々は全体的に色素が抜けた髪である以外は、いたって普通だ。まぁ、よく見れば指が6本だったり、まったくの無毛だったりする者もいるのだが、それは人込みにはまぎれてしまえば目立たない特徴だ。
 あわただしく早足で駆け抜けていく人、師匠に買出しを頼まれたのか風呂敷包みを背中に背負った少年、などで通り界隈は賑わっている。
 そして自治組合から出た二人はというと……。
「おや、おかしいなぁ?」
「てめぇがこっちの方向だって言ったんじゃねえかっ」
 周囲及び本人の予想通り――迷っていた。
「たくよぉ、一軒目から見つけられなくってどーするよ」
 くしゃりと握りつぶしたメモの中には「三軒の店を廻って買って来てくださいね」と、几帳面な文字で様々な雑貨が書き付けられているのだが、未だ一つも入手出来ていない。
「大丈夫大丈夫、あちらを歩けばたどり着け……」
「適当ぶっこくな。そっちはさっき来た方向だ」
 悪気がないのは良くわかる、本当にわからないのだ、彼は……とまぁ、フィリプが信頼出来ないのは僅か半刻彷徨っただけで、よぉく理解したタナトスである。
(こいつは戦闘時以外は、ほぼ役に立たねぇ)
 自分も同類であることを理解した上でそう毒づくが、これではなんの解決にもなりはしない。かといっておめおめと組合の詰め所に戻るのもなんだか悔しい。ツレがアテにならない以上、自分でなんとかするしかないわけで。
(えーと、あいつにするか)
 煌びやかなアルリアナ青年は、行きかう人々の中で背負子に食材をわんさとくくりつけた商人風の男にターゲットを絞るとすれ違う瞬間足を止める。
「あ、あのぉ、すみませーん」
 そして口元に折った人差し指を当てて俯くと、掠れ気味の声でさも頼りなさげに話しかける――これは彼の母親が男を引っ掛ける際に使っていた手管だ。母親は特に「美人」というわけではなかったが、どうしてか界隈で一番の売れっ子になることが多かった。パトロン曰く「ほうっておけない」らしい。
「あ、どうかしましたか?」
 案の定、目の前の男も急ぎ足を止めてタナトスの言葉に反応してくれた。すかさず彼はくしゃくしゃの地図を広げて差し出すと畳み掛けた。
「このお店に行きたいんですけれど、書かれた場所に行ってもお店が無くって。僕、ここに来たばかりなものですから……」
「あぁ、ここねぇ」
 覗き込む眼差しは真摯なもので真剣に考えてくれている様子。しかも何度か頷いていることから知っているようだ。しょっぱなで当たりを引いたとほくそえむタナトスだが、ふと、男の目の色が変わったことに気がつく。
 ――それはなんて憐れみが濃い視線。
 視線はタナトスとフィリプを行ったり来たりするものだから、フィリプがぽっと頬を染めた。それが更に男の誤解を深くする。
 男は「その店は2日前に異臭騒ぎがあったせいで移動したのだ」と最新情報を教えた上で、しみじみとした風情で言った。
「あんたも大変だねぇ……」
「へ?」
「まぁ、そのなりだからなぁ、そうだよなぁ、アルリアナは苦労してる子が多いって言うしなぁ」
 タナトスの髪と首元を飾る七色の布はアルリアナ信者の印。そして一般的にアルリアナは、自らの“体”を商品にした若い男女が数多く信仰している神様だ。それは間違っていない、間違ってはいない、が。
 つまりは男には、フィリプはタナトスの“ご主人様”とうつっている、のだ。ちなみにフィリプが常日頃「男もイケル、そういう文化もアリアリ」と発言して止まないのは、結構広がってしまっているのだ。
「まぁ……頑張れよ? 生きてればいいことあるからな?」
 こくこく。
 励ますように暖かな眼差しで頷くと、男は去っていく。
 意図を理解したタナトスは慌てて訂正しようと叫ぶが、それは隣のフィリプから腕を腰に廻されることで阻まれた。
「ちょっと、俺は違……ぐっ、やめろって気色悪ぃっ」
「さぁて、目的地もわかったことだし、行くとするかね、んー? いいねぇ、このライン」
 ねちねと腰を撫でさする手つきには、見ているだけでぞわっと肌が粟立つ。
「手ぇ、離しやがれっ」
「なぁに、オータネスでは男同士だって当たり前のことだぞ?」
「それ以上言ったら、ぶっ殺すッッ」
 タナトスの手が腰に下げた九節鞭にかかった――

 一方その頃、自治組合詰め所では……。
「んーと、どこか汚れてるところ、ないかなぁー?」
 天井の染みは粗方落とし手持ち無沙汰になったフェルが、新たな標的を求めて彷徨っていた。
 蝶に似た鮮やかな羽でぱたぱたとかすかな風を起こしながら、居間、台所、待合所……と、事細かにチェックしていく。
 やがて小さなまなこが、ぱあぁああっと愉しげに見開かれた。小さいとそれだけ細かなところに目が行くのだろうか、待合所の椅子の陰、黒ずみ発見!
「セレンさん、セレンさん、ここもやった方がいいのー?」
「どこですか?」
 それぞれの仕事がひと段落ついたセレンとスピカが、フェルの声に誘われて台所へとやってきた。二人ともフェリアの小さな指先が指す方へと目を凝らす。
「うわ〜、よくそんな細かいところ見つけたね〜」
「そうですね。どうせだから徹底的にやりましょう」
 セレンが見つけた汚れを見逃すなどという選択はありえないわけだが。許可が出たということで、フェルは目的地へと近づいていく……と。
 ぼわんっ☆
「へ?」
「わぁ」
「きゃ」
 フェル、スピカ、セレン、三人はほぼ同時に悲鳴をあげる。
 なにかが弾ける音(あえて言うならば魔法が大失敗した際にする音に近い)がしたかと思うと、フェルのてのひら大の黒ずみが、膨れた。どれぐらいに? ――それは、大人の人間大に。
ずももももももももももも。
 真っ黒な人の大きさをしたソレは、まるで意識を持つかのごとく三人の方へと向かってくるから、さぁ大変。まずパニックを起こしたのは、汚れに不快感を通り越して恐怖感を抱くセレンである。
「いやああああああああ!! 埃っ、埃がぁあっっ!!」
 半泣きになりながら一目散に居間の方へと駆け出していく。腰が抜けて気絶しなかっただけまだめっけものというべきか。
「ねーねーねー、こ、これ、どーするの? どーするの? ボク、こんなの落とす力、ないよー? ところでこれ、なーに?」
「これは〜、え〜とえ〜と……なんだっけかな〜」
 最後の疑問にだけは答えようと思考を巡らせるスピカ、明らかな逃避である。ちなみにこんなものを制御する腕力は、スピカとて持ち合わせていない。腕力自慢のふたりは、今頃は寒空の下で迷っているところだ。
 ずも、ずももももももももももももも。
 考える間も巨大な黒ずみどんどん膨れ続けている。具体的には1.5倍の大きさになって、天井にも届きつつあった。
「あぁ、あれだ〜」
 ぽむっ。
 少し前に自治組合で片付けた依頼の中に同類項を見つけ、スピカは合点がいったと手を叩く。
「失敗したエリクサーを流したら、それが一箇所からじゃなくて、たまたま下水で混ざってゴミ溜めで化学反応起こした件だね。埃が巨大化して大変だったね〜」
「その時は、どーやって片付けたのー?」
 スピカの後ろに隠れながら、フェルは解決方法を問う。
「え〜っと、確か結局力ずく」
「だめじゃんかーっ」
 ずもーんっっ!!
 悲鳴が自分を呼び寄せたととったのか、応えるように巨大黒ずみは両手を広げるような形に大きくなると、スピカとフェルの方へと覆いかぶさろうとする。
 もはやパニックになって、手足と羽が同じぐらいの勢いでぱたぱたしているフェル。その前ではスピカがごそごそと腰の辺りを探りながら、呪文の集中をする。
「あ、あうあうあー」
「え〜とえ〜とえ〜と……な、なんでも掃き取るチリトリ〜」
 ちゃーちゃちゃーちゃちゃっちゃちゃー♪
 スピカが呪文を使い便利道具を出すたびに、何故かチープな効果音がする気がするが、今はそれをつっこむ余裕はない。
 スピカは右手に箒、左手に件のチリトリの装備で、黒ずみへと立ち向かう。
「えい、えいっ、えいえいっっ!」
 ずもっ、ずももっ、ずもーんっっっ。
 ――
 巨大黒ずみは、抵抗の甲斐も無くスピカの不思議チリトリへと回収された。どのような仕組みかは、考えた方が負けである。
「は〜なんとかなった、と」
「セレンさーん、もうだいじょぶだよー。スピカさんが退治しちゃったよー」
 フェルが呼べば、恐る恐る小柄な少女が顔だけ覗かせる。
「あ、ああ、ありがとう、ございますぅ……うぅ」
「あ〜なんか疲れた、ね」
 黒ずみに倒された椅子を立てると、スピカは腰掛けて頬杖をつく。
「そーだねー。お茶でも飲みたいかもー」
 椅子の背に腰掛けて、フェルも賛同の声をあげた。
「わかりました。お茶入れますね……あら?」
 苦労を労おうと台所に向かったセレンだが、茶葉を入れた器を手に取り首を傾げた。妙に軽いし振ってみても音がしない。中を開けてみれば予想通りにからっぽであった。そういえば、切らしていたのだった。買い物リストには書いただろうか?
 セレンは取って返すと、疲労でへたり込むふたりに言った。
「あの、疲れが取れてからでいいですから、フィリプさんたちに合流して、これも買ってきてくれませんか?」
 紙に茶葉の種類と量を走り書きすると、セレンはそれをスピカに手渡す。更にセレンはこの後の予定に頭を巡らせた。
 そういえば忘年会の料理を作る係のプレセペたちがそろそろやってくるはずだ。掃除をすると言ったら、下ごしらえは自分の塔でやってから持ってくると言っていた気がする。それまでにはお茶が欲しいところではある。
「うん、わかったー。あのふたり、ちゃんとお買い物できてるといいよね」
「けど出かけるのは、もうすこし休んでからね」
 ふたりの返事に頷きながら、セレンは準備をすべく台所へと向かった。

 地図にある三軒目の雑貨屋にて、タナトスはこの店最後の鍋を巡って見知らぬ親父と攻防を繰り広げていた。
「この鍋がないと、年が越せないんですぅ」
「え? あぁ、なーらしかたねぇ……かなぁ」
「ありがと。じゃあ、これとこれとこれとで会計」
 ……攻防にもならない。彼は情にほだされて相手の力がひるんだ隙に、鍋を奪い去ると店番へと差し出した。その早業に目を白黒する男を尻目に、フィリプが待つはずの方へと人込みを掻き分けて進む。背中には塩10カガル(=10kg)を含む大荷物がくくりつけられているが、意にも介さない様子だ。彼の振るう九節鞭は自在に操ろうと思ったら実は相当な腕力が必要なこともあり、見た目に反して彼の腕力はある方なのだ。
「あー、タナトスさん、ちゃんとお鍋買えたみたいだよー」
 人の頭がひしめき合う更に上から、フェルは声をあげる。手を振ってはみたがタナトスは気がつかないようだ。
「けれどお茶っ葉は無かったね」
 買った茶葉を入れてくるように渡された布袋を振りながら、スピカが肩をすくめる。ここに来る前に寄った店の店主の話では、馬で一刻ほど走った場所の村に今バザールが常駐しているので、そこであれば手に入るとのことだ。
「買いに行った方がいいのか、セレンさんに相談だねー」
「そうね〜」
「ふむ、どこへなりともお供はするぞ?」
 スピカの傍ら、塩を10カガル背負ったフィリプが言った。ちなみに買い物メモには「塩10カガル」とある。
「それはいいんだけどさー、どーしてタナトスさんもフィリプさんもお塩背負ってるのー?」
 フェルは先ほどから疑問に思っていた事をフィリプに投げつけてみる。
「え? タナトスも持ってるの〜? 塩10カガルって、ここにあるじゃない」
スピカも買い物メモを指差して訝しげな顔をするから、フィリプは腕を組み大仰に首をひねる。
「そうか、多いのか。いやな、やつとふたりで“10カガル”ってことは10袋買えばいいんだろうという結論に達してな」
 頭の悪い結論である。
「もー、ここに2カガル入りってかいてあるでしょーっ」
「ん? んー…………」
 2×5=10
 その数式がフィリプの頭に浮かぶ前に、タナトスが人ごみを掻き分けて帰って来てしまった。
「あ、おかえり。お金足りなかったでしょ?」
 塩を余分に買った分、足りないはずなのだ。案の定、スピカの問いかけにはタナトスは「なんで知ってるんだ」と怪訝そうな顔をして答えた。
「なんだ、お前らも来てたんだ。金、足りない分はとりあえず立て替えといた」
「その分、セレンさんから返ってくるといいね〜」
 足りないのはフィリプたちのミスなので、それを几帳面な彼女がどう扱うかは彼女のみぞ知る、である。
「あぁ?! なんでたんない分を俺がかぶんなきゃなんねぇんだ?」
「足りないんじゃなくて、塩を余分に買っちゃったんだってばー。2カガル入りの袋だからー、5個でいいんだよー」
 憮然とするタナトスに、両手をばたつかせてフェルが解説をするが、サリカが開いている学校を出ていない彼の頭にはピンとこない。
「えーっとね?」
 フェルはそんな彼にどうやって教えればいいのかと、一所懸命頭をめぐらせる。しかし頭の回転が速いウィザードの彼は「そんな簡単なことがわからない」ことそもそも理解できず苦心する。
その隣で、不意にフィリプが手を打った。
――あぁ、そーだな。そうかもしれんなっ。タナトス、これは買いすぎだ」
「なんでだよ?」
「全部あわせてしまうと、ひとりでは持てないではないか。10カガルぐらい、わたしは軽々だぞ」
 お前もそうだろ? と、言外に問われて、タナトスはあっさりと納得をする。
「あー、あぁ、そう、だな。うん」
 そんな腕力バカずな彼らを見て、スピカとフェルのウィザードコンビは肩を竦めるのであった。

 セレンに茶葉が品切れである旨を話したところ、やはり今日中に買って来て欲しいとの話だった。明日はまさに新年で、どこもかしこも店は閉じる。更には料理担当のプレセペから「年越しには由緒正しき、蟹鍋が必須」と強く推されて、四人は隣町まで馬車を走らせることになった。
 ……ちなみに材料はちょっと高価な“魔性湖恨み蟹”が必須、らしい。そんなものに自腹を切る性質ではないプレセペのことだ、ここに乗じて自分の好みの食材を使いたいのが大方の腹だろう。

「“魔性湖恨み蟹”って、なんだよ、ところで」
 まったく食欲をそそらない名のそれに、タナトスはしごくまっとうな疑問を口にする。プレセペに聞いたら「そんなことも知らないんですか?」と得意げに言われて腹が立ったので、聞かずに出てきたのは彼らしい。
「“魔性湖恨み蟹”……オータネスの魔性湖に秋から冬にかけて大量発生する蟹。まるで親を殺され恨みに身を焦がす憎悪の形相が腹に刻まれていることから、こう呼ばれる。非常に美味だが、魔性湖の影響を受け凶暴なため捕まえるのには苦労する。そのため高価である」
「うわ、スピカさん、すっごーい」
 まるで辞典を読むかのごとくすらすらと口から零れた解説に、スピカの肩に止まったフェルが感心して手を叩く。
「ふーん。オータネスっつったら、おっさんの十八番じゃねぇのかよ?」
「ん? んー、そーとも、言うなぁ……まぁ、料理されてしまえば、材料などわからんからなぁ、うわっはっはっはっは」
 タナトスが意地悪く隣のフィリプの腰をつついたところで、オータネス貴族はまったくと言っていいほど動じないのである。

 村はピールほど大規模ではないものの、景気のいい賑わいを見せていた。
 バザールのテントのそばには広場があって、リャノの演奏隊やシャストアの大道芸人が器用に芸を披露している。
 追加の買い物は意外と量が多く、四人は手分けして買出しをすることになった。かさばり重さもあるものはタナトスとフィリプが、かさばるが軽いものはスピカが。小柄で非力なフェルは茶葉を担当するという選択肢しかなかった。
 茶葉を扱っている店は広場の外れにあり、フェルは結構な距離を飛ぶことになってしまう。おまけに帰りは一抱えもある袋に抱きつくようにしての飛行だ、存外骨が折れた。
「おーまーたーせー。ふううー、へとへとだよー」
 既に集合していた三人の元にたどり着くと、へろへろ〜と着地するフェル。
「あー、じゃあ、入る? 鍋ン中」
 ばこん。
 ひとつでは足りなかったために買い足した大鍋を開けて、タナトスが提案する。フェルぐらいが入っても担ぐのには苦労しないし、彼としては親切心で言ったのだが、フェルの気に障ったらしい。鍋の中には“魔性湖恨み蟹”在中、当たり前である。
「もー、どーしてそんなこと言うの?! 鍋で蓋しちゃったらまっくらでしょ? て、蟹が入ってるじゃないかーっ。やだよ、ボクこんなのと一緒なんてっ」
 がきょがきょきょ。
 更にはさみの部分が縛られた“魔性湖恨み蟹”が、鈍い音をたててはさみをすり合わせる。大きさ実にフェルの顔より巨大、そしてなにより、怖い――こんなものと一緒に帰りの馬車を揺られるとして、いったい何回恐怖を抑え込む必要があるのだろうか?
「まぁ、無理して入んなくてもいいけどさ」
 重い音をたてて蓋をしたタイミングで、突然周囲がざわつきはじめる。なんだかんだと修羅場をくぐってきたピール自治組合の面々は、素早く視線を交し合った後、有事に備えるべく警戒態勢をとる。
 果たして、ざわめきの理由はすぐに判明した。
「暴れ馬だーーー!!」
 そんな叫びと共に、荒々しく嘶くは馬の声。普段は家畜としておとなしいはずの獣はまっすぐこちらへ向けて駆けてくる!
「ぬ、いかん」
 まず立ち上がり動いたのはフィリプだった。転んでしりもちをついた子供の前に立つと、身につけたマントを外しはためかせた。彼のマントは特別仕様で、裏地は赤い渦巻きが無数に描かれたもの……センスとしては、狂っているとしか言いようが無いが、今回は良い方向に作用した。赤に興奮した馬は完全にフィリプにひきつけられて、転んだ子供など気にも留めなくなったのだ。
「はい、やぁ、どうっ!」
 ひらぁり。
 優雅に舞うように体をしならせて馬をさばけば、周囲からはやんややんやと歓声が上がる。フィリプ本人も喝采願望が大いに満たされた様子で、悦に入っている。
「あ、え〜と……おひねり集めの帽子〜」
 彼女の高々とかざしたてのひらにはくたびれた帽子が現れていた。これも魔術なのか、彼女愛用の品なのかは不明である。
「おひねりは、こちらで〜す♪」
と、スピカは機嫌よく沸き立つ民衆に対して、小銭を集め始める。
「ち、気楽なもんだぜ」
 それを見て唇をゆがめると、タナトスは腰につけていた九節鞭を解きおろす。
馬は一体ではないと予想したら案の定、二体目が浮き足立った者どもを突き飛ばし走りこんでくる。あらかじめわかっていたことならばすぐに対応できる、彼は九節鞭を馬の鼻先めがけて放ち、あっさり絡めて動きを封じてみせた。
 振りほどこうとする力は強いが力比べなら負けはしない。さて、どさくさにまぎれてどうくびり殺してやろうかと残酷な思考にとらわれかけたところで、主人らしき男が駆け込んできたため、それは収まった。
「す、すみ、すみません。急に売り物の馬が暴れだして、あと一体が、ふわあっっ」
 どんっと、主人を突き飛ばす形で現れた最後の一体を前に、フェルはくっと瞳を閉ざす。
「だめ。おとなしくして、ください……」
 そう囁くと、クティクティ・フェリアだけが持つ心の力を最後の馬に向けて放った。馬も周囲も傷をつけずに済ますとすれば、彼の力が非常に優秀だ。馬は先ほどまでの荒くれが嘘のように納まった。
「あ、ありがとうございます、はぁぁ……一時はどうなるかと……」
 フィリプ対暴れ馬の華麗な対決はいまだ続く中で、馬の主人である商人風の男は、タナトスが押さえた馬とフェルのおかげですっかり大人しくなった馬に縄をかける。
 フィリプの方は結局収拾がつかなさそうなので、フェルが“心の声”で大人しくさせた。
「本当にお騒がせしました」
 そして申し訳なさそうに頭を下げ丁重に礼を言うと、馬飼いの商人は去っていった。思ったより集まったおひねりと、商人からもらった菓子の類を両手に抱えスピカはほくほくと頬を緩める。
「お土産も出来たし、かえろっか〜」
「子供だましな礼だよな」
 そう言いながらも、商人からもらった飴玉をひとつ取り上げて口に含むタナトスは、どこか懐かしい味にふっと表情を和ませた。
「はーはーはーはーはー、みたか。わたしの華麗なる演舞を。これも貴族のたしなみとしてだなぁ……」
「もー、結局おさめたのはボクじゃないかー。つかれたよーおおー」
 得意げなフィリプにつっこみながら、フェルはタナトスの背負った鍋に腰掛け、くってりと前のめりに崩れた。
 帰りの馬車へと向かいながら、転んだ子供の親からの礼や、多くの賞賛の言葉に包まれて、四人の心は“悪くはなかっ”た。

「あ、おかえりなさい。……なんだかフェルさん、お疲れですね?」
「大変だったんだよぉー、セレンさん」
 特に疲れた風のフェルを気遣いつつも、セレンの瞳は頼んだものと買い出された物に過不足が無いかのチェックを怠らない。
 そんな生真面目な少女の肩を、タナトスはちょんちょんとつつく。
「あ、はい。なんでしょうか?」
「これ、さ」
 恨めしげな顔を腹に刻んだ蟹を手に取り、セレンへと見せる。その行動の意図がわからず、ウィザード少女は瞳を瞬かせて首をかしげた。
「こーすると……」
 くるりん。
 差し出した蟹をくるくると廻して、ちょうどはさみがセレン側に行くようにする。つまりタナトス側から見て、刻まれた顔は恨み顔。そしてセレンからは……。
「…………ぷっ」
 目が垂れて口はふにゃふにゃ……そう、真面目な肖像画の目の部分を折り曲げて奥に傾けた、非常に不真面目なにやけ顔になるのだ。
「な?」
 思わずふきだしたセレンに満足して、にやりと笑みを浮かべるタナトス。僅かな沈黙の後、セレンは小さく咳払いをすると、一言。
「おもしろいですね」
 と言い、蟹を元あった料理皿の上に並べて置く。
 馬車の中、ひっそりとこれを発見したタナトスは、生真面目であまり声をたてて笑わない少女に見せたらどんな反応をするか気になっていた。そして結果は充分満足なものであった。
 貧乏で明日をも知れない暮らしの中、体を売って自分を育ててくれた母親は、それでもいつだって笑っていた。だから女は笑っていた方がいいというのは、彼の密かな持論。
「スープもう出来るってさ〜。蟹、蟹〜」
 台所に顔を突っ込んでいたスピカと、続けて顔を出すのはしたり顔のフィリプ。
「おぉ、いい香り。なつかしい、香りだ……これはオータネス産の蟹を材料に使用したからこその……」
「え、まだ蟹入って無いよ?」
 それでも充分食欲をそそろ香りが部屋に満ちる。それと共に扉が開いて、仕事上がりの面々も顔をだし、この場は一気に騒がしくなる。
「お、うまそーな香りじゃんかよー。なー、ワガウ」
「この香りかいだことあるけど、忘れた。ま、いっか、美味いことにはちがいねぇ」
「た、た、ただいま帰りましたぁ……あ、あの、あの、あのあの……わ、わたし、ご飯、どーしよ……」
「クーアとオレの分もあるよなっ。食ってけよ、クーア」
「う、うん……カスガがそう言うなら……」
「あれ、ダンバーさんはー?」
「今年最後の評議会との寄り合いで、もうすぐ戻るそうですよ」
 ……。
 どやどやと人が増えて熱気が上がるピール自治組合のメンバー詰め所。
 日ごろの苦労を労うように大鍋と皿とコップが準備されて、全ての者を暖かく迎える。
 テーブルにつく者、直接地べたで酒盛りをする者。またその間を行き来し笑いあう者。
 賑やかに、穏やかに……少し湿った空気がほっこりと立ち昇る中、ゆっくりとこの年は終わっていく――来年もよき年でありますように。

◆追記
 年明けてすぐ「よき年である」と実感したのは、プレセペである。
 彼は“魔性湖恨み蟹”は一切料理に使わず、自分の懐へと入れた。そして腐らせないよう的確な下ごしらえをしてとっとと知り合いのバイヤーに流したのだ。
 ちなみに。
 密かに“魔性湖恨み蟹”が好物である彼は、一匹は頂戴して腹に収めたのである。
 彼曰く。
「“魔性湖恨み蟹”は鍋ではなく、素焼きが一番だ――」
 らしい。


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